モンポウが弾くモンポウ。
“魔法:CHARMES”(6曲)
Ⅰ.苦しみを休めるために
Ⅱ.魂を把握するために
Ⅲ.愛を導くために
Ⅳ.回復のために
Ⅴ.過去の記憶を想起するため
Ⅵ.喜びを呼ぶため
それは、切ない願いか、ささやかな希望なのか。
モンポウの曲のこと、誰かが言っていた。
「嫌味」や「おしつけがましさ」が無いと。
本当にそうである。
以下のCDで聴く。
MOMPOU INTERPRETA / PLAYS MOMPOU Vol.1 (ensayo)
〈収録曲〉
CDには、以下の曲。
1.内なる印象 哀歌 1-4
2, 悲しい鳥
3. 小舟
4. 揺り籠
5. 秘密
6. ジプシー
7.ペセブレ
8.子守唄
9.子供の情景 街路での叫び
10. 遊び 1-3
11. 庭の乙女たち
12.対話 1-2
13.博覧会の思い出
14.魔法(魅惑) Ⅰ.苦しみを休めるために
15. Ⅱ.魂を把握するために
16. Ⅲ.愛を導くために
17. Ⅳ.回復のために
18. Ⅴ.過去の記憶を想起するため
19. Ⅵ.喜びを呼ぶため
法隆寺に行ったとき、「夢」と書いてある扇子を買った。
夢殿にちなんだのか。
普段、使うことはないので、今も、しまったまま。
ケニー・ドリューに、「ドリーム」と言うアルバムがある。
1987年の録音のものだ。
その存在は知っていたが、入手まで、時間を要したアルバムだ。
「木の葉の子守唄」、「トロイメライ」、「コルコヴァード」、「花嫁人形」等が収録されている。
曲の「ドリーム」は、別のアルバムだ。
「花嫁人形」を聴くと、胸がしめつけられる。
人は、不運、不幸を経て、醜くなったりする。
優しい少女も、鬼ばばあになったり。
それを咎められるだろうか。
アストル・ピアソラの「天使のミロンガ」。
ヨーヨー・マがチェロを弾き、バンドネオン、ピアノ、ベースがつく。
タンゴの名曲。
タンゴはいつも狂おしい。
ヨーヨー・マの「ソウル・オブ・ザ・タンゴ」、いいアルバムだ。
エリック・サティーに「タンゴ」と言う詩がある。
『スポーツと嬉遊曲』の中の一遍。
藤富保男訳で。
タンゴは悪魔の踊りだ
悪魔が好きな踊りだ
悪魔は心をしずめるためにタンゴを踊る
彼の奥さんも娘も召使たちも
そのようにして 心をしずめるのだ
※この詩の訳、秋山邦晴・岩佐鉄男では、「心をしずめる」の部分が、「心を凍らせる・冷たくする」となっている。受け取りにかなり差が出るように思う。
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をチェンバロで。
チェンバロ:アレン・カーチス
どうして、このCDがあるのか。
きっと、かつて、「ゴルトベルク変奏曲」をいろんな人の演奏で聴こうとしたのだろう。
楽器によって、音が異なる。
ケネス・ギルバートのより、軽やかである。
ⓟ1977 EMI
今日、立て続けに聴いてきた中では。これは聴きやすい。
弦楽三重奏のは、よかったな。
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をチェンバロで。
チェンバロ:ケネス・ギルバート
このCDは、ニューヨークのCDショップで買った。
どうしてケネス・ギルバートのものを買ったのだろうか。
確か、何かで推奨されていたからと思う。
チェンバロによる演奏では、ヴァルハ、レオンハルト、リヒターのを前に聴いている。
これも、初めてというわけではないのだが。
ⓟ1986 harmoia
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をピアノで。
ピアノ:グレン・グールド
これは、これまでに何度も聴いている。
グールドには、バッハのクラヴィーア曲を多く演奏している。
フランス組曲など、よく聴いた。
録音は同じだが、ジャケットが異なるCDを2枚持っている。
ⓡ1995 CBS SONNY
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をオルガンで。
オルガン:ケイト・ヴァン・トリヒト
ケイト・ヴァン・トリヒトは、ドイツのオルガニスト、ピアニスト、チェンバリスト。
ⓟ1992 DG
前に聴いたジャン・ギユーより、ソフトで聴きやすい感じだ。
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をアコーデオン・ソロで。
アコーデオン:ステファン・ハッソング(Stefan Hussong)
ⓟ1988 THOROFON
こういうのもあってもいいか、そんな感じかな。
3月に、テレマン協会のコンサートで、「ゴルトベルク変奏曲」を聴く。
それで、あれこれ聴いてみようかと思った。
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を弦楽三重奏で。
ヴァイオリン:ドミトリー・シトコヴェツキー
ヴィオラ:ジェラール・コセ
チェロ:ミッシャ・マイスキー
ⓟ1985 ORFEO
なかなか、いいひとときをつくってくれる。
レナード・バーンスタインのミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」。
作曲者自身の指揮で聴く。
グラモフォン、CD2枚組。
マリアをキリ・テ・カナワ、トニーをホセ・カレーラスが歌う。
なんてワクワクする音楽なのだろう。
思春期の頃に、映画で「ウェスト・サイド・ストーリー」を観て、魅せられて、とらわれているのだろう。
60年ばかりの歳月が流れているのに。
家にステレオがあって、レコード盤もあったのだろう。
かつて、「ウェスト・サイド・ストーリー」をよく聞いた記憶がある。
確か、中学1年の時に、学校の教育の一環で、映画館へ観に行った。
《ジェット・ソング》
「ジェット・ソング」は、わたしたち生徒に好評で、みんな、よく、学校で、ジョージ・チャキリスのマネなどしていた。
《マリア》
《トゥ・ナイト》
そして、「トゥ・ナイト」、現代のロミオとジュリエット。
《アメリカ》
《クール》
そして、銃声が響く。
ひとつひとつの曲が、耳の奥に染みついており、改めて聞くと懐かしい。
当時、アメリカ社会が抱えていた問題のこと。
今も、きれいに解決されているわけではない。
人種のこと、貧富の差のこと・・・・。
青春の光と影、甘やかさとさみしさ、純粋と過ち。
何が、解決されただろうか。
かつて、一緒にワクワクした友だちが、亡くなっていく。
このことは、はっきりしている。
【ステレオのこと】
はじめに、「ステレオ」と言ったのは、スピーカーが左右についた一体型オーディオ・セットで、その頃、一般に出回ることになった音響再生装置のことである。
それまで、スピーカーがひとつのレコード・プレーヤーが普通であって、左右から音が出る「ステレオ」は、素晴らしいモノと感じられた。
また、「レコード」と言うのは、LP、SP、ドーナッツ盤のことで、CDなどない時代で、「レコード」と言えば、それだけでよかった。
その気に入りの「ステレオ」や「レコード」は、あわただしい転居で、すべて失うことになった。
こんな、経緯で、胸の奥に、どうしても赦せないものが残った。
そして、最低限、守りたいものを思うようになった。
モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
アイネ・クライネ:ひとつの小さな
ナハトムジーク:夜曲
管弦楽、セレナードに分類される。
セレナード第13番ト長調《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》である。
ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア・シンフォニー・オーケストラで聴く。
MOMPOU INTERPRETA / PLAYS MOMPOU Vol.1 (ensayo)
MUSICA CALLADA : 密やかな音楽
フェデリコ・モンポウが、自身の曲を自身で演奏する。
Book 1 ~ 4を。
棚を見たら、第4集だけをアリシア・ラローチャと熊本マリが弾くものがあった。
全曲を弾いたものでは、ハーバート・ヘンクのもの(ECM)。
モーツァルトの「弦楽四重奏“アダージョとフーガ”ハ短調 K.546」(CBS)
以下のメンバーによる演奏で聴く。
ヴァイオリン:ギドン・クレーメル
ヴィオラ:キム・カシュカシアン
チェロ:ヨーヨー・マ
ヴァイオリン:ダニエル・フィリップス
先日、この曲を聴き、この顔ぶれの所為だろうか、モーツァルトのもではないような気がした。
今日は、どうだろうか。
現代風深刻さと言えるだろうか、暗く思い気分と言うのだろうか、そんなものが強く出ている。