友人に病人も多い。
それは、私自身が老人になったから。
時折、在原業平の歌もあたまに浮かぶ。
“ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを”
この歌は、古今集だったかな。
昔、入院してたとき、読んでいた。
“死”になじもうと。
もの凄き夕べ
時雨の亭に
葛に這ひ纏はるる石塔あり
斎の宮つとめし式子内親王の御墓なり
葛は藤原定家の化身
心の秋の花薄
“忍ぶることの弱りもぞする”と
契りをかさね徒なる仲と
邪淫の妄執
助け給えと
・・・・・・・・
謡曲「定家(定家葛)」をサラッと読んだ。
式子内親王と藤原定家の恋の物語。
定家の「明月記」に、初めて内親王に会った時の一言の記録。
“薫物馨香芬馥タリ”
定家二十歳、内親王二十八、九の頃のこと。
定家の父俊成は、二人が仲良くなることを警戒したとか。
二人には交流はあったが、謡曲はフィクションである。
“邪淫の妄執”とは・・・・。
桜の花が咲きはじめている
春の本
かつて読んだ本
白洲正子の「花にもの思う春」
このなかの二つの文を読む
「新古今集の歌」
「式子内親王」
この前
沓掛良彦の「式子内親王私抄」
その影響で
今読んでいる奥野陽子著「式子内親王」
奥野陽子は学者のスタンス
式子内親王のこと
それぞれそれ流に語る
俺ならもっと深くとらえるぞ
そんな気持ち
それにしても
美しく嫋やかでさみしくて、悲しくて
たかきところにいますゆえに
式子内親王私抄・沓掛良彦著・2011年11月20日発行・ミネルヴァ書房
まえがきに「・・・この二人の往古の女人にささやかなオマージュを捧げてみたいとの願いを抱き続けてきた・・・・」とある。
二人とは、和泉式部と式子内親王である。
この本を読むのは二回目で、内容をしっかりまとめられればと思っていたが、読んでしまったら、面倒くさくなった。
だけど、ともかく、僕は、日本の歌人で、式子内親王が一番好きで、同じ思いをもつ方のオマージュを愉しく読んだ。
この本は、全9章で構成されていて、第8章と第9章が、日本の和歌の特質、新古今和歌集の評価が語られていて、とても興味深かった。
日本人論と言ってもいいところがあった。
ホテルオークラのラウンジで、R.W氏が、ドライ・シェリーを注文した。
バーテンダーが選んでくれて、飯倉のバーで、クリーム・シェリーを飲んだ。
アメリカの東海岸の都市の住宅地、ホーム・パーティのはじまりにシェリー。
赤坂の蟹料理のレストランで、まずシェリー。
旅先で、シェリーをともに・・・・・。
シェリーについては、これくらいしか思い出せない。
中瀬航也著/シェリー酒/PHPエル新書/2003/¥950
とりあえず、シェリーについては、僕には、この一冊で充分だ。
1995年に発行された本に、谷川俊太郎の「クレーの絵本」(講談社)がある。
パウル・クレーの絵と谷川俊太郎の詩が載った素敵な一冊だ。
「まじめな顔つき」と言う詩があって、以下の通りだ。
まじめなひとが
まじめにあるいてゆく
かなしい
まじめなひとが
まじめにないている
おかしい
まじめなひとが
まじめにあやまる
はらがたつ
まじめなひとが
まじめにひとをころす
おそろしい
あなたはまじめだろうか
あなたの悲しみ、涙、立腹は、何かにとらわれているだけでないだろうか。
あなたは、人を殺しませんでしたか。
気づいてないだけではありませんか。
エピクロスの「断片」
「その一 『エピクロスの勧め』から」65
自分で十分に用が足せるものごとを、神々に請い求めるのは、愚かである。
「その二 その他の断片」の58
もし神が人間の祈りをそのままに聴き届けていたならば、人間はすべて、とっくの昔に亡びてたであろう。というのは、人間はたえず、たがいに、多くのむごいことを神に祈ってきているから。
以上は、出隆、岩崎光胤訳の岩波文庫「エピクロス」からである。
以前から、幾度となく読んだ箇所だ。
この前読んだ田中美知太郎編「ギリシアの詩と哲学」でも、エピクロスの紹介のところで、この箴言が取り上げられていた。
そして、次のような解説があった。
「・・・そして事実、祈りは、悪意の表現でないときには、しばしば怠惰の一形式にすぎないのである。・・・・」
ある聖職にある人が、ウクライナやパレスチナの戦争をとりあげて、政治の無力を批判的に言い、神こそ力があると言って、かの地の平和の到来を祈るとき、何と聖職者にあるまじき無責任、怠惰だと咎めたくなる。
謡曲「笠卒塔婆(重衡)」に
・・・またこれより南都七堂に参らばやと存じ候・・・
南都七堂とは、東大寺、興福寺、西大寺、元興寺、大安寺、薬師寺、法隆寺。
・・・飛鳥の寺の夜の鐘、飛鳥の寺の夜の鐘、鬼ぞ撞くなる恐ろしや、さても音に聞きし鐘の音は、これぞと思ひ、入相もすさまじや。・・・・
この飛鳥の寺とは、元興寺を指す。元興寺は今、猿沢池の近くにあるが、その前身は法興寺といって飛鳥の地にあり、飛鳥寺と呼ばれた。
崇峻天皇の即位の時に建立された古寺である。
今秋、奈良へ行ったとき、謡曲「重衡」のことが、思い浮かび、元興寺へ寄った。
参観者用のパンフレットで、古事を確認した。
元興寺を出て、近鉄奈良駅に向かった。
途中の商店街に、茶道具を多くおいてある古道具屋があった。
謡曲「笠卒塔婆(重衡)」を読んだのは、岩波書店の「日本古典文学大系41 謡曲集 下」だった。古本でである。
岩波書店の現在出ている「新日本古典文学大系57 謡曲百番」には収められていない。
平凡社「思想の歴史」(全12巻)
その第1巻は、「ギリシアの詩と哲学」で、発行は昭和40年4月10日。
編者は、田中美知太郎。
定価が480円となっている。
全12巻が、僕の書棚にある。
12巻のうち、一番手に取ったのは第10巻の「ニーチェからサルトルへ」。
この本を初めて見たのは、高校生の頃で、学校の図書館ではなかったかと思う。
第10巻には、ロートレアモンやシュールレアリズムのことが載っていて、そこらばかり、読んでいた。
第1巻も、僕の関心の範囲内のことが記されている。
ここのところ、ギリシアの哲学者ものに接することが多く、第1巻を手に取る。
エピクロスについては、「魂の医師エピクロス」と題されて、14ページばかりの記述がある。
田中美知太郎編のゆえであると思う。
エピクロスの思想がとても分かりやすく紹介されている。
〈エピクロスにとって哲学とは、学問であるというよりはむしろ、生き方にかかわるもの、幸福の獲得をめざすものであつた。・・・・・・・エピクロスにとっては、医術がからだの病気を治療するように、哲学は魂の苦悩をとりのぞき、魂の健康を確保するために学ばれるべきものであった。そしてこの、魂に悩みのないこと、心が乱されずに平静な状態にあること、つまり「アタラクシア」こそ、哲学がめざす幸福の本質であったのだ。・・・・・〉
アンティステネスを開祖として、ディオゲネス、クラテス、ヒッパルキア、オネシクリトスらのキュニコス派(犬儒学派)の人たち。
傍で見るには魅力的だ。
だけど、恐らく、すぐ隣にいたら、堪らないだろう。
臭くて辟易するだろう。
女性哲学者のヒッパルキアは、同じキュニコス派のクラテスを慕い、その妻となった。
二人は、ところ構わず、おもむくままに、〈犬〉のように媾わった。
個人としてのナチュラルな生き方、平安な生き方を求めるのはいいが、人は群れをなして生きる。
群れをなさずに生きるのは、困難をともなうからである。
群れをなすと言うことは、他者との共存。
そこには当然、煩わしさが発生する。
古代ギリシアの詩人パルラダースの「浮世」と言う詩が思い出される。
沓掛良彦の訳である。
浮世はのう、所詮あそびか芝居小屋
くすむ心をさらりとすてて
かぶきたまえや
それは御免と言いやるならば
忍びたまえや世の憂さを
ヒッパルキアのことは、岩波文庫の「ギリシア哲学者列伝 / ディオゲネス・ラエルティオス著 / 加来彰俊訳」(岩波文庫)の〈中〉等に載っている。
廣川洋一著「ソクラテス以前の哲学者」(講談社学術文庫)のヘラクレイトスの部分を読む。
著者によるヘラクレイトスの思想紹介・解説とヘラクレイトス自身の著作の断片の和訳の部分を通読した。
いにしえの哲学者の考えを知ると言うことにはなるが、それ以上にはならないなと思った。
著者が解説するヘラクレイトスの哲学の核心になるかと思う部分を、その断片から、2点を記す。
・断片101 私は、自分自身を探究した。
・断片126 冷たいものが熱くなり、熱いものが冷たくなる。湿ったものが乾き、乾いたものが湿る。
万物は変化する、万物流転、万有流転である。
高神覚昇著「般若心経抗議」に〈・・・仏陀は「諸行無常」といいました。ヘラクレイトスは「万物流転」といいました。万物は皆すべて移り変わるものです。・・・・〉とある。
「諸行無常」と言うと、この世のはかなさのニュアンスがって、ヘラクレイトスの言う「万物流転」は、科学的側面が強くて、僕には、いささか異なって感じられる。
長らく店頭から消えていた岩波文庫の「ギリシア哲学者列伝 / ディオゲネス・ラエルティオス著 / 加来彰俊訳」が、現在は本屋の棚にならんでいる。
(上)(中)(下)の三冊となっている。
全体を通読するという類いの本ではない。
八十二人の哲学者が紹介されている。
自分が関心のある人を選んで読むことになる。
まず、ヘラクレイトス。
ヘラクレイトスについては、高校生の頃だったか、高神覚昇著「般若心経講義」(角川文庫)で、彼の“万物流転”という言葉を知って、以来、関心をもってきた。
何種類かの書籍で、ヘラクレイトスのことを読んだが、それらの元にあるのが、ディオゲネス・ラエルティオスのこの本なのである。
手元に置いておきたいものなのである。
幾人かの評者等によるヘラクレイトス像、その思想が紹介されている。
それらによるポイントをあげてみる。
・傲岸不遜なタイプ、気位が高く尊大であつた。
・人間嫌いになった折には、森にこもった。
・森では、草や木の葉を食べて暮らした。
・水腫症に罹り死んだ。(死因には別説ある)
・水腫症の折には、牛の糞にまみれて、体の水分を抜こうとした。
思想の部分では、火や水、太陽、月、星のことなどがあるが、よく分からなかった。
現代の科学からすると空想のようなものでしかないようだった。
次には、廣川洋一著「ソクラテス以前の哲学者」(講談社学術文庫)を読もうか。
何度か読み出しては、放り出している本だ。
ヘラクレイトスの著作の断片も載っている。
シベリウスの「樹の組曲」の中の一曲「老松」は、北欧の厳しい環境の中で、しっかりと根を張り長命の松を称えた力強い曲である。
我が国でも、長寿の松は、称えられる。
謡曲に、世阿弥の作で、「老松」がある。
・・・日の本の、国豊かなる秋津洲の、波も音なき四つの海・・・
・・・これは老木の、神松の、千代に八千代に、さざれ石の、巌となりて・・・
・・齢を授くる。この君の、行末守れと、わが神託の、告を知らする、松風も梅も、久しき春こそ、めでたけれ
太平の世の春をことほぐ格調高い一曲となっている。
プラトンの「シュンポシオン:饗宴」。
中澤務訳、光文社〔古典新訳〕文庫で読む。
ソクラテスの弟子のアポロドロスが、かつて参加したシュンポシオンのようすを語った内容が記されている。
場所は、悲劇詩人のアガトンの邸で、テーマは、〈エロス〉。
集まっていたのはソクラテス他で、それぞれが自分の考えを語る。
この中で、三番目に語った喜劇詩人のアリストファネスの話は印象的で、興味深い。
そのポイントを列挙して備忘とする。
・太古の昔、人間は、現在のような姿はしていなかった。
・人間には三つの性別があった。男と女とアンドロギュノス。
・人間の体は球体で、手足は四本づつ、顔は二つ。
その顔はうりふたつで、一つの首の上に裏表のさまをなしていた。
生殖器は二つあった。
・この太古の人間は、力、知恵、志に秀でていた。
神は、自分に刃向かってくる人間の弱体化をはかった。体を二つに分断した。
・よって、全体性への欲求、追求が〈エロス〉。
いささか、はしょったところがあるが、こんなような話なのだ。
◇
ソクラテスも語り手のひとりで、話のなかに、ディオティマと言う女性の賢者が登場する。
ソクラテスは、ひたすらディオティマの言から、〈エロス〉のなんたるかを教えられる。
シュンポシオンのラストの語り手は、政治家のアルキビアデスで、後段で、ソクラテスとの関係、思いが語られる。
ロジェ=ポル・ドロワ&ジャン=フィリップ・ド・トナック著 / 中山元訳の「ギリシア・ローマの奇人たち・風変わりな哲学入門」(2003 紀伊國屋書店)
この本では、多くの奇人なる哲人が取り上げられている。
プラトンについては、ちょっとしたエピソードが紹介されている。
プラトンは、重要な知を得ていたとされるピュタゴラスの思想を知りたかった。
ピュタゴラス本人が著した書物はのこされていないようだったが、弟子の一人が、その教えをまとめた書があることを知った。
弟子は亡くなっていたが、書は、その親戚筋の者の手元にあった。
その親戚は、その書の価値を知らなかった。
それをいいことに、プラトンは、その親戚をたぶらかしつつ、安価で、その書を手に入れた。
こう言う話を聞くと、プラトンにも親しみが持てますね。