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ドナルド・キーンの対談

2015年03月22日 02時16分30秒 | 文学
『ドナルド・キーン著作集 第九巻 世界のなかの日本文化』を図書館から借りて読んでいる。
対談が中心の巻で、講演(「世界のなかの日本文化」)と司馬遼太郎との対談(「日本人と日本文化」)、安部公房との対談(「反劇的人間」)を読んだ。
ドナルド・キーンについていまもっとも興味を持っているのは彼の文章の書き方で、英語で読んだわけではないので原文ではどんな感じなのかは知らないが、翻訳を読む限り非常に読みやすい。そして、なんだかアメリカ翻訳もの的。翻訳したのだから当たり前なのだが、その翻訳的、しかも読みやすいというところに惹かれている。
日本人の書いた文芸評論とは明らかに違う。小林秀雄にしても吉本隆明にしても江藤淳にしても加藤典洋にしても、そしてまああまり感じられないほうではあるが内田樹にしても、文の”藝”を感じさせる書き方をどうしてもしているのだが、ドナルド・キーンの本にはそのような、自意識? みたいなものが見られない。そこに好感が持てている。
翻訳を通すことで、そのようなもの(なんと言っていいのか、ゴミとか垢とかネガティブな言葉しかいま思い浮かばない)がふるい落とされているのかもしれない。それともアメリカ的な文章の書き方にその秘密があるのかもしれない。
対談では、当たり前だがそのような文章の書き方を感じることはできなかったのだが。

対談を読んであまり意見の対立のようなことを感じることはないのだが、ドナルド・キーンは違うと思ったらきちんと違うと言えるところに外国人を感じた。
いいかげんに納得しない。
ドナルド・キーンは、アメリカ人が日本のことを分かってくれてありがとうございます的な、そのような受け入れられ方だけでやってこられた人なのではないかと思っていたのだが、そんなことはないのだと最近思う。
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