与謝野晶子生誕の地へ

2017-11-09 00:00:19 | たび
実は千利休の生誕地のすぐそばに与謝野晶子の生誕地がある。利休の生家は魚問屋であったが晶子の実家は和菓子屋である(念のため、300年違うので)。利休は紀州街道の西側に生まれ、晶子は東側で生まれた。和菓子屋は駿河屋という老舗だった。

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晶子は与謝野鉄幹と結婚して与謝野姓になるが、急性は鳳志よう(おおとりしょう)。月刊誌「明星」を通じて主宰者の鉄幹と知り合い、篭絡された。「明星」はロマン主義をもって中心思想としていて、北原白秋や石川啄木もグループに属していた。

また、晶子の思想は反戦主義でもあり有名な「君死にたまふことなかれ」が有名だ。また、鉄幹との間に12人の子供を産んでいる。少子化で汲々とする現代の日本なら、国民栄誉賞ものだろう。

堺市は地元の産んだ与謝野晶子と千利休を記念して、二人の生地の近くに「さかい利晶の杜」という記念館を建てている。一階が利休用で二階が晶子用だ。ついでに館長は与謝野馨氏である。

当日は晶子が選んだ新万葉集の特集をしていた。オリジナルの万葉集はかなり社会派的な歌が多いのだが、それにならって社会派和歌を収集しまとめている。本来、文芸の中に思想を入れ込むのは芸術でも思想でもない不完全なものになりやすいのだが、それが成功するというのは、かなりの量の秀歌が存在したのだろう。そういう時代でも負け戦に突っ込んでいった国なのだから、現代はもっと危険だ。

ところで、堺出身の有名人には、この二人以外にも将棋界の風雲児「坂田三吉(阪田三吉)」がいる。彼が記念館の仲間に入れてもらえなかった理由は、よく考えなければならないが、利休、晶子、三吉に共通するのは、権威に対する抵抗心なのだろうか。これもよく考えなければならないだろう。


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