コールマンとドルフィー

2020-01-26 | 【断想】音楽
 「フリージャズ」(1960:アトランティック)、集団マス・プレイのはじまりとされるものである。
 オーネット・コールマン・カルテットとエリック・ドルフィー・カルテットによる集団的即興演奏である。
 各自、フリーにやっていて、統一的テーマはない。
 各自が、互いに邪魔せず、お互いをフォーローしつつの演奏である。
 パーソネルは、以下の4人。
 オーネット・コールマン:アルト・サックス
 ドン・チェリー:トランペット
 スコット・ラフォーロ:ベース
 ビリー・ヒギンズ:ドラムス
 以上、左チャンネル。
 エリック・ドルフィー:ベース・クラリネット
 フレディ・ハバード:トランペット
 チャーリー・ヘイデン:ベース
 エド・ブラックウェル:ドラムス
 以上、右チャンネル。
 LP盤A,B面通しで35分超え。
 フリー・ジャズの歴史的録音と言われる。
 普段、聞こうと思うものではない。
 既成のハーモニーからはずれている。
 前衛的とされわけである。
 聞くには、ハーモニーのあるものの方が、耳にいい。
 ドルフィーのことを書いたものを読んでいて、ミンガスのもとを離れたあとの演奏とあって、興味がわいて、何十年ぶりにか聞いてみた。
 ソロやソロ演奏に近いところは、これは誰だなと思いつつ。
 B面も半分が過ぎた。
 そろそろ、いいなと言う感じ。

ミンガスとドルフィー

2020-01-26 | 【断想】音楽
 チャールズ・ミンガスとエリック・ドルフィのデュエット。
 ミンガスの「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」(1960:キャンデッド)の中の「ホワット・ラブ」である。
 ドルフィーがフリーとなる決意をし、ミンガスに暇を請うていた時期のものである。
 ミンガスは、ドルフィーを高くかっていて、ひきとめようとしていた。
 この時のベースとベース・クラリネットのやり取りについて、ナット・ヘンホフの解説があるが、それにこだわらず、聞いてみようと思う。
 実におもしろい。
 ミンガスの語りかけは、そんなに高圧的とは感じられなかった。
 むしろ、くぐもりに始まり、つつましやかで優しくもあった。
 これに対するドルフィは、なんとも応えようがない思いに、悲鳴をあげているかのようだった。先輩に、礼儀は失したくないし、かといって、言われるままにもできないしと。
 ミンガスは、存在自体が重くって、やさしい語りかけも、後輩にはドスのきいたものに聞こえたかも知れない。
 ドルフィは、複雑な心境を奏でる。
 理屈のつけにくい思いを奏でる。
 ちょっと、他の人にはまねできない表現である。
 それは、傑出したものである。
 パーソネルは、以下の4人。
 エリック・ドルフィ:ベース・クラリネット
 テッド・カールソン:トランペット
 ダニー・リッチモンド:ドラムス
 チャールズ・ミンガス:ベース

ショパンのプレリュード

2020-01-21 | 【断想】音楽
 ショパンの「24プレリュード」。
 多くのピアニストが演奏している。
 手元の本には、以下のピアニストの名前があげられていた。
 推薦盤ということである。
 コルトー※
 ルビンシュタイン
 アラウ
 ポリーニ※
 アシュケナージ※
 アルゲリッチ※
 フランソワ
 ラローチャ
 ポゴレリッチ
 ※印のピアニストのCDがある。
 この前、アシュケナージで24番を聞き、ものたりなさを感じた。
 今日は、ポリーニで聞く。
 しっかりしたものを感じる。
 迫力もある。
 技倆とは別次元の何かである。

怒りのミンガス

2020-01-21 | 【断想】音楽
 「ハイチ人の戦闘の歌」は、「道化師」と名づけられたアルバムの中の一曲。
 1957年の録音、アトランティック。
 前年の「直立猿人」の延長線上の曲。
 前へ前へと進む感じ、
 素晴らしい。
 このアルバムには、続いて、「ブルーシー」、「ラブバードの蘇生」、そして「道化師」。

アシュケナージでショパン

2020-01-19 | 【断想】音楽
 アシュケナージのピアノでショパンの「プレリュード」。
 久し振りだ。
 ショパンの「プレリュード」は、アルゲリッチで聞くことにしていて。
 DECCA盤。
 CDが汚れていて、音が飛んだりして、よく拭いて。
 なんともひかれる24番を。
 やっぱり、なにかものたりないな。

アシュケナージの名演奏

2020-01-19 | 【断想】音楽
 アシュケナージが音楽活動をやめることにしたと聞いた。
 それで、聞いてみようとおもった。
 ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2」。
 ドラマチックで人気の曲。
 ハイティンクの指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、LONDON
 名盤とされるものである。
 世の中いろいろある。
 嫌なこと、わずらわししこと、尽きることがない。
 やさしく、のびやかで、勇壮な旋律、明確で強いアシュケナージのピアノの音を聞いて、気分が換えられたらと思う。
 日曜日の夕方。
 ひとりの時間。
 冬の日。
 外は暗くなってしまった。

「ブルース」

2020-01-13 | 【断想】音楽
 静かな午後、もう夕暮れか。
 ラヴェルの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」を聞く。
 ヴァイオリンは、Yvon CARRACILLY
 ピアノは、Henri BARDA
 知らない人だ。
 CDは、CALIORE盤。
 CDには、まずはじめに「イントロダクションとアレグロ」。
 ハープ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、アルト、チェロによる曲。
 なんだか、都会の夕暮れに合う。
 知的レベルの高さ。
 ちょっと疲れた気持ち。
 「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」は、第2楽章の「ブルース」
 これを聞くため。
 この曲は、・・・・都会風。
 やすらぎは、うすい。

葉は奇数に分かれる

2020-01-05 | 【樹木】ETC
 ウコギ科ヤツデ属のヤツデ。
 テングノハウチワとも言う。
 漢字では、八手。
 八手とは言うが、その葉は八つに分かれているわけではない。
 七つか九つの奇数となる。
 時季的には、もう終わっていていいのだろうが、まだ花がついていた。
 ボール状に集まった小花である。
 だいぶ前、その様子をきれいに写真に撮れた。
 確か、多摩動物公園でだった。
 この前、まあいいかのレベルで撮れた。
 船橋市を歩いている時だった。

ノヴェンバー・ステップス

2020-01-05 | 【断想】音楽
 もうひとつ、和風のものを。
 和楽器を使ってるけど、和風と言えるかとなると疑問だが。
 武満徹の「尺八・琵琶とオーケストラのためのノヴェンバー・ステップス」。
 この曲を初めて聞いたのは、高校生の頃だったか、ラジオでだった。
 尺八の音が、凄く印象に残った。
 日本の楽器を使った現代曲で、なんだか嬉しかった。
 1967年作曲の作品である。
 同年、ニューヨーク・リンカーン・センターで初演されている。
 尺八は横山勝也、琵琶は鶴田錦史、指揮は小沢征爾。
 サイトウ・キネン・オーケストラによるPHILIPS盤で聞く。
 伊福部昭の「日本狂詩曲」が、鋤・鍬・むしろの音楽だとしたら、武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」は、日本刀の音楽か。

ジャパニーズ・ラプソディー

2020-01-05 | 【断想】音楽
 お正月なので、ちょっと和風のものを。
 「伊福部昭交響作品集」より、「日本狂詩曲(ジャパニーズ・ラプソディー)」。
 山田一雄指揮、新星日本交響楽団、FONTEC。
 1935年の作品だ。
 伊福部昭が、21歳の時に作曲した最初の管弦楽曲である。
 元は、3楽章あったそうだが、「夜曲(Nocturne)」と「祭り(Fête)」の2楽章で。
 日本のリズム・・・哀調をおびた旋律・・・。
 祭りの高揚感・・・それにしても日本を感じさせる。
 激しいリズムはあるが、あくまで和調で、カラットしたものではない。

冬枯れの日の花

2020-01-04 | 【樹木】ETC
 冬枯れの景色に山茶花の花。
 その山茶花の花を写真に撮ろうとすると、
 案外、きれいな花が見つからないことが多い。
 花びらが萎れたり、変色していることがよくある。
 この季節、山茶花の花が目につく。
 先般、高尾の甲州街道ぞいで、見た花は綺麗だった。
 ただ、花を撮ったときの背景がよくなかった。
 つい先日、買い物の途中で見た花はまあまあだった。
 背景は、よくなかったが、まあいいかと思った。
 つまらないことを書いたかな。
 前に、山茶花と椿のことを書いたことがある。
 それは、植物としての違いのことだったと思う。
 次は、名前のことだ。
 中国で、山茶花と言うと、ツバキのことらしい。
 サザンカは茶梅だそうだ。
 つまり、茶梅は、山茶花の漢名ということだ。

ア・デイ・イン・ザ・ライフ

2020-01-03 | 【断想】音楽
 何を聞こうかな。
 わずらわしいのは嫌だな。
 そうだ。
 ウェス・モンゴメリーを聞こう。
 ハービー・ハンコックやロン・カーターらとともに「A DAY IN THE LIFE」。
 大ヒットしたアルバムだ。
 1967年録音A&M.

 過ぎ去った日々のことを思う。
 思うと言うことは、終わったことでなく、今にいきているゆえのこと。
 胸が苦しくなる。
 己の無力・卑しさを思い知らされる。
 なんてことだ。
 決して取り返せないこと。
 不幸の連鎖。

 聞きながら、思ったことだ。
 具体性がないけれど。