「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)全29話のひとつ「マルクス・アウレリウス」を読んだ。
180年3月17日に、58歳で没したローマ皇帝マルクス・アウレリウスである。
かつて、アウレリウスによる「タ・エイス・へアウトン(自省録)」を神谷美恵子訳の岩波文庫で読んだことがある。
中味のことは、すっかり忘れている。本棚においてあって、いつも気にはなっているが、改めて読もうとは思わぬ一冊となっていた。
山本著には、その自省録から、幾つもの箇所がピックアップされて、載っている。
なかなか読ませるところがあり、何かの機会に手にとろうかと思わせるところがあった。
自分を君と呼び、語りかけているのだ。
そこに浮かび上がるアウレリウス像は、己をみつめ、死を想う愁いにみちたひとりの男である。
そして、あくまで皇帝であって、学者ではない。アタラクシアを求め、ストア哲学のドグマを実践しようとする姿が見て取れ、散文詩人に近い。
戦陣にあって書き留められたものである。
アウレリウスは、酒を飲んだのだろうか。
酒で憂いをはらすことはあったのだろうか。
180年3月17日に、58歳で没したローマ皇帝マルクス・アウレリウスである。
かつて、アウレリウスによる「タ・エイス・へアウトン(自省録)」を神谷美恵子訳の岩波文庫で読んだことがある。
中味のことは、すっかり忘れている。本棚においてあって、いつも気にはなっているが、改めて読もうとは思わぬ一冊となっていた。
山本著には、その自省録から、幾つもの箇所がピックアップされて、載っている。
なかなか読ませるところがあり、何かの機会に手にとろうかと思わせるところがあった。
自分を君と呼び、語りかけているのだ。
そこに浮かび上がるアウレリウス像は、己をみつめ、死を想う愁いにみちたひとりの男である。
そして、あくまで皇帝であって、学者ではない。アタラクシアを求め、ストア哲学のドグマを実践しようとする姿が見て取れ、散文詩人に近い。
戦陣にあって書き留められたものである。
アウレリウスは、酒を飲んだのだろうか。
酒で憂いをはらすことはあったのだろうか。