マラソンマン(1976年 映画)

2017-08-16 00:00:04 | 映画・演劇・Video
不覚にも、長い間、マラソン映画だと思っていた。あるいは「マラソンランナーの孤独」の影響があったのかもしれない。なにしろ、体が疲れているときによく見る夢がマラソンなのだ。最初はトップを走り、疲れてくると全員に追い抜かされて、周りには誰もいなくなって陽が沈み、真っ暗な中を走って道に迷い山の中にはいってしまう。以下省略。という感じだ。深層心理的にマラソン映画は忌避してしまう。

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主演のベーブ役がダスティン・ホフマンというのは知っていて、イメージとしてマラソンを走りそうではないか。ところが、彼はコロンビア大学の大学院の学生で政治学を専攻。マラソンは趣味で走っているわけだ。それにレースに出たこともない。

で、何の知識もなくこの映画を観ると、確かに怖い感じが最初から漂っている。後で考えてもよくわからないのは大学の教授はベーブや彼の父親、彼の兄のバッグボーンをよく知っていたわけだ。父親はマッカーシズムが吹き荒れた米国で赤のレッテルを貼られて自殺していた。

ということで、過去の米国の汚点を暴くのかと思うわけだ。なにしろダスティン・ホフマンはこの映画と同年1976年に「大統領の陰謀」という古くて新しい大統領の犯罪映画に主演している。

ところが、まったく違うストーリーが並行して走りだす。元ナチ党員でユダヤ人の人体実験を行っていたクリスティン・ゼル博士が潜伏先のウルグアイから渡米して銀行の貸金庫に保管しているダイヤを回収して換金しようとする。その過程で、次々に仲間を消していくわけだ。

一方、ダイヤ商はユダヤ人が多いわけで、そのあたりが緊張を高めていくのだが、ついに足の速い大学院生ベーブとゼル博士一味との決闘が始まるわけだ。

実際、劇中のゼル博士はヨーゼフ・メンゲルという実在人物がモデルのようで、ユダヤ人の口をこじあけて金歯をかき集めてポケットに入れていたようだ。映画が公開された後もアルゼンチン・ブラジルで潜伏を続け85年に亡くなっている。たぶん、変装の上、映画館でこの映画を観たのではないだろうか。

私の観察力が足りないのか、冒頭の大学教授の怪しい態度というのは何だったのだろう。彼もナチの仲間だったのだろうか。あるいはベーブから近づいて行って交際をはじめていた女性はゼル一味だったのだが、筋として不自然な気もする。

しかし、最後まで進むとよくわかったことは、ダスティン・ホフマンはピストルの達人であること。大勢の敵に対して一つも外すことなく各一発で仕留めている。そんなに銃撃がうまいならデヴュー作「卒業」でも、違う形のフィナーレができたわけだ。

岸根公園と戦争(2)

2017-08-15 00:00:52 | 市民A
岸根公園は、戦争中は日本軍によって高射砲を設置されていた。

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しかし、昭和20年の敗戦のあとは、米軍に接収されることになる。そして、数年後には広い敷地に何本も低層の建物が並ぶことになる。米軍の極東戦略の中で、この場所に当てはまったのは、「病院」であった。

特に朝鮮戦争勃発により重傷者や死者も増え、岸根公園はもっとも困難な状況を受け入れていた。地元では今でも「篠原池の水は、いつも赤く、血が流されていたからだ」、と言われているが、まさかそういうことはないだろうと思う反面、打ち消す理由もない。

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米軍からは1972年に横浜市に返却されたので、多くの樹目は45年前に植えられたものだろう。当時の状況を残すものはあまり見つからず、隣地との間のコンクリート壁は米軍時代からのものだろうと思われ、意味のよくわからない棒材の突出などもある。

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そして、朝鮮戦争が長期化した結果、多くの戦死者や重症者が、この米軍岸根病院に集まる。米国人の習慣では、戦死者は遺体のまま運ばれることになっていて、そのためにこの病院で傷口を縫い合わせたりといった死体の処理を行っていたそうだ。

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ただ、「だから米軍がいるのは嫌だ」という考え方の人もいれば、当時、この病院で働いていた看護師のように「どこの国籍だろうと、生きるか死ぬかの瀬戸際の人を助けるのは当然」と言われる方もいる。

実際にこういう戦争状況の一部に組み込まれると、良し悪しよりも目の前の問題を片付けるしかなくなる。残念だが。

岸根公園と戦争(1)

2017-08-14 00:00:07 | 市民A
新横浜駅から地下鉄で1駅横浜に向かったところに岸根公園駅がある。まわりは住宅地である。

この駅を含むエリアが岸根公園といわれる大型の公園で広さは14万平米。日比谷公園が16万平米なので、ほぼ同じような大きさだ。公園の中には篠原池という池があるし、かなり起伏のある地形の部分と、広大な広場が広がり、奥の方は少し高い部分があり、少年野球場がある。

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公園が作られたのは昭和15年。関東大地震で横浜市も巨大被害を受けていて、その復興計画の中の防災用の空地としての意味をこの公園はもっていたとされる。

後の展開を考えると防災用だけの意味だったのか、あるいは何らかの戦争に関係のある計画に組み込まれていたのかは、よくわからない。おそらく関係はなかったのだろうが、それが関係するようになっていったということだろうか。

日中戦争も、太平洋戦争も日本本土から離れた場所で始まったのだが、ご存知のとおり日本が押し込まれはじめ、さらに長距離かつ超高空の飛行が可能になったB29により大都市は無差別爆撃を受けることになる。

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そのために、都市近郊には高射砲部隊が展開することになるのだが、選ばれたうちの一つが、この岸根公園だった。現在の少年野球場の少しだけ高い場所に高射砲が置かれた。

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以前、横須賀の近くにある猿島で高射砲跡を見たことがあるが、上空から発見されないように高い木が生えている場所が選ばれる。猿島の場合は今でも高射砲の台座の周りの樹木の高さはやや低く、当時の状態を感じることができるが、岸根公園の高射砲の場所の樹木はいずれも低く、後に植え替えられたようだ。

猿島での説明もそうだったが、高度10,000メートルまで届く砲弾がなかったためB29は落とせなかったが、低空で侵入する戦闘機などにはある程度効果があっただろう。

もう一つの鶴首花瓶

2017-08-13 00:00:43 | 美術館・博物館・工芸品
5月14日『鶴首、ただし花入れ』で、備前焼の鶴首を紹介したが、もう一本、これぞ鶴首と言える首の長い花瓶がある。萩焼である。萩竜山窯の作。

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萩焼は、九州各地の唐津や薩摩と同じように秀吉の朝鮮攻撃の時に連れてきた陶工「李勺光」により毛利藩によって興された。徴用工問題のような話だが。実は朝鮮の役終了後、講和条約締結により、日本に連れてこられた陶工たちは朝鮮に戻ってもいいし、日本に残ってもいいという意思が確認され、多くの陶工は日本に残ることを選んだ。

というのも当時の朝鮮統一は李氏朝鮮という封建国家で、陶工のような技術者は、社会最下層と位置付けられていた。だから帰りたくなかったのだ。

ところで、萩焼は元々茶碗として有名だった。「一楽二萩三唐津」と言われて、有名な楽焼と有田焼に挟まれている。確かにホワイトは魅力的だ。そして、見かけはよいのだが、軽くて、相対的には安い。

この萩焼は実は都内の元大名屋敷跡を掘ると大量に出土するそうだ。どうも大名好みだったようだ。江戸も中心部は武家屋敷なのだが、この家の敷地内がゴミ箱になっていた。

江戸幕府も300年続けば、ゴミ問題が爆発寸前だった。資源再生社会ではあったが陶器類は始末に困る。

進路不明3名の行き先

2017-08-12 00:00:34 | しょうぎ
現在、進路不明の男性が3名いて、周囲の人たちが気をもむ経緯となっている。

一人目は、民進党ではどうしても嫌だといって脱党することになった細野議員。実際、どこの集団に行っても「党首」になりたいと思っているようだから、どこかのグループに入っても結局は飛び出すのだろう。が、土佐藩を脱藩した坂本竜馬のようにはならないだろう。心配する方がヤボだろうか。この方の話は、これにて終了。

二人目が、早稲田実業の清宮幸太郎君。西東京大会の決勝で破れ、甲子園には行かれずシーズン終了。プロなのか進学なのかと周りがうるさい。

三人目は、将棋界の若き才能、藤井聡太君。先日、連勝記録は止められたもの驚異の勝率を誇っている。名古屋大学の付属中高一貫校の中学三年。このまま高校に行き、学業と将棋の二刀流を続けるのかどうか。

ということで清宮君と藤井君の話だが、本質的に並べて考える問題じゃないわけだ。つまり清宮君の場合は、通常はプロのどこかのチームに入るか、そのまま早稲田大学に進学するかの二択と思われていて、変化球として、プロであり早大生であるという二刀流の可能性とか、早大進学じゃなく、米国の大学で野球をやってそのままメジャーリーグを目指すのではないかとか言われるのだが、本質的には、彼の将来は「まったく未知数」であるということで、それによるコース取りの難しさなのだろう。

私見ではあるが、かなり頭脳も明晰という噂もあるのだから、むしろ「東京大学」へ行って、東大野球部を六大学野球で優勝させたらどうだろうか。卒業後は、そのまま東大職員としてコーチや監督をめざしたらいいのではないだろうか。早大生は慶大生には対抗心を持つが、東大生には勝手に仲間意識を持っているので抵抗はないだろう。


次に藤井君の方は、大問題。今でも対局と授業の両立に苦心している。しかも頭脳は伸び盛りの年で、あと5年間は、脳細胞自体が増加していくのだから、大脳を鍛えるには最も有効な年代だろう。さらに清宮君と決定的に異なるのは、「すでに、職業を持っている」わけだ。だからこそ、中高一貫校の高校に行く意味が捉えにくい。普通の人は、将来がはっきりしないから、とりあえず大学に行ったり、将来なりたい職業があるので、そのために関係学部に行く、という2パターンが多いのではないだろうか。彼の場合は、いずれでもないわけだ。しかも、中高一貫なら、中学で辞めても高校へ行っても学友の顔ぶれが変わらないのだから対人関係を拡げる意味もない。また母君は、将棋で食えなくなった時のことを心配して高卒資格までは必要と思っていたらしいが、仮に、何らかの事情で将棋界を去ったとしても、「あの天才棋士」ということはすでに知れ渡っているので、高卒資格や大卒資格が役に立つとも思えない。

しかも、高校に行きたければ、後で行っても構わないわけだ(そういう展開にはならないだろうが)。

むしろ問題は東京や大阪で生活をすることになって、甘い誘惑が彼を取り巻くことになって、飲酒、ギャンブルとかに手を出したり、勝率5割以下の女流棋士達に可愛がられたりとかそういうセルフコントロールの面ではないだろうか。

私見なのだが、森内九段も、サレジオ学院在学中にプロになっていて、中高一貫の完全進学校の中で、高校生活はまったく楽しくなかったのではないだろうかと推測する。ダラダラと高校を卒業した羽生さんとの後々の実績の差は、宿題が多いことで有名なサレジオでの勉強がハンディにすらなっていたのかもしれない。

藤井君も高校というような俗物的な組織ではなく、むしろ将来は将棋連盟の運営の中心に座るのだろうから、今のうちにビジネススクールに行った方がいいような気もする。


さて、7月29日出題作の解答。

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金の強打の三連発。三手目は1三飛と離して打つことが必要。玉型の4五歩が4六歩であれば、逆に2三飛と直撃するのが正解になる。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題.

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実は一昨年度の名人戦で当時の羽生名人が佐藤天彦挑戦者の玉の詰を見逃したことから名人位を失うことになったのだが、その局面を改造して作った問題である。

判ったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数とご意見を書いていただければ、正誤判断します。

醸造家の夢

2017-08-11 00:00:59 | あじ
ビールシリーズの続き。

COEDOビールの在庫が尽きそうになったところで、運よくSUNTRYのプレミアムモルツのさらに上級品である「MASTER’S DREAM」が一箱贈られてきた。

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副題が「醸造家の夢」。

「醸造家の夢」とは大きく出たものだ。「夢」というのは、実際には実現されないからこそ美しいのだ。

ボトルは二種類で、無濾過タイプと普通の濾過タイプの二種。

無濾過タイプのビールは、大手はほとんど出荷していないが、原因は何なのだろう。味が一定しないからだろうか。もともと、同じ会社の同じ製品だけを飲み続ける人はどれ位いるのだろうか。まったく見当つかない。自分では、飽きないようになるべく違うブランドを混ぜて買うのだから安全であるなら多少の品質のブレは逆に好ましいのだが、資源ごみの日に他人の空き缶を確認すると、同一ブランドを飲み続ける人が多いことに気付いている(特に「金麦」がおおいような気がする)。

で、サントリーはビールに限れば、「モルツ」「プレモル」の2種類で特に普通の「モルツ」はほとんど売られていないのだが、個人的には普通のモルツの方が、味が薄くて飲みやすい。そしてこのMASTER’S DREAMの無濾過タイプも味が柔らかくてリッチな気分になる。最近、ビール類が売れないというのも、食品を工業製品のように大量生産するという方式が、人間の舌に合わなくなってきているからではないだろうか、と仮説を立ててみる。

で、この20本を飲み干すと、ビール在庫がなくなってしまうのだが、・・・ビールの雨でも降らないかな。醸造家の夢じゃなく、愛好家の夢。

芋の街でも激ヤセの方は?(川越)

2017-08-10 00:00:14 | たび
川越のソウルフーズといえば、サツマイモだろう。各種の芋菓子があり、観光客はそれらを歩き食いしながら、場合によっては片手にスマホ、片手にイモという感じになる。ビールを飲む場合は、スマホはバッグにしまわれる。

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人気なのは、イモのスライスだ。あざやかなイエローとかなりの質量感を感じる大きさだ。実際にかなり量があって、食べ切るには時間がかかる。そうしたら次の芋菓子とビールになる。レストランはどこも列ができているので、35度以上の室外では外に立って待つわけにはいかないので、すぐ入れる店に行く。ドイツ料理店に行ったのは、ビールのため。観光地らしくメニューは少ない。メニューの数は「海の家」並かな。

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レストランは料理を食べるためというか、体力を回復するための休憩場所といったところだろう。

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そして、芋菓子で有名な亀屋栄泉の北側路地を進むと、「長喜院」という曹洞宗の寺院がある。川越は寺院が多いことで有名で70院もあるそうだ。

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本堂の右手前には菩提樹があり、本殿左横には苦行の釈迦像が座し、その脇には沙羅樹がある。その他に無憂樹があれば、仏教の三大聖樹が揃うのだが、さすがに無憂樹は日本では育たないようだ。

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そして苦行中の釈迦像だが、文字通り骨と皮だけだ。某ダイエット請負会社は成功報酬は850万円ということらしいが、川越で観光客からいただけるのは、お賽銭ということになる。

そして、本来は暑い時にビールを飲むと脱水作用で危険であるという記憶自体が遠くなりそうに暑い午後の太陽に負けてしまい、Uターンして帰ることにする。太陽の暑さの源は、核融合反応である。なかなか人間にはコントロールできないエネルギーだ。


一番じゃなくてもいいのではないか(川越)

2017-08-09 00:00:25 | たび
ところで、本題の前に、先週、本ブログで築地(築地活版印刷所の解散)のことを書いたら、築地で火災が発生し、もちろん建築基準法で言う「既存不適格物件」のため、建替えは困難だろう。さらに、おそらく借地権であっただろうから、上物消滅とともに権利は失効ということだろうか。

どうも、「書くとその後に災難が起きることが多い」と感じているのだが、実は来週書こうと思ってFACT蒐集中のネタは、後で災難が起きると本当に困ることなので、ちょっと身構えてしまう。

一方、前の戦争の開戦直前に不思議な解散をした築地活版印刷所だが、その時に使っていた活字一式を引き受けた会社が横浜市内で営業を続けていて、現在「築地活字」と名乗っていることが判った。名刺100枚で5500円らしい。



さて本題を始めると、数週間ビールの頂き物が重なり、飲み続けているのだが、その中で「COEDOビール」という地ビールが埼玉県の川越市で造られていることがわかった。川越のことを小江戸というようだ。

あまり史事にのめり込みたくないが、川越の街を作ったのは、太田道灌だ。つまり江戸の開闢者と同一人物。どうも江戸と川越と両者を結ぶ川越街道はセット商品として設計された。どうしても江戸と北関東を結ぶ、「大河を渡らない街道」が戦略上必要だったようだ。「おおた」という姓は、ドラマ等でも「犯罪者用の陰気な姓」になっているのだが、関東の豪族の多くは謀略に長じた作戦を多用していた中で、太田道灌は正攻法を愛し、江戸中心で戦っていた(が、伊勢原で入浴中に謀殺された)。

そして、近年、川越の重厚な街並が、今や江戸にはまったく存在しない本物の江戸時代の香りを実感するために世界中から多くの観光客を集める街になっていた。しかも、メトロ副都心線と東横線と東武線と西武線が有機的に繋がったため、横浜からあっという間に川越に着くことが判明した。



ということで、川越でしか飲めないCOEDOビールの希少品種を求めて、出発。どうも地理に不案内で、「川越市」「川越」「本川越」という三つの駅の関係もよくわからず、「川越市」に着いたのだが、これがもっとも小さな駅らしい。どこにも江戸情緒はない。

しかも、最近、川越市民が突如声高に主張始めた「日本一」がある。それは日本最高気温。瞬間的な最高気温はともかく、いつもずっと暑い街というと、熊谷とか館林が有名なのだが、「どうも川越の方が1~2度暑いのではないか」と唱え始めたのだ。気象庁の観測網から外れているということらしく、日本一を主張するために、現在、データを集めているようだ。

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ところが、それって街にとって都合がいいことなのだろうか、と思ってしまうわけだ。観光地であるし、基本は街を歩くというスタイルの観光地なので、『日本一暑い』というのはプラスポイントなのだろうか。かつて、「二番でもいいのでは」と発言して、総理大臣になるのが10年遅れた女性政治家がいたが、本件は、二番どころか十番でも二十番でもいいような気がする。

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持参した塩飴をなめながら駅から歩き始めたのだが、塩飴というのは、なめると汗がでるようになっていて、普段より大量に汗が流れる。暑いというよりも熱い! が、かつて夏の中東に行ったことがあるが、まあ川越はそれほどでもないかな。ただ、中東の平均寿命は日本よりかなり短いから。

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そして、本川越駅から続く観光地用の街並みは、倉敷のような人工的な時代劇セット風ではなく、近世と現代が融合したまったくタイムマシンタウンになっていた。問題は、街並みの中をバスや乗用車が行き交うので、交通事故の危険が伴うのと、なにしろ店舗に比べて人が多すぎるので、食事や喫茶をしようにもどこの店にも長蛇の列があること。

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ということで、中華街のように「食べ歩き」の街と化していた。ということで、COEDOビールの新種である、恋あかり「朝虹-Asaniji」とか「月下-Gekka」とか、どうも正しいオーダーが伝わったかどうかは不明のまま、ゴクゴクとプラカップでぐい飲み。結局、あちらでも、こちらでも、ランチでもどこでもCOEDOビールを飲み続けることになる。

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そして、街のランドマークになっているのが一つが「りそな銀行川越支店ビル」。もう一つが「時の鐘」。オリジナルは江戸時代の初期(1630年代)に建てられたとされる。川越城主である酒井忠勝が作らせた。現代のタワーは平成8年の作だ。城下町を管理するのに、時間管理を始めたわけだ。実は、鐘を撞くには、正確な時間管理が必要で、地球の構造上、夏と冬では日中時間が変わるので、どうやって管理していたのだろうか。あるいは各都市には天文学者がいたのだろうか。

COEDOビール5種

2017-08-08 00:00:00 | あじ
地ビールの中でも有名なのが、COEDOビール。小江戸と呼ばれる川越の近くの醸造所で造られている。工場は、以前、大企業の社宅(寮?)の建物を中古で購入して改造したということらしい。建物を新規に建てるとなると投資額も増えるし、更地を買った後、ゴミが出てきても8億円値引きしてもらえるわけじゃない。土地改良費を払えるわけもないのだから、いい買い物だったのだろう。

これでもかというほど個性的なビールを造る。ある意味、大手ナショナルブランドビールの場合、常に同じ味にこだわらないといけないが、地ビールの場合は、ロットごとの多少の差は許容されるのだろう。

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それが、5種類のセットで頂くことになった。計24本。5種とは、『瑠璃』『漆黒』『白』『伽羅』『紅赤』。紅赤は地元産のサツマイモが原料らしく、分類は第三のビールのようだ。

『白』はよくある白ビールで、残りは茶色か黒。『紅赤』は、人気商品らしいが、私の口にはやや合わなかった。

なんとなく、高価なビールばかりを飲み続けることになるが、在庫が切れた時、元の100円ビール類に戻れるか、心配。

そしてCOEDOビールを調べると、地元の川越市では、川越市内限定の樽生ビール『毬花(マリハナ)』が飲めるということがわかった。(もちろんマリ「ファ」ナじゃないから)


しかし、川越の夏は暑いのだ。ビールがうまく感じるように不必要なまで暑いのだろうか。

もう一つ、小江戸のことだが、川越以外でも古い蔵造り風の商店街がある場所が、「我こそは小江戸」と自称しているようだ。「小江戸を名乗れるのは川越市だけだ!」怒りそうなものだが、人がいいのだろうか、小江戸サミットなる会があるそうで、川越市がとりまとめているそうだ。

独歩ビールと岡山ジン

2017-08-07 00:00:00 | あじ
ヱビスビールの記念館に行ってすぐに頂き物があったのだが、地ビールだった。岡山県の宮下酒造から出している『独歩』。

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1年前まで3年間岡山にいたので、会食の時など、メニューに、地ビール「独歩」とあるので時々飲んでいたのだが、若干価格が高いのと、味が濃いので鯨飲するにはちょっと無理がある。

まあ、大手メーカーのビールは鯨飲用ということで、札幌ビール園では今でも大ジョッキ4杯とか飲んでしまうのだが(7杯飲んだこともある)、この真っ黒な酵母入りシュバルツビールを大量に飲むと、文字通り「腹黒人間」になってしまう。

宮下酒造は、元々清酒の会社だが、地ビールの醸造を始め、HPで調べたところ、最近はジンも売り出している。さっそく、クラフトジンを注文。『岡山ジン』というネーミングだ。『岡山人』ではない。

そして、このジンは想像できない味だったのだ。飲み慣れると、世界で最も不味い飲み物と言われる「ウニクム」と同類の香りがして、ベースのジンに何種類かの地球上には生えていないような植物のエキスが加えられている。あとで確認すると、ジンは米焼酎をベースに作られていた。

そして独歩ビール6本を1日1本のペースで飲み終わる前に・・次の宅配便が重い荷物を届けてくれた。

ヱビスビール記念館から始まった

2017-08-06 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
前々から恵比寿駅の近くにあるヱビスビール記念館に行こうと思っていて、ついにその日が来た。というほどのことはない。確かにガイド付きツアーは500円(ビール2杯付き)だが、無料とはいえ北海道のサッポロビールの工場の見学にいくよりもずっとお手軽だ。

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もともとヱビスビールは独立した会社で、明治20年に東京市の郊外だった場所に工場を建て、3年後からビールの生産を始めた。ビールのブランドがヱビスで、それが駅名になった。

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そして発売直後からヱビスはトップブランドであり、工場の稼働はどんどんよくなってくる。そして、今の物価感覚でいうと、高級ワイン程度の値段だったようだ。当時の製品の意匠が展示されているが、技術的に指摘すべきは、まだ金属製の王冠は使われず、コルク栓に紙の封印が貼られていた。何しろ、人気ブランドには偽物が多発。それにより経営が圧迫されていたようだ。

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また、日本で最初のビアホールもヱビスが銀座に建てている。となると銀座ライオンの場所かと思うのだが、そこではなく銀座の端であり、今は天ぷらの天國ビルの場所だそうだ。注意すべきは看板の文字で、ドイツ語のbierではなく英語のbeerになっている。そもそも日本のビール発祥期にはドイツ語的にビールといわず英語的にビアと言われていたらしい。

いつの時期にビールになったかはいまのところ不明だが、第一次大戦の時にドイツの租借地だった青島を日本が奪還した時に、青島ビールを接収して運用をはじめた頃からドイツ語読みが増えてきたのかな、と推測。

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そしてこのビアホールの当時の名物料理はなんだったのだろうか。フランクフルトソーセージでもジャーマンポテトでもないのだ。

おでん。それも「冷やしおでん」だったそうだ。おでんの何点盛という感じのようだ。しかし、現代でもおでんは日本料理ベスト10に入賞するかどうかという人気メニューだが、「冷やしおでん」というメニューはみたことがない。キャズム感が漂う。

そして、戦争中は、ビール会社の集約化が図られ、戦後はそれが分割するも、結局は王者麒麟麦酒に対抗するため、ヱビスはサッポロと合併。恵比寿の土地を売却し、船橋に工場を移転したはずなのに、なぜかヱビスの土地を売らずに不動産事業を開始し、一時は経営に行き詰る寸前だった。

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ともあれ、既定のガイドツアーの最後には試飲会(といっても数十分前に500円を先払いしているのだが)。当日は、お中元用の特別ビールとしてヱビスプレミアム・ザ・ホップ2017という缶ビールを試飲。最近の流行の苦みが強い(強すぎる)ビールだ。なぜ、お中元シーズン用に新ビールが発売されるのか、この時はよくわからなかったのだが、後日、自分がお中元を百貨店に買いに行った時に感じたのだが、ビールの種類が少ないと、箱詰めするときに横幅が大きく取れない。つまり、小さな箱で売る=少額商品ということになる。ビールを5種類持っていれば上下二段で組めば前面に10本、二段重ねにすれば20本セットができあがる。

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そして多くの人が初耳だったのだが、瓶ビールのラベルだが、恵比寿様が鯛を釣って帰るところを図案化しているのだが、200本に1本の割合で、鯛を二匹釣った幸運の恵比寿様がいるそうだ。ラベルを水に濡らしてからきれいに剥がして、乾かしてから額に入れても、単なる自己満足に終わるが、蒐集という趣味はそういうものだ。

そして、深い理由もなくヱビスビールに行ったことから始まり、次々と・・

藤井聡太四段は誰の後継者なのか

2017-08-05 00:00:31 | しょうぎ
加藤一二三氏が引退し「ひふみん」と改名の上、無秩序にテレビに登場。文化人枠ギャラからタレント枠ギャラに変わり、出演料が急増したとも推測される。

トークの中で、多くの将棋関係者が苦々しく感じているのが、氏のこの発言・・

「私は引退しますが、藤井君という良き後継者を得られて・・」

確かにひふみんがC2クラスを落ちて引退した頃、藤井君が同じリーグに入ったのだから、「C2クラスの後継者」と言えば文句はないが、たぶんそういう意味ではないのだろう。

本当は、藤井四段は誰の後継者なのかというと、もちろん羽生三冠(元七冠王)なのだろうか。

一方、羽生三冠は王位戦七番勝負では菅井七段に2連敗と追い詰められている。後継者が現れたので、急に老け込んできたのだろうか

ということで、各棋戦の進行状況を見ると、「棋王戦」が注目だ。次に豊島八段に勝てば、森内九段と対戦し、さらに勝つとおそらく羽生三冠と当たる。ここをクリアできれば、この後は1敗してもまだ復活権があるので棋王獲得が目に見えてくる。近く主催の共同通信社の方と会うので、棋王獲得記念パーティの無償招待券をおねだりしておくつもり。ただしタイトル戦は来年の3月になるわけだ。


さて、7月22日出題作の解答。

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盤上の味方の駒を捨てるというよりもタダ取りさせる手法。最後は遠打のミサイル発射で詰ませる。ミサイルを打つのはどちらの国なのだろうか。途中でタダ取りされたり捨てられたのはどこの国なのだろうか。

動く将棋盤は、こちら


今週の問題。

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ヒントは「徘徊」。

わかったと思われた方は、コメント欄に、最終手と総手数を記していただければ、正誤判定します。

犬山城のしゃちほこ、落雷で破損

2017-08-04 00:00:00 | The 城
犬山城の天守閣のしゃちほこが落雷によって破損したそうだ。なにより天守閣が炎上しなくてよかったと言わなければならない。

日本には中世に建てられたオリジナルの天守閣が12本しかない。(といっても、弘前と高知は比較的新しい)

その中でも、美しい天守閣とそうではない天守閣があってそれなりにファンはいるのだが、天守閣の最高層階からの眺望と言えば、犬山城の右に出るものはない(左に出るものもない)。12ヶ所とも行っているので信じてほしい(信じなくてもいいが)。

もう一つの特徴は、この城の所有者はごく最近まで個人だった。それも元城主(大名)である成瀬家の所有だった。といっても個人が何代も国宝の天守閣を所有するのは至難の業であり、今は公益財団法人の名義になっている。

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画像を確認すると2005年に登城している。

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まず、折れたしゃちほこだが、屋根の南北に一つずつ立っていたのだが、北側の木曽川に近い方が被雷したようだ。通常の入城は南側になるので、北側のしゃちほこを撮影するのはかなり難しい。ちょうど北側の最上階から木曽川を写した画像があって、よくみると画面の右側に緑色の線が見える。これはしゃちほこからの銅線のように見える。

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一方で、こわれたしゃちほこの画像を探していると、しゃちほこをネジで中の木材に取り付けていたところがあった。ネジは緑色なので銅製なのだろうか。さらに下に向かう銅線との接続が切れているようにも見える。

しゃちほこは陶器で電気を通さないが、形状的には尻尾の部分がとがっていて落雷の危険がある。それならもっと避雷針に徹底しておけばいいのではないだろうか。中途半端に銅製の小さな金属ねじを使ったので、逆に危うかったのではなかっただろうか。

天守閣が燃えなかったことについてはシャチホコが身代わりになったということに尽きるだろう。

ある通夜式のこと

2017-08-03 00:00:12 | 市民A
一か月近く前になるが、私の大学時代のゼミの恩師に当たる原子朗先生が他界した。1年ほど前から認知的問題を発生していて、さらに余病が進行しているということで昨年末には後輩たちが中心になって、異例ともいうべき「生前お別れ会」的な会を開いていただいたこともあり、92歳の本人状況より判断して、「正式お別れ会」が近いことはわかっていたというべきか。

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現代詩人で、日本文学研究者で、長崎被爆者であり、いくつかの大学の教授であり、そして書家でもあったのだが、特に宮沢賢治の研究家として有名だった。私生活に多くの秘密をもつ賢治の研究は、とかく謎の多い作品と謎の多い人生とを安易に結び付ける傾向が強いのだが、先生はわからないことはわからないこととして、私見を書くというスタイルをとるわけだ。

そして、豊島区で執り行われた通夜式の際は、年の功(相対的表現)もあり、出版社関係の受付&会計係を承っていたのだが、気づいたことが二点。

一つは、出版社が大きくなればなるほど香典が小さくなるという「香典反比例の法則」。

もう一つは、遠く花巻市の「宮沢賢治記念館」より上京された方が何人かおられ、記帳を見ると「宮沢姓」の方も何人かいらしたようだ。ああ、賢治にも家族がいたのだと、妙に銀河鉄道が近く感じた瞬間だった。

お清めの席では、後輩の一人が相続税の話など無粋な話題を持ち出して、詩人というのは、同業者と手紙のやりとりをしていることが多く、その手紙に高い評価額が付くことが多いという話になる。今では詩人どうしでも、ネット上でメールやラインを使うのだろうが、そういうデジタル文書には評価額が発生するのだろうか。そもそも資産なのだろうか。

そういえば、学生だった頃、野尻湖の近くにある先生の別宅へ行った時に、近所に代々住んでいる小林一茶の末裔の方を紹介していただいたことを思いだしてしまうのだが、そういう地方の固定資産というのは実勢価格よりも相続税評価額の方が高かったりして被相続人が困惑してしまうのだよね。

築地滅ぶも生き残った築地ブランド

2017-08-02 00:00:47 | マーケティング
都議選が終わった途端に閉鎖政党化し、党首が院政を始め、議員がイエスロボットに改造されたようだが、中央卸売市場の移転問題はどうなったのだろう。確か、豊洲と築地の併用ということで、築地ブランドを守ろうということだった。

しかし、築地ブランドというのは、「単に築地に会社があるだけ」とか「築地に関係なくても『築地』というネーミングで、ユーザーをごまかそう」といった部分もあるのではないだろうか。それなら「豊洲」だって、みんなが盛上げればいいだけのことではないだろうか。

真に「築地」がブランドであるなら、市場が築地になくなっても生き残るものがあれば、それが築地ブランドというものではないだろうか。

ということで、大きく転換して、今は亡き築地が生き残っている話。

「活字」の話。

本が売れなくなり、作家が生活できなくなって、結果として良い文学が生まれないのではないかという懸念があることはご存知の通り。この原因に深く論及するのは置いておき、本や雑誌文化の凋落は事実だろう。

といっても、多くの人はそのかわりにネットでニュースを読んだり、SNSでは、直接話すのではなく、文字情報のやりとりでコミュニケーションするのが普通だ(某元女優はまったく新しい情報発信スタイルを発明したようだが)。

いずれにしろ、動画情報やテレビのワイドショーといった、非文字的ツールが主力になって、日本人の文盲率が数十%になるといったことはないだろう。

つまり、『本は死んでも活字は生き残る』と、思われる。

そして、「活字」の世界というのは、まったく広く深い海のわけだ。

書体は無数に近くある。まず、日本語の文字は大変な分量のわけだ。英語の文字はキーボードの上にあるだけだから英数字と?とか!などの記号だけなので、大文字小文字合わせても、およそ100ぐらいだろう。

日本語は、その成り立ちからいって、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、数字、記号ということになる。パソコンの中に入っているのは2万3千字以上ということだそうだ。だから、一つの書体を作るということは、そのすべての文字のデザインを作ることになる。(しかも活版印刷するためには、すべてに金属製の活字が必要だったし、大きさ別にそろえることも考えなかければならなかった)

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ということで、その代表的な明朝体にしても、よく使われるものが約30種あるということで、並べてみるとかなり異なる。しかも人気投票すると、結構、バラける。

実は、本図の中で人気が高いのは、3、4、9、15、20、24といったところだが、このうち3以外は、すべてルーツが同じそうだ。

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それは、明治33年に作られた書体で、東京築地活版製造所が作った「築地体後期五号」というもの。なかなか優美な姿が漂う。「あ」という字は少し奇妙で「十という部分」と「のという部分の書き始め」がずれていないで、重なっている。「お」に似ているが、肩の点がないので識別できるだろうということなのだろう。その効果として、文字の中に左右に大きな空間を得ている。

ところが、この「築地体後期五号」そのものは、図の13番なのだが、これはあまり人気がない。13番は、ひらがなと漢字の大きさが「漢字>ひらがな」という関係なのだが、これはあまり現代的ではないようだ。といっても男文字>女文字では男女機会均等ではない!という意見を反映したわけじゃない。もともと漢字は発音記号じゃなく意味を表す文字で、ひらがなは音をあらわす記号なので、漢字の方が重要なのは当然で、文字だって大きくすることには合理的な意味があった。

ところが、どういうわけか最近の傾向として、文章の中で漢字使用率が減っているそうだ。したがって、ひらがなを小さくしてしまうと、小さな文字だらけになって、読みにくいそうで、ひらがなも少し大きめになっているそうだ。

その他、活字の話は、中段で書いたように「深海探索」なので、数多くの云々があるようだが、これ以上の話は私にとって理解不能であるわけだ。

そして、東京築地活版製造所は「築地体後期五号」を世に残し、昭和13年に66年間の活動に幕を閉じた。この急遽行われた会社解散については謎が多く、いまなお真相が明らかになっていないのである。