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☆夏目漱石「吾輩は猫である」感想

2007年03月08日 02時30分43秒 | 文学
吾輩は猫である夏目漱石の「吾輩は猫である」(岩波文庫)を読み終わった。
苦沙弥先生の苗字は珍野というらしい。珍野苦沙弥。
苦沙弥というのはずっと姓だと思っていた。どこかで家の表札に「苦沙弥」と書いてあるが、それが米粒で貼り付けてるだけだから雨の日には落ちる、というようなことが書かれていなかったっけ? 表札に苗字ではなく名前を書いているんだな。確かに変人。
それとずっと気にしていた水島寒月そっくりの泥棒の話は案外あっさりと終わった。泥棒が捕まって苦沙弥先生の家に来たが寒月に似ているとかそのような話は一切なかった。猫も忘れているかのようにその話はしない。
どうなっているのだろう。
泥棒に入ったときは暗くてそんなふうに見えたというだけの話なんだろうか。疑問が残る。
苦沙弥の姪の雪江が突然泣き出す場面は「明暗」にも同じような場面があったように思う。お延が叔父さんの家に行って冗談を言い合いながら突然心が弱くなって泣くシーンがあったと思う。よく似ていた。

岡田斗司夫の「フロン―結婚生活・19の絶対法則」という本が気になって最初と最後だけ立ち読みした。
「BSマンガ夜話」はよく見ていたので岡田斗司夫は賢い人だなと思っているが、彼個人のことは全く知らない。
この本を書く前だか後だか知らないが離婚をしたらしい。
最初と最後しか読んでいないので、以下適当な感想になるが、この本のあとがきに書いてあるような感じで、理屈だけで離婚するような場合って本当にあるんだろうか、と思った。なんか不思議、というか違和感を感じた。
結婚生活について近代的な理屈だけで考えてしまうと離婚(というかもともと結婚しない)しかないのかもしれないな、と思う。
「吾輩は猫である」の最後に出てきた、西洋風に個性を重要視して親といっしょに住めなくなり、そのうち男女も夫婦としていっしょに住めなくなるなるだろうというという考えはかなりそうなんだろうな、と思った。
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