国葬決定が早すぎたのだろう

2022-09-08 00:00:35 | 市民A
いつも、仕事が遅い現首相が早々と『国葬』を決定したわけだが、その時には旧統一教会問題は見えていたはずで、反対派が多数の現状について、読みが甘かったということだろう。

国葬の理由としていわれているのが、「長期政権」と「外交成果」、「弔問外交」。

長期政権というのは悪いことだけではなく、成果を上げるためには良いことも多いのだが、実際には「成果がない」ということではないだろうか。五輪成功を唯一の成果にしようとしていたが、最近の汚職捜査を見れば成果を誇るわけにはいかないし、なにしろ五輪の時には退任していた。

「外交成果」といっても実利的なものはなく各国首脳との親交といったところだが、親交を深めた上、現在も政権の座にいるのはロシアの大統領だけではないだろうか。

「弔問外交」といっても誰が来るかもわからない。カルトとの関係に敏感な国は多く、慎重になるだろう。また、もはや世界は二分化しているわけで、外交で物事が決まる時代ではないわけだ。

そして、思えば、前例主義ならば、国葬のラインが佐藤栄作以上吉田茂以下ということになるが、ノーベル賞と沖縄返還の佐藤栄作は超えてはないと思われる。

やめても誰も困らないだろう。