高橋泥舟の雪

2024-02-07 00:00:00 | 市民A
雪が降り積もっているころにオーディアブックスの「落語」を聴いていたら、まくら(落語に入る前の導入部の語り)の部分で人間の欲望の話になり、

欲深き人の心と降る雪は積りにつれて道を失う


という五七五七七が登場。柳家権太楼師匠は、客の受けに手ごたえを感じて、もう一回言い直した(二度目の受けは半分)。そして、ある有名人作としゃべって、間をおいて、ウソですと返した。



では、本当は師匠の創作なのかとも思って調べると、幕末の幕府側の登場人物である高橋泥舟の作だった。

高橋泥舟と言えば、勝海舟、山岡鉄舟とならんで三舟と言われるが、重要度で言えば海舟>鉄舟>泥舟となるのはしかたがないかもしれないが、そもそも泥舟って最悪の名前ではないだろうか。カチカチ山では最後に泥船が溶けてなくなり乗員乗客とも海に沈むわけだ。おそらく明治になってから過去を振り返りこの号を付けたのだろうと思ったが、やはりそうらしい。

しかも、もう一人の山岡鉄舟だが、そもそも剣道の名家山岡家に生まれたのは高橋泥舟の方だった。兄がいたため、妻方の養子になって高橋家を継いだのだが、その後、山岡家に残る兄が早世してしまい、実妹の婿養子に門人の鉄舟を迎えたということ。結果としての重要度は異なるが三舟とも幕末の停戦交渉に獅子奮闘をしていた。

ペリー来航時は18歳、明治元年には満28歳。隠居するには早すぎる。後半生は、東京市中で骨董鑑定をしていたと言われる。人の心も鑑定していたのだろう。

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