釈徹宗と内田樹と名越康文の『現代人の祈り 呪いと祝い』(サンガ)を図書館で借りて読んだ。釈徹宗がほかの二人と鼎談したり対談したりする本。
以前『若者よ、マルクスを読もう!』を読んだときも同じなのだが、僕が内田樹目当てで本を読んでいるせいか、内田樹が登場しないとおもしろくなく、興味が持てない。ほかのひとだけで話していると、筑紫哲也のいない「NEWS23」のような感じに思えてしまう。
鼎談「顔と人格」でも、内田樹が「どうしたの?」と思うくらいあまりしゃべらないのでつまらなかった。
たんなる内田樹のファンになってしまっている。
特別におもしろかったところはなく、いつものとおり「そうだよなあ」と思いながら読み、読んだら忘れてしまっている。
対談、鼎談であると、内田樹ひとりで語っているのとは違い、親しい釈徹宗から「内田さん、この間はこう言ってたじゃないの」という突っ込みがあり、当り前なのだが内田樹も完璧でないことが分かる。
内田樹も結構思い込みでしゃべっている、しかしその語り方がおもしろい、論理的に完璧であることを期待しては駄目、というようなことは思い入れのある作家の本を読むときには気を付けておくべきことだと思う。
いつのまにか、夏目漱石や村上春樹のことは完璧だと思ってしまっている。しまいがちである。
以前『若者よ、マルクスを読もう!』を読んだときも同じなのだが、僕が内田樹目当てで本を読んでいるせいか、内田樹が登場しないとおもしろくなく、興味が持てない。ほかのひとだけで話していると、筑紫哲也のいない「NEWS23」のような感じに思えてしまう。
鼎談「顔と人格」でも、内田樹が「どうしたの?」と思うくらいあまりしゃべらないのでつまらなかった。
たんなる内田樹のファンになってしまっている。
特別におもしろかったところはなく、いつものとおり「そうだよなあ」と思いながら読み、読んだら忘れてしまっている。
対談、鼎談であると、内田樹ひとりで語っているのとは違い、親しい釈徹宗から「内田さん、この間はこう言ってたじゃないの」という突っ込みがあり、当り前なのだが内田樹も完璧でないことが分かる。
内田樹も結構思い込みでしゃべっている、しかしその語り方がおもしろい、論理的に完璧であることを期待しては駄目、というようなことは思い入れのある作家の本を読むときには気を付けておくべきことだと思う。
いつのまにか、夏目漱石や村上春樹のことは完璧だと思ってしまっている。しまいがちである。