カール・ユーハイムと木見金治郎

2006-11-30 00:00:02 | カール・ユーハイム物語
このブログでは、いくつかの個人についてその人生をトレースしているのだが、特に力を入れた一人にカール・ユーハイムがいる。日本のバウムクーヘン王。

非常に簡単に彼の人生をまとめると、1886年ドイツに生まれ、幼少の頃にビール醸造業者だった父を亡くし、菓子職人の修業を積む。20歳の時に、ドイツが中国から長期租借していた青島(チンタオ)に渡り、ドイツ人街で菓子職人として仕事を始める。1914年、27歳の時、ドイツ人女性(エリーゼ)と結婚。

しかし、まもなく第一次大戦に突入し、青島は日本軍に占領されることになる。カールは捕虜となり、日本の大阪(後に広島)の収容所に送られる。その後、終戦となり1918年に釈放となるが、彼は妻子とともに日本に残る決意をし、明治屋銀座本店のドイツ料理店の菓子部門のマスターとなり、バウムクーヘンを焼き続ける。

そして、ある程度の蓄えができた1922年に独立し、横浜関内に、始めての店(ドイツ料理店)を出す。ところが、まもなく関東大震災が発生し、あとかたもなく店舗は壊滅。無一文で神戸に避難。

そして、彼ら一家は神戸で若干の幸運に恵まれ、三宮に喫茶兼洋菓子店を出店し、その後、業容を拡大していくのだが、やがて、時局は再び戦争の暗雲に包まれ、夫妻別々の時期に精神的疾患を患ったり、長女が早世し、長男がドイツ兵として出征(戦死)したりし、菓子の原料の配給もなくなり、1945年の神戸大空襲で再び店舗は壊滅。日本降伏の前日、8月14日に六甲山のホテルで天国に向かう。


3ba7a88c.jpg私は、戦争の世紀の大波にもまれた彼の人生を追うため、ある一冊の書物を入手していた。「カール・ユーハイム物語/頴田島一二郎・新泉社」。大変な苦労をして入手したのだが(もちろん合法的に)、相当、読むのが難しい本なのである。エピソードとか、歴史とか、かなり順不同で書かれている。因果関係がわかりにくい。この著者のこともよくわからないままなのだが、教師の傍ら、歌人として数冊の歌集を出版し、若い時分と晩年に伝記をしたためているようだ。

「カール・ユーハイム物語」はその晩年の作なのだが、カールの妻、エリーゼから聴き取った話や、カール・ユーハイム社の資料などから書いているのだろうが、何ヶ所かに年代的因果関係とか地理的関係とか疑問を感じていた。もちろん、一般的に、伝記には思い切って著者が補完、推論を入れなければ完成しない場合もあるが、読むだけならともかく、底本として、まとめ直そうというなら、今度はその人間の責任になる。

そのいくつかの疑問の一つが、神戸時代のエピソードとして、関西の将棋指しで、阪田三吉と人気を二分していた木見金治郎についての記述だった。頴田島は、著書の180ページから181ページにかけ、こう書いている。


<カールとチェス>
 夕方になると三宮バーに出かけるのは、ビールのためばかりではなかった。一つにはチェスの相手探しもあった。チェスともなれば時間はまたたく間にたつ、その末が店から女の子の迎えになるということだ。店に来るドクター・フォクトなども、つかまるとどこでも相手にされる。カールの坐る椅子は定まって三番テーブル、背中にナショナルのレジスター。その席で来客とチェスを闘わせている姿はよく見かけられた。
 大阪にいた将棋の木見金次(ママ)郎が店に来た時など、待ってたとばかり、チェスの相手にした。しかもカールの方が強かった模様で、「マツサン、負ケテモ、勝ッテモ、私オ金出シテ、食事サスノ」と、アマさんにいっていた。
エリーゼが病気静養にドイツに帰国中など、店から帰ってマツの料理で食事をすますと、
「サヨナラ」といっては、どこにともなくよく出かけていった。そして、朝になって帰って来たりした時は、
「私、東京ニ行ッテ来マシタ」と冗談と、はっきりわかる言い方でマツを笑わせ、朝食をすまして店に出かけるのだったが、それもチェスに思わず夜を明かしたのかもしれない。
 エリーゼがいたら、あまり遅くまでチェスに打ち込んでいると、電気を消されてしまうのだから。

最大の疑問は、「しかもカールの方が強かった模様で、・・・」というくだりで、実感として、将棋八段ともあろうものが、将棋とほぼ同じようなゲームであるチェスで、素人のカールより弱いというようなことがあるのだろうか?ということ。そして一つ疑いだすと、この底本に、疑問の数々が浮かんできていた。

まず、銀座に行くと、本に記載された何軒かの老舗の位置関係が違う。横浜では、書かれたとおりの場所では、関東大震災の時の記述との関係で若干無理がある。大阪の捕虜収容所から新築の広島の似島収容所への移送も、スペイン風邪流行のためとなっているが1年異なるとか・・

そういう部分を一つ一つ調べながら、新たなカール・ユーハイムを組み立て直さなければならなかったわけなのだ。

3ba7a88c.jpgそして、一方の木見金治郎も謎の多い人物なのだが、先日、やっとおぼろげな年譜が描けた。

1878年、岡山県倉敷の古鉄商の家に生まれる。カール・ユーハイムより8歳年上。その後、20歳頃までは実家でブラブラしていて、賭け将棋をしていたようだ。ところが、後の名人、関根金次郎という大強豪の前に一ひねりされ、古今の定跡書を読み、将棋の勉強を始める。1914年に家業を捨て37歳で東京に出てプロ棋士になる。その頃、カールは青島で結婚し、運悪く、第一次大戦で捕虜となる。

そして、戦争が終わった頃、再び古鉄の相場が上昇し、木見は大阪に戻り古鉄商を再開するが、将棋と力仕事の両立は難しく、うどん屋を開業し、弟子に出前持ちをさせながら、将棋棋士の道を進む。当時、大阪朝日の阪田三吉に対抗し、大阪毎日のスター棋士になる。その頃、カール・ユーハイムは関東大震災に罹災し、無一文で神戸に逃れてくる。

頴田島の記述の中で、エリーゼの帰国中に三宮バーで木見とチェスに打ち込むと書いているが、エリーゼが病気療養でドイツに帰った時期は、1926年から1927年なので、ユーハイムの神戸の店が軌道に乗った頃だし、木見にとっても、比較的平和で順調な時期だったはずだ。

そして、その後1937年に木見は東京に上京し、名人戦リーグに参加する。そして惨敗。また、同年、盧溝橋事件が勃発し、そのニュースを知ったカールは近づく戦火を予想したのか情緒不安定となり、入退院を繰り返すようになる。二人の二つの事象が関係あるのか、ないのかはわからない。

カールは1945年、58歳で亡くなり、8歳年上の木見は1951年、73歳で亡くなる。弟子に大山康晴、升田幸三という巨星を得る。向こうの世界ではカールの方が6歳年上になる。

頴田島は、チェスではカールの方が木見より強く、カールが勝っても、相手に食事を奢っているように書いているのだが、おそらく、木見の前歴から言えば、木見が賭けチェスで勝っていて、カールに食事代を払わせていたのだろうと推測できる。カールは、遅い帰宅の際、家人らに心配させないように言い訳をしていたのだろう。と、深読みして、微笑みたくなる。

そして、今頃は、あちら側の世界で、二人でチェスを楽しんでいるのだろう。ただし、持ち時間はいくらでもあるのだが、食事代を賭けるわけにはいかない。

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