ジャックの塔

2010-03-07 00:00:56 | 美術館・博物館・工芸品
kaiko2横浜名物の一つが「三塔」である。

キングの塔は、神奈川県庁。クイーンの塔が横浜税関。そして、ジャックの塔といわれるのが、横浜開港記念会館にあるレンガ造りの時計塔。札幌の時計台よりも迫力は数倍上だ。

たまたま、この横浜開港記念会館のそばに行ったので、入場料無料につられて、建物の中に。この建物についての謂れが解説されていた。

大正6年に建築されたそうである。そして、6年後に関東大震災。特に横浜の臨海地区には、外国人や洋風建築が多く、その多くがレンガ造りであり、江戸末期からのほとんどの建物が瓦礫と化した。

たとえば、新規開店したばかりだった、ユーハイムのレストランや、花屋さんを開いたばかりのサカタのタネ。建屋壊滅である。特別損失。カールさんもサカタさんも瓦礫の山の中で命だけは助かった。下敷きになった人たちの物語はそこで終わりだ。

kaiko3この開港記念会館も大被害を受けたのだが、奇妙なことに、こわれて焼失したのは建物の方で、時計台の方は無事だった。

その後、昭和2年に再建され、大空襲の被害を奇跡的に免れる。戦後は米軍に接収され、米軍お抱えの映画館になる。その後、日本に引渡しが行われる。再度、大正初期の勇姿が戻ったのは平成元年である。

館内に残るステンドグラスは昭和2年の再興時のもので、横浜に入港する米軍のポーハタン(PAWHATAN)号を表現したものである。

まず、幕末のペリー黒船艦隊として、第二回目の黒船来航の時の旗艦船である。そしてこの建物のすぐ近くにあり名称が紛らわしい『横浜開港資料館』の場所で「日米和親条約」が締結される。

kaiko1そして、次の来航が日米修好通商条約締結のため。条約は、ポーハタン号の艦内で調印された。

さらに、批准書交換のため、日本側使節団は、咸臨丸とポーハタン号に分乗してアメリカへ向かっていったわけである。

そういうわけで、この艦船は、日本史には欠かせない一隻ということになる。なにしろ、今までに日米間の二国間で調印された重要な条約は、三つだけ。日米和親条約、日米修好通商条約、日米安保条約。その他は、多国間条約である。各種軍縮条約や降伏文書署名などだ。三つのうちの二つに関係しているわけだ。

ただ、なんとなく、その後、この建物が米軍に占拠されたり、マッカーサーが横浜のホテル(ニューグラント)を本拠地にしていたことなど、何かと因果がありそうな感じである。何しろ、横浜大空襲を免れ、ステンドグラスも無傷だったわけだ。


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