佐藤「黒」

2011-02-25 00:00:02 | あじ
佐藤酒造と言えば鹿児島県の霧島にある酒造会社で、さぞ噴煙の影響で苦労されているものと想像されるのだが、何のお役にも立てないのだろうけど、佐藤酒造製の焼酎を2度ほど飲むことになる。

といっても、鹿児島で飲んだのではなく、東京で。

ところで、佐藤といえば、「黒」とか「白」とかいって、一時は芋焼酎に、かなり高額のプレミアムがついて取引されていたようだが、最近ではそうでもないようだ。元々、蔵元直販は行わない方針と言われていて、それが高騰の理由でもあったのだが、価格が下がって中流階級の喉にも入るようになった。佐藤「黒」をボトルで注文。4合瓶。



で、飲み方だが、たまたま数人のテーブルで、知人の脇に、水割り、お湯割りセットが置かれた関係で、遠慮して生地(ストレート)で飲むことにする。

それが良かった。

なかなか手厳しく、奥の深い味。チビチビとしか飲めないので、鯨飲派には向かない。遅飲み遅食い派にちょうどいい。ただし、当日の料理は「しゃぶしゃぶ」。牛ではなく黒豚ならいいが、残念ながら東京だ。

後日、薩摩料理店にいって、地鶏炭焼きとともに佐藤黒を飲み直すが、なんとなく鯨飲派の隆盛の前に、押される。

ところで、この「黒」とは、黒麹を意味するそうだ。米麹の一種。元々は琉球の泡盛の原料で、薩摩に入ったのは明治の頃らしい。それまでは、九州一円の焼酎は黄麹を使っていたのだが、製品収率の点で黒麹に置き換わる。ところが、黒麹の欠点として、温度管理が難しいとか、カビが飛んで発酵場全体が黒く汚れるといった問題があった。そのため、黒麹の改良版として白麹が用いられるようになる。

しかし、何の道でも行き詰った時に辿りつくのが「原点回帰」。黒麹の素朴で深遠な味を復活させるために、温度管理を徹底することで佐藤酒造はじめ、いくつかの蔵元が「黒」を復活させたということのようだ。


さて、「麹」という文字を書きながら、東京の麹町のことを思い出す。昭和中期の日本国のエリートコースと言えば、番町小学校→麹町中学校→都立日比谷高校→国立東京大学ということで、これが最も学費が安いコースでもあった。

四谷駅のあたりが麹町という地名である。ただ、古くは糀村と呼ばれていたようだが、その語源が、「糀職人」に起因するのか、四谷荒木町のように今でも細い路地が入り混じった「小路地」に起因するのか、府中の国府まで伸びる現在の新宿通りに因む「国府路」に起因するのか定説はないようである。

ところで、番町小学校にしても麹町中学校にしても公立学校である。近隣の大きな庭園内にお住まいになられている自己主張の強い相撲好きのご令嬢も、あれこれ規則ばかりうるさい私立小学校にサヨナラして、公立学校に転校して、もっと庶民に近づいてみたらどうなのだろうと思いながらも、千代田区には、あまり庶民はいないのだろうとも思い巡らすのである。