喪失「散り乱るらむ」

2009-04-16 | 【樹木】櫻
 阿保山の櫻の花は今日もかも散り乱るらむ見る人もなしに(万葉集)
 そういうこともあろう。
 無念なこともある。
 わたしが小学生の頃、学校の行き帰りに見ていた櫻は、今もあるのだろうか。
 春には花をつけているのだろうか。
 もう老いて朽ちたか。
 山の上ではなく、犀川べりに生えた櫻だった。
 花の下で撮った写真があった。
 あの写真は、どこに消えたのか。

会議のあと

2009-04-15 | 【樹木】ETC
 長い会議を終えて、前庭に出る。
 煙草に火をつける。
 もうすぐ日暮れ。
 早く帰らなくてはと思う。
 ニレ科のケヤキはこまかい葉をいっぱいつけた。
 アマンドの花のそばで、キタコブシも薄緑の葉をふやした。
 モッコウバラが淡黄の花でフェンスを飾った。
 いつのまに、こんなに綺麗になったんだと眺める。
 彼女はこの花に気づいたろうか。
 そう思いながら、駅に向かう。

君は誰のこ姫林檎

2009-04-15 | 【樹木】ETC
 ヒメリンゴ(姫林檎)の花は、はじめ淡紅色で、満開の頃には白くなる。
 その出自については、はっきりしたことは知られていない。
 おそらく、中国から渡来したイヌリンゴ(犬林檎)とエゾノコリンゴ(蝦夷の小林檎)の雑種であろうと言われる。
 花期は、5~6月とされるが、先日、白い花をつけているのを見た。
 バラ科リンゴ属の木である。

なじみの八重櫻

2009-04-14 | 【樹木】櫻
 東京の染井吉野の花はあらかた散ってしまった。
 昨日、夜道を急いで歩いていた。
 その道には八重櫻が植えられている。
 花の盛りであった。
 その時季なのである。
 何という種類の八重桜かまではわからない。
 自宅最寄りの駅のホームぞいにも八重桜がある。
 今朝、その花に気づいた。
 毎年見ている櫻である。
 もうひとつ、ほぼ毎年見る櫻がある。
 今度の休日に墓参に行く予定である。
 霊園の丘のうえに八重桜がある。
 いつも見事な花を見ることが出来る。
 とりたてて言うほどのことではないが。

新緑に牡蠣はかくれる

2009-04-14 | 【断想】牡蠣
 何日か暖かい日がつづいている。
 木々の葉の生長はめざましい。
 四月なかばである。
 窓から見える欅、辛夷、熊四手や犬四手の若葉は、視界を遮り出している。
 この時期、スーパーなどの店先から、牡蠣が姿を消す。
 この動きには、二週間前あたりから気づいていた。
 冬牡蠣のシーズンは、もう終わっている。
 牡蠣を食べたければ、オイスターバーにでも行くしかなくなるなと思っていた。
 そんな昨夜、酒席があり、その帰り道にオイスタバーに寄れた。
 たまたま連れにめぐまれたのだ。
 兵庫の赤穂、アメリカのハマースレイ、カナダのクッシを白ワインで食べた。
 さて、次の機会は・・・・・。

水に縁あるヤマブキ

2009-04-13 | 【樹木】ETC
 吉野川岸のやまぶき咲きにけり嶺のさくらは散りはてぬらむ(藤原家隆)
 新古今和歌集に収められている一首である。
 ヤマブキ(山吹)は、湿気の多い地を好むようである。
 秩父だか富士山麓だったか、どこかでヤマブキをメインにした公園に行ったことがある。
 全体に薄暗く、じめじめしたところで、水車小屋もあったように思う。
 公園奥の傾斜地を歩こうかと思ったが、蝮に注意との標識があり、やめた。
 そう言うことで、ヤマブキが詠まれている和歌には、川や蛙がよく出てくる。
 蛙を食べる蛇までは、出てこないようだが。

ムルソーの幸福

2009-04-13 | 読書
※ここのところ、アルベール・カミュの小説「異邦人」(新潮文庫)のことを、このブログで、何度か取り上げた。その際、翻訳者の名前を間違って記していた。白井浩司でなく、窪田啓作である。お詫び申し上げます。訂正させていただきました。

 カミュの「異邦人」は広く読まれた小説である。
 主人公のムルソーへの共感が、多いからであろう。
 私たちは、悲しくないのに悲しい振りをしたり、振りをしているうちに本当に涙を流したり、それぞれに己をごまかしつつ暮らしている。
 世間で受け入れてくれる「よき人」を演じているとも言える。
 裁判は、一般的な通念、良風とされる観念を集約したものを、判断材料として行われる。 もし、個々人が、己をごまかすことをやめ、演じることをやめてしまうと、ムルソーのようになってしまう。ただ、実際は、己のうちなる声に、耳を傾けることなく、この世を過ごす人が大概か。
 社会のルールというのは、時とともに変化もする。地域によっても異なる。いずれにしろ、絶対的なものとは思えない。あらかたの人が、それでよしとすという程度のものだ。ただ、それもなかったら、あらかたの人が困ることになる。
 ムルソーの司祭とのやり取りも、信仰や神のことがテーマになっているが、同じようなことかと思う。特に、キリスト教文化圏にない、日本では、ムルソーの考え、スタイルも受け入れやすいのでないか。
 久し振りの小説だった。
 一番最後にあるムルソーの思いを記した部分が印象的だった。意味がとりにくいところがあるが、以下の通りである。
 「・・・・・死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、全く生きかえるのを感じたに違いなかった。・・・・・・そして、私もまた、全く生きかえったような思いがしている。・・・・・・と星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。・・・・」
 これは、宇宙との一体感のようなことだろうか。

蓑ひとつだになき

2009-04-13 | 【樹木】ETC
 ヤマブキ(山吹)の花には、一重五弁のものと八重咲きのものがある。
 八重の山吹は、実をつけることがない。八重というのは、雄蕊や雌蕊が、花びらに変化していることが多い。山吹においても、雄蕊は花びらとなり、雌蕊は退化してしまっているのである。
以下、有名な話である。
 降り出した雨にこまり、蓑を所望した太田道灌に、村娘が差し出したのは、八重の花がついた山吹の枝であった。道灌は、その意を解さぬまま、蓑を手に入れることなく、その場を離れた。
 後になって、道灌は、次の和歌を知り、不明を悔いる。
  七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき(兼明親王)

吹く風と山吹の花

2009-04-13 | 【樹木】ETC
 春の野に咲く山吹色(ヤマブキイロ)の花。
 その花の色は鮮やかである。
 それは、色の名ともなった山吹(ヤマブキ)の花。
 バラ科ヤマブキ属の落葉低木。
 古今和歌集から、紀貫之の一首。
  吉野川岸の山吹ふくかぜにそこの影さへうつろひにけり
 木々の緑がいっきに増えている。
 春はすすみ、うつろう。

春のはじめの三葉躑躅

2009-04-12 | 【樹木】躑躅
 普通、ツツジの開花期は4~5月、サツキは5~6月。
 しかし、あまり厳密なものではないようで、住まいの前の公園のツツジは、一部、花をつけている。
 ツツジ科のうち、まっさきに花をつけるのはミツバツツジ(三葉躑躅)。
 その開花期は、3~4月。
 染井吉野と同じで、葉に先立って花が咲く。
 春本番前の野に目立つ。
 葉は、三枚づつ輪生するので、ミツバツツジ。
 写真は、昨日撮ったものである。

木々の花が多い

2009-04-12 | 【樹木】ETC
 日曜、都心からの帰りの電車の中で、カミュの「異邦人」(窪田啓作訳・新潮文庫)を読み終えた。
 それで、電車の外を眺めていた。
 木々の花が多い季節だ。
 馬酔木、櫻(数種)、花水木、木蓮、椿、山吹、辛夷、躑躅などに気づいた。
 「異邦人」の後半では、主人公のムルソーは、警察につかまり、裁判をうけ、死刑囚として刑務所で過ごしており、そこには、植物は出てこない。

久しぶりの葉巻で

2009-04-12 | 【断想】ETC
 休日の日暮れ時、随分久しぶりに葉巻を喫った。
 数ヶ月前にもらった葉巻をそのままにしていたのだ。
 喫いながら、五年前に肝臓癌で亡くなった友人のことを思い出していた。
 彼は、死ぬ前の数年間だったと思うが、葉巻が好きだった。
 新宿の煙草屋へ一緒に行ったことがある。
 彼は、あれこれ物色して、結構高価な葉巻を買った。
 俺は、パイプ用の煙草を買った。
 一緒に、ジャズ・クラブに行ったことがあった。
 その店には、捜していた店が見つからなくて、間違って入った。
 しかし、しばらくジャズ・ヴォーカルを愉しんだ。
 いい奴だった。
 馬や山椒魚、熱帯魚、そして甲斐犬のこと、手作りの潜水艦のこと・・・・・。
 あいつは嬉しそうに話していた。

山櫻のある道を

2009-04-12 | 【樹木】櫻
 日本の櫻の七割方をしめるにいたった染井吉野(ソメイヨシノ)は、江戸時代末期に生まれた。
 古来、和歌などに詠まれた櫻は山桜(ヤマザクラ)が中心である。
 山桜は、白い花と同時に赤っぽい若葉がつく。
 染井吉野は、葉に先駆けて淡紅の花が咲き誇る。
 それで、より華やかである。
 そのかわり、野性的なたくましさは少ない。
 染井吉野は、日本の特別の時代と結びついて思われる。
 山桜は、日本の古来の伝統と結びついて思われる。
 昨日、山櫻のある道を選んで歩いた。
 山家集から西行の一首。
  おのづから来る人あらばもろともにながめまほしき山櫻かな