サラ川興隆の末に見える川柳の未来

2015-08-30 00:00:15 | 美術館・博物館・工芸品
たまたま第一生命ビルに行ったのだが、マッカーサー執務室は休館中で、第一生命ギャラリーで「サラリーマン川柳」の優秀作が展示されていた。

まいとし年末に発表される優秀作だが、昨年は、

一位:皮下脂肪資源にできればノーベル賞

二位:湧きました 妻よりやさしい風呂の声

三位:妖怪か ヨーデルヨーデル 妻の愚痴

sarasen


ベスト10以外にも毎月の優秀作とか歴代優秀作が公開されている。

要するに、家族(主に妻)の悪口と自虐ネタと会社でのダメネタが中心だ。なんとなく未来に対する明るい希望のようなものは皆無だ。人間は喜劇よりも悲劇を好むのだろう。


しかし、もともとは川柳は、狂歌の短縮形という形で登場した。短歌の形を利用して政治的なプロテストを表現していた。その短縮形として江戸時代に柄井川柳という人が打ち出したわけだ。したがって、妻の悪口や、自分の老齢化を営々と詠むというのは、まったくまと外れということになる。

要するに、サラリーマンというのが非芸術的存在ということだろうか。あるいはたくさんの作品の中から、政治性がなく現政権への批判性がないものだけを優秀作としているんだろう。歴代作品みても主張性があるものは選ばれていない。

本来は川柳という形式形態を利用していたものが、「サラ川」というものが「川柳」を乗っ取ってしまったようなものなのだろうか。

譬えが悪いが、アマゾンアカミミガメ(ミドリ亀)が日本固有の亀を駆逐したとか、縄文時代人を追い出したといわれる弥生時代人のようなことなのだろうか。北方四島に住んでいるロシア人とか。国政選挙のつど国会内にはびこる「○○チルドレン」とか・・

ということで、毒のないフグのような最近の各年度のベスト100の中から自分好みの一句を探してみると、・・

実は見当たらないわけだ。

サラ川の隆盛は政治・社会批判色の強い川柳の没落を招くことになるのだろうから、これも政権維持装置の一つなのだろうか。