ハルキストの読むアフターダークは、

2004-10-08 16:44:13 | 書評
03655b5b.jpgハルキストという言葉がある。村上春樹のファンという意味だ。本来は「村上ファン」と言えばいいのかもしれないが、もう一人の大家である村上龍氏と間違わないように名前の方で呼ぶ。龍先生のほうにはこういう名前はないように思うのだが、それは、小説の質の差なのだろう。圧倒的な力を作者が振りまわし、読者をひっぱっていく村上龍に対し、村上春樹作品では作者と登場人物と読者がパラレルに進む複数の筋立ての中に一体化して取り込まれていき、容易なことでは脱出できない。

私はたぶん95%くらいの春樹作品は読んでいる。驚くことはなく、ほとんどのハルキストは同じだと思う。傑作もあれば、実験作と名前がつく失敗作もある。失敗作かと思っていると連作になっていたりする。

9月に小説「アフターダーク」が発売された。そろそろ一ヶ月なのでちょうちん書評があらわれそうである。本物を読む前にブログを読む人は、まずいないだろうから遠慮しないで私評してみたい。

まず、「いつもとちょっと違う」。前作「海辺のカフカ」は発売前から話題になっていたが、今回はひっそりだ。妙な話だが、この小説、最初の40%くらいまで読んでも、村上春樹作とは思えない。カタカナの比率がきわめて多く、村上龍ではないかと思い、表紙を確認してしまった。それも二回。後半はいつものパラレル技法であるが、パラレルの一方は眠り続ける姉である。そして対極には眠らない妹。そして無数の未完結の謎である。

「海辺のカフカ」は同じように謎に満ちているが、小説の内側で閉じられていて、一応の完結性がある。また登場人物のほとんどは善意と無垢の心を持っていた。結局、よじれた糸はほぐされていくのである。しかし、本作ではいくつかの問題は、外に飛び出したままになる。何一つ完結されずに満ち溢れた悪意は小説の外側の世界へはみだしてしまう。

小説の解釈は三通りある。初期の連作が「ダンス3」で完結したように、現代を舞台とした新たな連作の始まりではないかと言う考え方が一。小説の書き方自体を転向させるための実験作という考え方が二。第三の推測は、作品自体は完結していて、ほんとうに書きたかったのはその題名の「ダーク」の後の世界の断片とスタートを読者の前に投げ出すことであったのではないだろうかという仮説だ。その場合「ダーク」とは何だったのかということだが、「9・11」の後の世界の対立や悪意なのか、彼自身が取材を続けた地下鉄サリン事件の時に無念にも突然なくなられた犠牲者の方々の人生や夢の続きなのか。
既に、各種掲示板には、書評が多数寄せられているが、9割方「BAD」だ。酷評が多い。未解決だらけで終わることから、連作論と実験作論が二分する。第三の仮説、「悪意の始まりのところで完成している」とする論は見ない。私だけだ。しかし、総じて小説としては、うまくいっていないように感じる。魅力的人物が登場していないので、感情移入できないのである。「カフカ」では四国の森の中の空間に、あちらの世界とのコネクトポイントを求めたのと対極的に、本作では、都会のコンビニの商品棚がキーなのかもしれない。もしかしたら「カフカ」の前に存在していたのではないかと頭をかすめるが詮索はやめる。

ところで、もしかするとプロ評論家の評判は割と「GOOD」かもしれない。村上春樹ほど、プロ評論家とアマチュア読者の意見がずれる作者はいない。カフカの時は評論家の60%位が酷評していたが、ハルキスト達が与えた点数は、かなり高い。

アマチュアの書評には遠慮がないので、掲示板にユニークな意見があった。彼の小説の登場人物は総じて年が若いが、「そろそろ若い人を書くには無理がきている。同世代の50代を書いたらどうだろう」という意見だ。なかなか合理的だが、読者が「オジサン小説」を読みたいと思うかが疑問である。

個人的には、翻訳なんかやめて、「ノルウェー」や「ダンス3」、「遠い太鼓」のような勢いのある元気な春樹が好きなのだが。「走れ!カミュ」でも書いてほしい。

昨年、話題の有名新聞社の論説を担当されている委員の方と、ある会合の二次会で向かい合わせに座ることになり、ふと小説論になったのだが、彼は「小説は死んだ!」と発言した。「村上春樹は?」と私が問うと、「小説家ではない!流行作家だ!」と断定されてしまった。おそらく、ベストセラー「ノルウエーの森」だけ読んで、「作家と登場人物(ワタナベ君)と読者」の渾然一体化に乗れなかったのかもしれない。「野球小説だけを読んでいなさい」と言おうと思ったが、心の中に押し込んだ。


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