「日本狼は生きている」

2008-03-31 | 読書
 西田智著「ニホンオオカミは生きている」(二見書房/2007年7月20日発行/1600)を読んだ。
 昨秋、狼神社とも呼ばれる秩父の三峯神社に行き、境内にある三峯山博物館で、オオカミの特別展をみた。ニホンオオカミの目撃情報として、そこに展示されていたそれらしき動物の写真の撮影者が、「ニホンオオカミは生きている」の著者である。写真は2000年に撮られたもので、その著書にも収録されている。なんとも目を引きつける写真である。オオカミなるものを読者に知ってもらうためか、いつも多摩動物公園で見ているなじみのヨーロッパオオカミ(タイリクオオカミ)の写真も掲載されている。
 ニホンオオカミは、およそ100年前に絶滅したというのが定説となっており、西田氏の写真が公表された時には、それだけに話題となった。その後も、「あれは果たしてニホンオオカミだったのか」と論議が続けられ、いまだに波紋がある。これらの顛末のこと、剥製他でいまに残るオオカミの痕跡のこと、氏のフィールドワークのことなどが綴られていて、たいへん興味深く読んだ。
 全体を通じて感じたことは、もし本格的な調査が行われれば、わが国に、ニホンオオカミが生き残っているかどうかということぐらい確認できるのではないかというもどかしさである。
 ニホンオオカミに関心のある方は、一読するといいと思う。堅苦しい学者の専門書ではないので、読みやすく、漠とした狼とその周辺に関する知識を幾らか整理できよう。

 この本を読むことによって、去年、このブログ(9月27日)で、三峯博物館で見た写真について、「なんだか首輪のあとが残っているように見えた」と書いたのは、誤った感想であったことに気づかされた。

黄色いボール

2008-03-30 | 【樹木】ETC
 「コウゾ、ミツマタは紙の原料」と、小さい頃に教わった。
 そのミツマタ(三椏、三叉)が今、花をつけている。三つに分かれた枝に、小さな筒状の花が球のようになってついている。黄色い球である。それは花びらでなく、萼。

黄色い翹を連ねて

2008-03-27 | 【樹木】ETC
 早春の野に咲く連翹(レンギョウ)の花。モクセイ科の低木で、あちこちで見られる。黄色い花は、深く切れ込んだ四弁(四裂)、マンサクも早春に咲き、黄色で四弁。
 マンサクの花弁はリボン(紐)、レンギョウは翹(羽)。野の中ではレンギョウの方がインパクトはうえ。
 レンギョウの古名はイタチグサ(鼬草)。もともとは、トモエグサ(巴草)のことをレンギョウと呼んでいたそうである。

君が美しいとき

2008-03-26 | 【樹木】ETC
 イヌシデが花を垂らしだしている。薄緑をふくんだ黄茶色である。別段、美しくもなく、めでられることもない。イヌシデが美しいのは、やはり秋、整った木の姿に紅葉した葉をつけるときだ。
 みなそれぞれに持ち味がある。
 美しいときも異なる。

クヌギの「ドングリ小僧」

2008-03-25 | 【樹木】櫟
 ベランダの鉢植えのクヌギは、2回目の春を迎えている。枝には、新芽がツンと伸びて、この先が楽しみである。
 クヌギというのは、何歳くらいから、実をつけるようになるのだろうか。クヌギの実は2年型と言われる。「実の子」をつけだしても、一冬越した翌年の夏以降にならないと大きく膨らまないという。
 ベランダのクヌギに「ドングリ小僧」が出来るのは、いつなのだろうか。

クロマツと烏

2008-03-24 | 【樹木】ETC
 出先で、1時間半ばかり空き時間があった。
 電車で一駅、目黒に行って、自然教育園に入った。
 入って間もなく、烏の声がする。
 以前に行ったときもそうだった。
 烏の姿と声の多さが印象に残る植物園である。
 他には、大きく古い見事なクロマツがあった。

馬酔木に浮つく

2008-03-22 | 【樹木】ETC
 程久保川ぞいの遊歩道に、馬酔木(アセビ)が植えられている。
 今、花をつけている。
 馬酔木は、ツツジ科の低木、小高木。
 小さな白い釣鐘状の花の連なりを手ですくってみる。
 そして、互生の葉を指ではさんでみる。
 その葉を馬が食べると酔ったようになるそうだ。
 毒を含んでいるということである。
 俺は、毒を飲んだわけではないが、春のせいか、何か浮ついている。

青柳をかづらに

2008-03-21 | 【樹木】梅
 白や淡紅の梅の花が咲き、ほのかな芳りをただよわせ、枝垂れ柳の葉が若々しい緑をなし、風になびく季節である。
 なんとも享楽的な感じがして、好きな一首である。前にも、このブログで取り上げたが、もう一度。
 《梅の花咲きたる園の青柳をかづらにしつつ遊び暮らさな(万葉集・少監土氏百村)》

チベットに自由を!

2008-03-21 | 民社
 民社人権会議(田久保忠衛代表幹事)は、現下のチベット問題で以下の声明を発表した。
 中共による1950年のチベット侵攻、その後執拗に継続されている弾圧、自由や人権への蹂躙には許し難いものがある。台湾のことも含め、わが国の平和、安全のためにも看過できない問題である。
※民社人権会議は、北朝鮮による拉致問題の解決を中心に取り組む団体。

●声明・チベットに自由を!
 今回のチベットにおける民衆蜂起と、それに対する中国共産党による弾圧は、私たちに忘れかけていた様々なシーンを思い出させた。そのシーンとは1989年の天安門事件であり、1968年のチェコ事件であり、また1956年のハンガリー動乱である。
 チベットの民衆は今虐げられたのではない。1949年、中国共産党がチベットにその魔手をのばしたときから虐げられているのである。また、中国共産党にはチベットの民衆だけが虐げられているのではない。東トルキスタン(新彊ウイグル自治区)でも、内モンゴルでも、あるいは漢族の人々でさえ自由を奪われ、また台湾は軍事力で恫喝されている。今回の事件でも中国共産党・中国政府はすべての責任をダライ・ラマ法王やチベットの人々に押しつけ、自らの非は一切認めていない。
 1991年、ソ連共産党が崩壊したことによって、私たちは冷戦が終わったと思った。自由と民主主義が勝利したと考えた。しかし、冷戦は終わっていなかったのだ。改革開放を進め、経済が成長し、オリンピックも開催しようとしている中国の政治体制の本質は依然として共産主義であることが今回改めて明らかになった。
 チベットの姿は決して人ごとではない。私たちはもう一度、20世紀最大の悲劇をもたらしたマルクス・レーニン主義、共産主義と戦わなければならない。声を大にして、チベットの人々を救おうではないか。
2008年3月19日
民社人権会議代表幹事 田久保忠衛