三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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韓国裁判所「強制動員被害者の遺族に1億ウォン賠償」…日本企業、2審敗訴

2024年06月29日 | 国民国家日本の侵略犯罪
「中央日報日本語版」 2024.06.21 10:03
■韓国裁判所「強制動員被害者の遺族に1億ウォン賠償」…日本企業、2審敗訴
 日本戦犯企業が日帝強制動員被害者の遺族に1億ウォン(約1140万円)を賠償することを命じる控訴審裁判所の判断があった。1審では請求権疎明時効が過ぎたとして敗訴判決を出したが、2審裁判所は強制動員被害者の遺族の手をあげた。
 20日の法曹界によると、ソウル中央地裁は18日、強制動員で死亡した故パク某氏の遺族が日本建設会社の熊谷組を相手取り提起した損害賠償請求訴訟控訴審の宣告で「遺族に1億ウォンを支払うべき」とする原告一部勝訴判決を下した。
 勝敗が変わった争点は損害賠償請求権疎明時効だった。民法上、損害賠償請求権は加害者が不法行為をした日から10年が経過したり、被害者や法定代理人が損害および加害者を知った日から3年間に行使しなければ時効により消滅する。
 1審裁判所は強制動員被害者の賠償請求権を初めて認めた2012年5月24日の大法院(最高裁)以後遺族らが訴訟を提起しただけに、すでに消滅時効が過ぎたと判断し、原告敗訴の判決をした。半面、控訴審裁判所は消滅時効基準を2012年でなく2018年と見るべきだと指摘した。消滅時効計算基準を2012年の大法院の判決でなく、この判決が再上告を通じて確定した2018年と見なした。これは2018年に大法院の判決が宣告されるまでは被害者が日本企業を相手に権利を事実上行使できない客観的障害事由があると解釈した昨年12月の大法院判決の趣旨に基づく。
 裁判所は「2012年の大法院判決は国内外で論議が続き、日本企業も賠償を拒否し、政府の公式的な立場もなかった」とし「事件当事者の権利が確定的と認定されたのではなかった」と説明した。続いて「2018年の全員合議体の判決後、救済の可能性が確実になり、原告は判決から3年が経過する前に訴訟を提起した」と述べた。


「The Hankyoreh」 2024-06-10 07:39
強制動員被害者への賠償問題、日本も少しは「鼻血を垂らす」覚悟を【コラム】

【写真】3月25日午前、強制動員被害者のイ・チュンシクさんの長女、イ・ゴウンさん(65)が、訴訟を代理したイム・ジェソン弁護士とともに謝罪と賠償を要求するために東京千代田区にある日本製鉄本社に向かっている=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 先月24日、太平洋戦争被害者補償推進協議会と民族問題研究所が企画した「強制動員被害者運動記録写真展」の開幕式行事に出席した。韓日の市民社会が日本を相手に戦後補償運動を始めたのは、韓国が「6月抗争(1987年)」を通じて民主化を勝ち取った直後の1990年初めからだった。昔の写真を眺めていると、この長い闘いが始まってからすでに30年余りが過ぎたという事実を改めて気づかされた。
 鋼のような意志で闘い続けてきた彼らも、やはり寄る年波には勝てなかった。被害者の多くが亡くなり、同日の行事に出席できたのは被害者の中では「若い世代」の不二越勤労挺身隊被害者のイ・ジャスンさん(92)、キム・ジョンジュさん(92)、キム・ゲスンさん(94)の3人のおばあさんだけだった。イ・チュンシクさん(100)とヤン・クムドクさん(95)は出歩くのが難しく、子どもが代わりに出席した。年波に抗えないのは60~70代になった日本の活動家たちも同じだった。出席者たちは20~30年前の写真に写った若かりし頃の自分たちの姿を眺めながら、抱き合って泣き笑いした。
 4日には日帝強制動員被害者支援財団が設けたシンポジウム「日帝強制動員研究と活動20年:報告と評価、そして見通し」が開かれた。この行事の雰囲気も大きく変わらなかった。二つの行事を見て、韓日の市民が汗と涙で続けてきた戦後補償運動が今や「最後の段階」に達したことを痛感せざるを得なかった。運動の成果をしっかり振り返り後世に伝えるのは、残された世代の役目だろう。
 韓国人強制動員被害者たちが1990年から日本で提起した被害補償訴訟は計10件にのぼる。このうち日本製鉄など3件の訴訟では、日本企業が被害者に「慰労金」を支払うなど和解したが、他の訴訟は被害者側が全て敗訴した。納得できなかった被害者たちが韓国の法廷に場所を移し、2018年10月に奇跡のような最高裁(大法院)判決を勝ち取ったことは周知の事実だ。
 判決以後、韓日は骨身が削られるような壮絶な対立を繰り広げた。その後登場した尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は昨年3月、「第三者弁済案」を骨子とする屈辱的な譲歩案を示した。しかし、日本がこれに対してこれまで出した「呼応措置」といえば、日本経済団体連合会がソウル江南(カンナム)のマンション一戸分の値段にも満たない2億円を、賠償と関係のない交流事業に拠出すると発表しただけだ。日本の被告企業は3月末、被害者の息子や娘たちが本社を訪ねて面談を要請したにもかかわらず、応じなかった。このような現実を考えると、日本の「前向きな対応」を引き出すことは初めから不可能だったのではないかとの結論に至らざるを得ない。だからといって、韓日市民が成し遂げたこの素晴らしい成果を、今のように光の当たらないところに放置しておくわけにはいかない。
 そこで提案したい。政府の第三者弁済案を批判しようと思えばきりがないだろうが、当然慰謝料を受け取るべき原告たちに現実的な選択肢を提供したことも事実だ。実際、2018年10~11月に判決が確定した15人の被害者のうち11人が支払い金を受け取った。シム・ギュソン財団理事長によると、その後追加で勝訴判決を受けた52人のうち90%以上がこの案を受け入れる意思を明らかにした。このお金が支給されるように、政府と1965年の韓日協定の恩恵を受けた企業が同意し、必要ならば社会的合意を通じて特別法の制定も考えなければならない。
 第三者弁済を拒否する人たちは、被告の日本企業の資産に対する現金化を進めている。ヤン・クムドクさん事件(三菱重工業の商標権)は2022年5月から、イ・チュンシクさん事件(日本製鉄のP&R株式)は2023年1月から裁判所の最終判断を待っている。最高裁も頭を抱えているだろうが、もう決断を下さなければならない。日本が高く評価する尹大統領の在任中に現金化が行われてこそ、外交的衝撃を少しでも和らげることができる。政権が変わった後に決定が出たら、2018~2019年に匹敵する「第2の韓日戦」が勃発するかもしれない。
 日本にも要請したい。現金化が終われば、韓日間の歴史問題は両国が解決策を見出さなければならない「外交懸案」ではなく、「記憶と教育の問題」になる。尹大統領は「屈辱外交」という非難を甘んじて受け入れ、多量の出血をともなう内部損傷まで甘受したのに、日本も鼻血1、2滴ぐらいは流す覚悟をしなければならない。それが嫌ならば、今からでも高齢の被害者の手を握って、たった一言でも「申し訳なかった」と言ってほしい。

キル・ユンヒョン|論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-06-09 20:10


「中央日報日本語版」 2024.06.06 09:52
■「過去の幽霊を放置すれば現在を抑圧」…太平洋戦争を厳しく批判する展示会=韓国

【写真】シンガポールの芸術家、ホー・ツーニェンの「旅館アポリア」(2019)は黒い畳が敷かれた6つの部屋で見る神風関連の映像インスタレーションだ。[写真 アートソンジェセンター]

◆太平洋戦争が勃発すると150人以上の日本の詩人・写真家・哲学者・監督・俳優など文化人が宣伝に動員されて境界地で「文化戦争」を実行した。キャラクター「フクちゃん」で有名な漫画家の横山隆一(1909~2001)も宣伝部隊の一員としてインドネシアに派遣された。横山は1944年最初の海軍宣伝物『フクチャンの潜水艦』を製作した。晩年のインタビューで、戦争の時のことを尋ねられると、横山は「それはすべてささいなことで、一度も後悔したことはない」と答えた。

【写真】漫画家・横山の海軍宣伝アニメを借用したホー・ツーニェン氏『旅館アポリア』の一場面

◆映画監督の小津安二郎(1903~63)は1943~46年にシンガポールにいた。日本軍は1942~45年シンガポールを占領した。宣伝映画を製作するためだったが、製作が中止となった。小津はこの期間、『市民ケーン』など日本軍が押収した米国映画を見てテニスと水泳を楽しんだ。以降、小津が作った映画には戦争の傷痕が溶け込んでいる。彼の墓碑にはたった一文字だけ非常に大きく刻みこまれている。「無」。

 暗い展示場に6つの小さな部屋、風を起こす巨大なファンが設置された。黒い畳が敷かれた各部屋に日本の古い旅館の様子、『晩春』(1949)など小津監督の映画のシーン、旭日旗に敬礼するフクちゃんの姿が入った横山の戦争期アニメ、神風特攻隊に関連した記録写真などが上映された。シンガポールのメディアアーティストであり映画監督のホー・ツーニェン氏(48)の『旅館アポリア』(2019)だ。

 ソウル栗谷路(ユルゴンノ)アートソンジェセンターでホー氏の初めての韓国個人展『ホー・ツーニェン:時間とクラウド』が8月4日まで開かれる。3日、展示場で会ったホー氏は「小津とは違い、横山は自身の有名な漫画キャラクターを軍国主義キャラクターに変形させた。2つのスクリーンを通じて2人が下した選択肢を一緒に置いて眺められるようにした」と説明した。「アポリア」は一つの命題に対して証拠と反証が共存するが、どれか一つを真実と規定しにくい状態を意味する学術用語だ。タイトル通り、さまざまな人生を観照するが、日本帝国主義が掲げた「アジア性」に対する批判だけは鋭い。

 多視点演劇のようなこの作品の始まりは2019年日本「あいちトリエンナーレ」だった。韓国では慰安婦被害者を描写した「平和の少女像」をめぐる検閲問題として記憶される国際美術祭だ。トリエンナーレ側はホー氏にこの地域の伝統旅館である喜楽亭に展示する作品を依頼した。ホー氏はここが神風特殊部隊と関連した場所だったことに着眼して『旅館アポリア』を完成させた。喜楽亭から出発して、神風、大東亜共栄圏、東南アジアに宣伝部隊員へと主題を発展させた。日本人キュレーター・翻訳家などと資料調査をし、やりとりした手紙を日本語ナレーションとして映像に流した。感情や解釈を入れずに事実関係を伝達する文章だ。

 ホー氏は「歴史を扱う理由は私たちの現在に影響を及ぼすためだ。過去の幽霊と直面しなければ、さまざまな形となって私たちを押さえ込む」と話した。映像の中の人物は顔が消されたまま登場する。作家は「消された顔は誰でもないと同時に全ての人々でもある。もしかしたら私たち自身をそこに投射することができるという点で、過去の存在を連れてきて現在に存在させた」と説明した。

 ホー氏は注目するに値する現代芸術家に与えられる「CHANEL Next Prize 2024」を受賞した。アジアを一つにしようとしていた日本の軍国主義を批判して今日の鏡とする彼の作品がアジア人の共感を得ている格好だ。

 今回の展示ではシンガポール美術館・アートソンジェセンターなどが共同製作した新作『T for Time』と『Timepieces』も公開される。地下アートホールでは『未知の雲』(2011)など作家の旧作4本が上映される。観覧料は成人1万ウォン(約1140円)。
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