水道の過去、現在、未来

2013-09-15 00:00:35 | 美術館・博物館・工芸品
有楽町の日新製鋼本社1階にある日新製鋼ギャラリーで、東京(江戸)の生活を支えてきた都市水道の歴史についての展示が行われている。

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どうしてここで行われているのかだが、ステンレスメーカーとして水道事業の一部を担っているからだろう。もちろん、ステンレスと一般鋼では価値が異なるため、重要な部分に限ってステンレスは用いられるのだろう。話は都市水道とは関係ないが、原発関連の技術だって、錆びたら困るものだらけなのだから、元々少しでもステンレス化しておくべきだったのだろう。

さて、江戸の水道だが、本展を観るまで、勘違いしていて、江戸の水道は家康によって開闢された当初(17世紀中)は神田川をはじめ上水道が機能して江戸の大部分の地域はこれに頼っていたが、江戸中期には上方より深井戸堀の技術が伝わり、井戸を中心とした上水体制に代わっていった、という常識を持っていた。

しかし、今回の資料の中で、特に下町では、井戸を掘っても水が出ないので、水道の水で井戸を満たして、それを汲み出して使っていたということだそうだ。まさに井戸の偽用とでもいうべきだろうか。


そして、明治。今度はポンプによる水の供給である。ところが、井戸文化のせいか各自の家に水道が付くのではなく水道栓方式となったそうだ。そして順番に水道栓の前に並び、配給を待ったそうだ。

ところで、東日本大震災の際、東京から横浜まで30キロ強の夜道を歩いたのだが、勤務先の社を出て最初にしたことは、自販機から水を買ったこと。コートのポケットにボトルを入れて歩いたが、実際には、重いだけだった。

意外にも、自販機だけは各所で動いていた。もっとも、歩き疲れて、水を補給しようと自販機にお願いしても、熱いお汁粉かコーンスープしかない、ということもありそうである。


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