網野善彦氏による歴史の再発掘論文集である。ちくま学芸文庫から。
本書は、題名から考えれば、従来と異なる歴史観から書かれたというようにも取られるのだが、実際には歴史観の差と言うよりも、具体的な歴史上の統計の読み直しといった行為を通して、歴史の実態の相違を主張するというような読み方をした方がいいのかもしれない。
さらに、日本史の流れの中で、現代社会の原型を14世紀に求め、その時代の日本人の生活に迫ろうとしている。
ところが、この14世紀と言うのは、まったく不人気な期間である。元寇対策の結果、国庫が空っぽになり衰退へ向かっていく北条氏の鎌倉幕府と、その後の室町幕府の初期である。だいたい、司馬遼とか吉村昭とかその他の歴史小説家などは、北条早雲以降の戦国時代が大好きだし、さらに文化爛熟の江戸時代、それから帝国主義を求めた明治期については資料も豊富過ぎるほどある。
鎌倉幕府の資料なんて、ほとんどが散逸していて、歴史研究家なんかは地方都市の研究をしようとしても困難を極める(これが吉村昭先生なら、自宅にいるだけで全国から資料が送られてきたりする)。
それで、網野先生が眼を付けたのは、『百姓』というコトバ。いかにも農民=百姓かと思わせるところが大いなる誤りということだそうだ。詳細は本書を読んでね。
本書は、題名から考えれば、従来と異なる歴史観から書かれたというようにも取られるのだが、実際には歴史観の差と言うよりも、具体的な歴史上の統計の読み直しといった行為を通して、歴史の実態の相違を主張するというような読み方をした方がいいのかもしれない。
さらに、日本史の流れの中で、現代社会の原型を14世紀に求め、その時代の日本人の生活に迫ろうとしている。
ところが、この14世紀と言うのは、まったく不人気な期間である。元寇対策の結果、国庫が空っぽになり衰退へ向かっていく北条氏の鎌倉幕府と、その後の室町幕府の初期である。だいたい、司馬遼とか吉村昭とかその他の歴史小説家などは、北条早雲以降の戦国時代が大好きだし、さらに文化爛熟の江戸時代、それから帝国主義を求めた明治期については資料も豊富過ぎるほどある。
鎌倉幕府の資料なんて、ほとんどが散逸していて、歴史研究家なんかは地方都市の研究をしようとしても困難を極める(これが吉村昭先生なら、自宅にいるだけで全国から資料が送られてきたりする)。
それで、網野先生が眼を付けたのは、『百姓』というコトバ。いかにも農民=百姓かと思わせるところが大いなる誤りということだそうだ。詳細は本書を読んでね。
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