樂美術館の侘

2017-06-11 00:00:24 | 美術館・博物館・工芸品
知人と会うため京都へ行くことがあり、京都御所・同志社大学周辺を中心に散策。第一弾は『樂美術館』。つい最近まで東京の近代美術館で、楽焼(=田中吉左衛門の歴史)展を拝観し、特に家祖、初代、二代、三代の作に感動(=感心)したこともあり、本家本元の京都樂美術館に突撃しようという気持ちになった。

しかし、冷静に考えれば、「メイン作品は東京に行っているのだから、樂美術館にいっても何もないのではないか」ということかもしれない。反対に、「メイン作品が東京に行っている間は、普段は蔵の中にある準メイン作品が展示されているのだから、根こそぎ見るには今ではないか」という考え方もある。

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そして、かなり暑い日であったが樂美術館に歩いていくと、土壁と焼杉と立派な瓦屋根の建物が見えてくるのだが、これは樂美術館の隣にある田中吉左衛門邸である。ここに家があるというのは、おそらく千利休の仕事場の一つがこの近くだったからだろうか。茶道という日本にしかない総合カルチャーの一角をなすのが茶碗作りであり、利休の思想を具現化したのが家祖の田中宗慶であり初代吉左衛門の長次郎だった。

美術館の方は、ややこじんまりした造りであり、やはり懸念したように常時展示されていたと思われる名品は出張中で、代わりに、『茶碗の結ぶ「縁」』というミニ展が行われていた。田中家の友人たち(表千家○○代家元とか裏千家○○代家元とか)が余技として楽焼を焼いた作品などが展示されていた。いささか残念。中には萩焼家元十五代坂倉新兵衛の萩焼茶碗、楽焼茶碗も出展されていた。一樂二萩三唐津と言われる1位と2位は友達だったようだ。

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まあ、茶道の極意は無とか虚であるのだろうから、美術館の中にお目当ての茶碗がないからといって残念がることもないのだろう。茶道の別名は「侘茶(わびちゃ)」である。

なお、田中家の始まりのあたりの不思議な家系図について。二代目以降現代の十五代まで一子相伝で田中吉左衛門を名乗るのに、この二代目の父である田中宗慶は、初代ではなく家祖と呼ばれ、初代は長次郎という人であるのだが、おそらく焼物事業を宗慶と長次郎が共同で始めたのではないだろうか。現代的にいうと、会社の所有は宗慶が行い、運営(お雇い社長)が長次郎だったのではないだろうか。そして、諸般の理由で、家祖は長次郎の跡継ぎを自分のこどもにしたのではないだろうか。


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