「惑星」と神

2018-07-31 | 【断想】音楽
 グスターヴ・ホルスト(1874-1934)は、イギリスの作曲家。
 異国趣味があって、「日本組曲」なる管弦楽も作っている。
 さて、有名な組曲「惑星」を久しぶりに聞こうか。
 占星術への関心から生まれた作品と言われる。
 各楽章に惑星の名前が付いている。
 冥王星はまだ見つかっていなかった。
 それぞれの星は神と結びつけられている。
 これらのことを含んで星の輝き、動きが音楽となっている。
 こんな風に言われると、興味が高まるね。
 第1楽章 火星:戦争の神
 第2楽章 金星:平和の神
 第3楽章 水星:翼のある使いの神
 第4楽章 木星:快楽の神
 第5楽章 土星:老年の神
 第6楽章 天王星:魔術の神
 第7楽章 海王星:神秘の神
 《ロリン・マゼール指揮/フランス国立管弦楽団/CBS》

“がっかり”ディーリアス

2018-07-31 | 【断想】音楽
 フレデリック・ディーリアス(1862-1934)は、イギリス、近代の音楽家。
 「春初めてかっこうを聞いて」や「イギリス狂詩曲」等の管弦楽を聞いた。
 やさしく穏やかな曲をと思った。
 サー・トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と言う定評ある演奏で(東芝EM!盤)。
 何だか思い違いをしていたみたいで、穏やかで、かったるい曲というだけで、ちっともいいとは感じなかった。

“十字架上での7つの言葉”

2018-07-31 | 【断想】音楽
 ソフィア・グバイドゥーリナ(1931- )は、モンゴル系タタール人の父とポーランド人とユダヤ人の血の混じったロシア人の母の間に生まれている。
 ポスト・モダンの風景のなかにあるひとり。
 エストニアのペルトなどと同じく、静けさ、神秘的とも言える宗教性が感じられる。
 「イン・クローチェ」(1979)や「7つの言葉」(1982)と言う作品がある。
 「7つの言葉(Seven Words)」とは、“十字架上でのイエス・キリストの7つの言葉”と言うことである。
 この曲を聴く。チェロとバヤンとヴァイオリンと室内管弦楽のための曲である。
  Maria Kliegelのチェロ他の演奏、NAXOS盤。

非道い時代

2018-07-31 | 【断想】音楽
 シュニトケの曲をもうひとつ。
 「コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)第1番」(1977)を聴く。
 2つのヴァイオリン、ハープシコード、プリペア土・ピアノと弦楽オーケストラのための曲である。
  また、この曲は、ギドンクレーメルのために作られたものである。
 以下は聴いての感想、「現代は、非道い時代でもあるのだろうけどね」。
 第1楽章 プレリュード:打楽器そして辛気くさい弦のうめき、ひきつり。
 第2楽章 弦楽合奏、もっと気持ちを落ち着けてはいかがですか。 第3楽章 お悩みのようですね。なんという時代なんだろうね。
 第4楽章 なんかいい方法ないのかな。迷い道。
 第5楽章 君は小走りで何処へ行くの。あの坂道には花が咲いてた。坂のうえには不思議な大きな館があったよ。
 第6楽章 誰もいないね。どうしちゃったのだろう。
《ハインリヒ・シフ指揮/ヨーロッパ室内管弦楽団/ギドン・クレーメル(ヴァウオリン)他/PO 》

“あれこれ”シュニトケ

2018-07-31 | 【断想】音楽
 現代音楽家とされた人たちもつぎつぎと亡くなっている。
 本や解説パンフの没年の空欄が埋められていくことになる。
 アルフレッド・シュニトケ(1934-98)もそんなひとりだ。
 シュニトケは、ユダヤ系ドイツ人の父をもち、ロシアで生まれている。
 20世紀の戦争が氏に与えた影響のことが気になる。
 音楽的には、現代音楽のさまざまな技法・潮流を吸収し、「多様式混淆」のスタイルを作り出したとされている。 
 ソリストと合唱、室内管弦楽団のための「交響曲第2番」(1979-80)を聴く。
 まさに、ポスト・モダンで、多様式併存・混淆の曲である。
 シュニトケのCDを4枚もっていた。
 きっと、一時、関心が強かったのだろう。
 矢野暢が、著作で多くを語っていたように思う。
 《OKKO KAM指揮/ストックホルム・シンフォニエッタ他/BIS 》

「不確定性の音楽」

2018-07-31 | 【断想】音楽
 シュトックハウゼンが、2007年に亡くなった時、このブログでふれた。
 「不確定性の音楽」の作品と言われる「ツィクルス」(1959)を聴く。
 ACCORD盤。CDジャケットに、ラジオ・フランスとの表記がある。
 この曲は、打楽器奏者のためのものであり、聴いたのは、ファースト・ヴァージョン。
 同じCDに、セカンド・ヴァージョンも収録されていた。
 演奏者に裁量をまかせたとなると、ヴァージョンがどうこうとと言っても仕方なくなるのでないか。
 演奏ごとに、異なってくる度合いが大きいということなのだろうから。

これぞ「現代音楽」

2018-07-31 | 【断想】音楽
 カールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)は、1950~60年代にかけて、ブーレーズやノーノとともに、前衛音楽のスーパースターのひとりであった。
 その時期以降、注目されることが少なくなっていった。
 セリー音楽の作品と言われる「コンタクテ」(1959-60)を聴く。Koch盤。
 電子音、ピアノ、打楽器のための曲である。
 みんな、何を思いつつ、感じつつ、その音を聞いたのだろうか。
 シュトックハウゼンには、多くの音楽理論に関する著作があった。
 著作あっての音楽作品というところがあったのではないか。
 音楽には、音楽そのもによさがなくてはと思う。理論や理屈に裏打ちされることはあっても、そればかりが優先してしまっては本末転倒となるのでないか。
 つまらない河原の石をに理論をもって誉め讃え、意味あるものと語っても、石は石。

“処女航海”

2018-07-30 | 【断想】音楽
 おしゃれで軽いモダン・ジャズは、あまり聞かない。
 モダン・ジャズは重いの、クラシックは軽いの・・・・。
 好みじゃないんだけど、ハービー・ハンコックのアルバムを聞く。
 1965年の録音で、「処女航海」や「ドルフィン・ダンス」。
 トランペットは、フレディ・ハバード、
 ベースは、ロン・カーター他のメンバー。
 ブルー・ノート盤。

“インクレディブル・ジャズギター”

2018-07-30 | 【断想】音楽
 夕方のひととき
 ジャズ・ギターを聞くのもいい
 ウェス・モンゴメリーの
  “インクレディブル・ジャズギター”
 ピアノは、トミー・フラナガン
 ベースは、パーシー・ヒース
 ドラムは、アルバート・ヒース
 1960年の録音だな
 そうだねあの頃
 俺はまだ小学生だったよ
 その後
 少しはかしこくなったかな
 そうなんだよ
 そこをちょっとおせばいいんだよ
 おおげさにハンマーなんか
 持ち出すんじゃないよ

ここは工事現場か

2018-07-30 | 【断想】音楽
 「前衛」は、カッコいい。
 そう思う人が多い。
 シェーンベルクらの「前衛」、その後の「前衛」。
 ルイジ・ノーノ(1924-1990)は、前衛三羽がらすのひとりと言われたイタリア人。
 50年代のセリー主義を代表する作曲家と言う言われ方もする。
 イタリア共産党と関係の強かった人だ。
 これぞ「現代曲」とも言われる「力と光の波のように」を聴く。
 ピアノ、ソプラノ・ソロ、電子音とオーケストラのための作品である。
 女の叫ぶような、うめくような声、工事現場にいるかのような金属音、事故が発生したような笛の音・・・。
 《ヘルベルト・ケーゲル指揮アイプツィヒ放送交響楽団/TK》

レーガーの「舞踏組曲」

2018-07-30 | 【断想】音楽
 マックス・レーガー(1873-1916)は、前衛とか、保守とか、レッテルを貼りにくい作曲家のひとり。
 オルガン曲も多く作っている。
 管弦楽曲に「シンフォニエッタ」なる大作があるが、聴きやすく、手頃な「舞踏組曲op.130」(1913)を聴く。
 組曲と言うことで、以下の6曲で出来ている。
 1.序奏・エントリー
 2.コロンビーヌ
 3.アルルカン
 4.ピエロとピエレット
 5.愛のワルツ
 6.フィナーレ
 《SIR COLIN DAVIS/Bayerischen Rundfunks交響楽団/ORFEO》

ウェーベルンの「前衛」

2018-07-30 | 【断想】音楽
 アントン・ウェーベルン(1883-1945)は、新ヴィーン楽派のひとりとされる。
 シェーンベルクやベルクよりも、前衛(無調)に徹している。
 音質や音色へのこだわりもあるとのこと。
 聴いていて、愉しくはならないが、いやな気分にもならない。
 無調の徹底と言う割り切りが、どこか爽快感につながっているのだろうか。
 音楽とは、不思議なものだ。
 「弦楽四重奏のための5つの楽章」(1909)を聴いた。
 《ブーレーズ/ロンドンSO/ジュリアード弦楽四重奏団/SONY》

キシキシする‘抒情’

2018-07-30 | 【断想】音楽
 新ヴィーン楽派と呼ばれる音楽家のひとり、アルバン・ベルクの「弦楽四重奏のための《抒情組曲》」(1936)を聴く。
 12音技法が入っているが、全曲を支配しているわけではないとのこと。
 親しまれている曲との言い方がされているが、そう言うことなのかな。
 私は、聴く曲であっても、愉しむ曲ではないとはっきり言える。
 「抒情」とはなんなんろうかと悩んでしまう。
 6楽章からなっている。
 ジュリアード弦楽四重奏団の演奏、BMG-SHINSEIDO盤で聴く。

“月に憑かれたピエロ”

2018-07-30 | 【断想】音楽
 アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)は、20世紀の音楽のはじめに立つ音楽家と言える。
 新ヴィーン楽派と呼ばれ、メロディやハーモニーを大切にするそれまでの音楽と前衛が混交した変わり目に位置している。
 この場合の前衛とは、無調、12音技法を指す。
 この楽派とされる人には、他に、ベルク、ヴェーベルンがいるが、それぞれ持ち味は異なっている。
 変わり目と言うことでは、シェーンベルクの「浄められた夜」は、調性のうちにあり、「月に憑かれたピエロ」は、無調という具合である。
 「月に憑かれたピエロ」を聴く。
 これは、語りと歌の中間をやる人声と5人の器楽奏者のための曲である。
 3部構成で、それぞれ7曲づつ、21曲で出来ている。
 内容は、月の光のなかのピエロが、不健康、退嬰的、猟奇的、残虐趣味的・・・と言う幻覚にとわれ、狂気の中へのめり込んでいく。最終的には正気に戻るんだけど。
 どちらかというと、気分の悪くなる曲である。
 しかも、このような退嬰は、半端で薄っぺらである。
 シェーンベルクのなす作品の限界が感じられ、途中を飛ばして聴いた。
 《David Atherton/London Sinfonietta/DECCA》