遊女の船遊び

2010-10-29 | 【断想】ETC
 河船を
 とめて逢瀬の波枕
 とめて逢瀬の波枕
 浮世の夢を見習はしの
 驚かぬ身のはかなさよ

 うたへやうたへうたかたの
 あはれ昔の恋しさを
 いまも遊女の船遊び

 松風蘿月に詞をかはす賓客も
 去って来る事なし
 翠帳紅閨に枕をならべし妹背も
 いつの間にかは隔つらん

 謡曲「江口」後段の一節である。
 はかなさやこの世の業、そして色っぽさないまぜ。
 なんとも魅かれる表現である。

枯木のような角

2010-10-28 | 【樹木】ETC
 謡曲「紅葉狩」の鬼神。
 「其たけ一丈の鬼神、角はかぼく眼は日月、面を向くべきやうぞなき」と、その姿が語られている。
 「かぼく」は、枯木が訛ったもののようである。
 よって、枯木のような角をしていることになる。
 一丈というと約三メートル。
 鬼神にしては、いささか迫力不足に思える。

鬼女と紅葉狩

2010-10-27 | 【樹木】ETC
 もうすぐ十一月だが、本格的な紅葉はまだである。
 先日、多摩動物公園を散歩していたら、ユリノキが葉を色づかせ落としていた。
 ユリノキの紅葉、落葉は、他の樹木よりはやいようだ。
 先年も、秋となって、まず、ユリノキの落ち葉を見たように思う。
 いずれにしろ、そういう季節となった。
 それで、謡曲「紅葉狩」を読んでみた。
  「一河の流を酌む酒を、いかでか見捨て給ふべき・・・」
 平維茂は、紅葉の林で美女達に酒宴に誘われる。
 その美女は、鬼神。
 鬼神はともかく、紅葉狩に出かけたいな。
 美女と。
 鬼女でもいいかな。

「竜胆」の思い出

2010-10-27 | 【草花】ETC
 ベランダの竜胆の蕾が大きくなり出した。
 青紫の色が見られる。
 吉祥寺に「竜胆」というスナックがあった。
 もう、おそらく無いだろう。
 「竜胆」を「りんどう」とよむことを知った。
 学生の頃、何度か行った。
 女友だちを連れて行ったことがある。
 美大の学生だった。
 店のメニュー表をつくるということで、彼女にどうかと思った。
 そんなことが楽しかったのだ。

花の色はうつりにけりな

2010-10-19 | 【樹木】エッセイ
●わが身世にふる
 《花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに》
 古今集に収められている小野小町の一首である。
 「ながめ」は、長雨であり、眺めであろう。花の移ろいをぼんやりと眺めているうちに、いつしか長雨の季節になり、時は過ぎゆき、齢も重ね、わが身の色香も衰えてきた・・・・。
 そんな女性のため息を聞ような歌である。
●世の中にあやしきものは
 周辺の美女たちが、そんなため息をもらしているというわけではない。だけど、あわただしい日々の仕事に追われるうちに、いつしか独身のまま四十歳代にとという女性も多く、気にかかる。
 誰しも、いつしか老いてくる。
 おおきなお世話と怒られそうだが、結婚はともかく、せめて、もっと色恋に時をついやしたらとお節介にも思う。
 人は人が気になるもの。男と女はあやしいまでにひきあい、恋もする、それが自然である。
 恋多き女、和泉式部の「あやしきもの」としての歌。
 《世の中にあやしきものはしかすがに思はぬ人の絶えぬなりけり》
 なんだか、自然の摂理からはずれた人もいるような。わたしだけの思い過ごしか。
●紫陽花という樹木
 長雨の時期、梅雨の季節の花と言えば、紫陽花。
 紫陽花は、植物の分類では、ユキノシタ科アジサイ属の落葉低木。見かけは草花の一種のようであるが、樹木である。
 いわゆる紫陽花というのは、ガクアジサイの園芸品種のひとつ。花とされるのは、発達した萼片が多くついて、こんもりとなったもののことである。この萼片とは、雄蕊や雌蕊が退化したあとのもので、装飾花と言われる。
●梅雨空に七変化
 紫陽花は、花の色が変わるので、七変化の異称がある。淡青、淡紫、淡桃・・・と、目を楽しませてくれる。ちなみに、土壌の酸性度が強いと青に、アルカリ度が強いと紅になる。
 この七変化ゆえに、その花言葉は「移り気」とか「心変わり」。
 ともかく「花色」の変化が注目される。
 美しいままに変わるのはいいが、そうとばかりは言えない。やがて、枯れ萎み、醜くもなる。
●幽霊となった紫陽花
 わたしの住まいの近くの高幡不動尊は、紫陽花の花の時季には、人でにぎわう。だけど、関東で、その名所として一番知られているのは、北鎌倉の明月院か。「アジサイ寺」とも呼ばれる。
 その近くに住んでいた澁澤龍彦の風雅なる著書のひとつ「フローラ逍遥」に、次のようにある。
 「アジサイの花は、萎れてもそのまま放っておくと、いっかな地上に落ちず、かさかさに乾いて自然にドライフラワーになる。萼が緑色をおびて、アジサイの幽霊みたいな感じになる。私はそれが好きで、この天然ドライフラワーを鋏で切って、広口の瓶に投げこんでおくことがある」
●春ぞ経にける
 澁澤龍彦のように枯れた紫陽花を楽しむ人もいるかも知れぬ。
 しかし、一般的とは言えなかろう。花も人も、旬がある。それぞれにもっとも美しく華やかな時季というものがある。
 やはり、女ざかりのうちに色恋をと思う。
 老いてなお、色香をただよわす女性もいるが、それは、過ぎし日の色恋があってのことではなかろうか。そんなことを言って、女性をそそのかすこともある。
 さて、新古今集から式子内親王の歌をひとつ。
 《はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば花にもの思ふ春ぞ経にける》