萩に潜入1(松下村塾から伊藤博文邸へ)

2015-07-06 00:00:09 | たび
前々から長州藩の藩都だった萩には行きたかったのだが、簡単には訪れることが難しい場所だった。倉敷に仮寓があることから、春に下関側から突入を企てたのだが、山陰線で金子みすゞの故郷などで時間をかけてしまい、行けなかった。今度は新山口方面からバス便で萩に入ろうと思ったのだが、ちょっと寄り道して中原中也の生地に寄ったため、午後の入萩だった。

ところで、前々から行きたかった萩だが、現在、複雑な話が発生している。

一つは、世界遺産騒動。ちょうど行った日に萩の5か所が含まれる世界遺産が認定されるはずだったが、結論先送り。個人的には、韓国の反対はピンボケとして、日本の近代化ストーリー全体をどう評価するのかというのは、実は大きな問題だ。おそらく世界史的に考えて、善悪を超越した奇跡なのだろう。だからといって善なら世界遺産で悪なら遺産価値なしということではなく、原爆ドームの価値だってそういうものなのだろう。

そして、第二の問題は今年の大河ドラマ。巨乳女優を使って、視聴率を狙ったNHKの思惑がある程度成功し、市内にはドラマ館とか各種のぼりが存在。そもそも謎の男、吉田松陰のこともよくわかってないのに、・・・

そして、私も吉田松陰のことはよくわからないが、まず、松陰神社に行く。ここには松下村塾がある。まず、特筆すべきは、この場所。いわゆる城下町との間には川が流れていて分離されている。江戸流にいうと川向うだ。両国に住んでいた勝海舟みたいだ。

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そして、松下村塾は私塾だけあり、きわめて狭い。元々が吉田家の母屋の離れにある八畳プラスアルファの1DKだったようだ(それでも今の私の仮寓より広いが)。その後、講義室というのが増築された。二十畳はないかな。いずれにしても藩の直営だった明倫館とは比べることもできない。

実際は、松陰とその弟子とは一方的に教えるという関係ではなく、議論と対話と野外活動というような経験を積み、わずか1年で維新の第一波をラジカルに始めたわけだ。

尊皇攘夷は、「尊王」と「攘夷」という二つの概念で成り立つというのが後世の判定で、当初は「尊王=攘夷」という一体不可分論で、その後、英国の海軍力の前に「攘夷」をやめ「開国」を選んだというのが定説なのだが、松陰もそうだったのだろうか。密貿易で味をしめていた薩摩はともかく、この山がちな川向うの地で世界情勢を思えば、開国することによる暗澹たる恐怖感が、長州藩士のスタートラインだったのではないだろうか。

松陰神社でいつものように絵馬チェックをすると、一枚スゴイのがあった。

「最短で政治家になります」 願い事ではなく決意表明だ。がんばれイトーヨーヘー。博文の子孫かな。


次は、伊藤博文邸。松下村塾からは徒歩5分。川向う仲間だ。現地に行って色々なものを読むと、少し人物に対する認識が変わることもある(一方、現地ではいいことしか表示しないので警戒が必要)。

この、史上最年少(45歳)記録の総理大臣だが、生まれは武士ではなかった。農民の子。それが武家の養子になった。江戸時代なら、それだけでもよかった。川向うでもいい。

ある意味、失うものなんて彼には何もなかった。しかし、彼が総理大臣になるのは、激情家ではなく、理性があったからだろう。松陰の主張する要人暗殺行為には反対していたようだ。といっても、現在の法規から言えば、懲役20年位のことは・・

そして、無類の女好きだったようだが、そんな話は萩には残っていない。横浜では有名だが。

今もわからないのが彼が朝鮮総督府の初代総統だったこと。何度も総理大臣をして名を成した人物が、なぜ引き受けたのか。

公正な研究を待ちたい。


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