落ちた朴の木の葉裏

2008-11-30 | 【樹木】ETC
 晴れた秋の昼、久しぶりに程久保側沿いの遊歩道を歩いた。
 朴の木が、葉を落としていた。
 木の周りには、枯れて落ちた葉が散乱している。
 葉裏の白さが目につく。
 朴の「ホオ」は「ハハ」。「ハハ」は、蛇の古名。
 朴の木は、蛇の木。
 その落葉が蛇の脱皮に結びつけられたと、以前読んだ。
 白い葉裏を見せて、散らばって朴の落ち葉に、なるほどと思った。

唐鼠黐かも知れない

2008-11-30 | 【樹木】ETC
 はじめ、白い円錐状の花を見て、アワブキ(泡吹)かなと思った。アワブキは落葉樹である。常緑のヤマビワ(山枇杷)かとも思った。しかし、葉がツヤツヤしていて枇杷風の葉脈が見えない。普通のネズミモチ(鼠黐)にしては、花も葉も派手、大きめである。トウネズミモチ(唐鼠黐)かも知れない。今、白い粉をかぶったような黒っぽい実をビッシリつけている。

秋の一日

2008-11-29 | 【樹木】楓
 朝、ベランダの無花果、櫟、梅の落ち葉を掃く。
 昼、遠く板屋楓の紅葉を眺める。
 夕方、唐楓の並木の道を通る。
 赤くなっている葉、黄色いの、その中間のもの、まだ緑色の葉を確認する。
 夜、オリオン座を望む。

兄と妹の性愛

2008-11-29 | 読書
 古事記、軽太子(カルノミコ)と軽大郎子(カルノホイラツメ)の段。
 この段、詩と文をまじえた文学作品という感じだ。
 兄と妹の情愛がテーマで、妖しい香りを放っている。
 允恭天皇が崩御したのち、その皇位継承者たる軽太子が、妹の軽大郎子と道ならぬ情愛の世界に落ちるのである。軽太子が軽大郎子に「たはけ」るという表現が使われている。
 その秘められた関係は、重苦しく、それゆえに濃密なものであることが、軽太子の歌からも察せられる。
 「・・・・・下どひに 我がとふ妹を 下泣きに 我が泣く妻を こぞこそは 安く肌触れ」と。
 この二人の関係は、周りから、うとまれ嫌われる。皇位は、軽太子の弟の穴穂御子(アナホノミコ)が継ぐべきであるという世論が高まっていく。これにより、兄と弟は、お互いに戦のかまえをとることになる。二者の間にやりとりがあり、軽太子が捕らえられ、伊予へと流される。
 そして、その後を軽大郎子(衣通王・ソトホリノミコ)が追う。
 軽大郎子が歌う。 
 「夏草の あひねの浜の 蠣貝に 足踏ますな あかして通れ」
 二人は、伊予の地で再会、心中して果てる。
 やるせない話である。
「・・・あひねの浜の蠣貝に・・・・」は、「浜の牡蠣で足を傷つけないでね。気をつけてね」というような歌だ。「あひねの浜」というのは、何処のことであるか、定かではないということである。そういえば確か、大宮の盆栽町あたりに「アイネ」というラブホテルがあったな。今もあるのだろうか。

くか瓮を居ゑて

2008-11-28 | 読書
 古事記、允恭天皇の話。
 はじめの段は、何という妻から、何という子が出きたかが記されている。
 つづく段には、即位のときのこと、治世の業績が記されている。
 即位に関する部分では、「自分には病がある」からと、皇位継承を辞退されようとしたとある。後に、新羅からの貢ぎ物を運んできた大使が、薬のことに詳しく、うまく処方して天皇の病気を治したとある。
 また、治績として、乱れていた氏姓を正したとある。それは、盟神深湯(くかたち)を用いて行われたとある。
 「くかたち」は、神に誓って、手を熱湯に入れ、爛れれば邪、なんともなければ正と判定することである。氏姓を偽って使っている者が多く、それを正すために用いたようである。
 かつて、W氏が、コラムで「くかたち」のことに触れて、今の政治家もやるべきだと言っていた。

立派な歯をした天皇

2008-11-28 | 読書
 古事記、反正天皇の段。
 反正天皇は、前段に出て来た履中天皇の弟である水歯別命(ミズハワケノミコト)のことである。この段には、妻子のことが記されている。
 特記されているのが、その歯の立派さである。
 「御歯の長さ一寸広さ二分、上下等しくととのひ、すでに珠に貫けるが如し」とある。

大鋺面を覆ひき

2008-11-28 | 読書
 古事記、水歯別命(ミズハワケノミコト)の段。
 履中天皇は、弟のひとりである水歯別命に、「お前も、墨江中王(スミノエノナカツミコ)と同じく、わたしを亡き者として、天皇の位を得ようという気持ちを抱いているのでないか」と問う。
 水歯別命は、「邪心なし」と答える。天皇は、「ならば、墨江中王を殺してみよ」と命じる。謀反を起こされた天皇としては、当然の措置であろう。前段のところで、履中天皇のことを「のんきな天皇」と書いたが、真相は分からぬ。のんきと見える裏に、自尊やしたたかさが隠されているこもままある。
 天皇の命を受けた水歯別命は、墨江中王の近くに仕える曾婆加里(ソバカリ)に、名誉欲をくすぐる話をもちかける。「墨江中王についていても、この先いいことはないぞ。俺は天皇になる、そうしたらお前を大臣にする。墨江中王を殺せ」と。
 曾婆加里は、これまで主君であった墨江中王を殺す。厠でであった。
 水歯別命は、曾婆加里の功を称え杯をかわす。ただ心中、「こやつはよくやった。だけど、このような不義を平気で行うものを身近には置けない。このまま生かしておくわけにいかぬ」と思う。
 そして、曾婆加里が、大きな杯を傾け、顔を覆ったとき、刃を取り出し、その頸を斬った。飛鳥での出来事である。
 水歯別命は、参内し、天皇の命を果たしたことを報告した。

のんきな天皇さん

2008-11-28 | 読書
 古事記、履中天皇の話。
 はじめの段は定番、妻子のこと。
 続く段は、天皇が弟に殺されかかったことが記されている。
 履中天皇が、難波の宮での宴で、酒に酔いぐっすり眠り込んでしまう。
 それを見た弟の墨江中王(スミノエノナカツミコ)は、天皇を亡き者として、自らが天皇になろうと思う。それで、宮殿に火を放つ。
 眠りこけている天皇を、阿知直(アチノアタイ)が救い出す。馬に乗せ、多遅比野というところに到ったところで、天皇が目を覚ます。
 そこで、天皇が、「こんなところまで来て寝ることがわかっていれば、薦を持ってくればよかった」という歌を詠む。動揺し、寒々とした心境が、その歌を作らせたのだろうと言うことのようだが、別の角度から見れば、のんきな話だ。ピクニックではないのだ。天皇たる自分の命が狙われていたというなら、他にすることがあるのではないかなと思う。なさけない奴だなとも感じてしまう。
 その上、丘の上からまだ火炎をあげている宮殿の方角をみて、「あのあたりには妻の家もある」と詠む。これは、妻を心配してのものと言うが、「あほじゃないか。妻を助けなくていいのか」と感じてしまう。
 そして、村人に、難を逃れる道筋を教えてもらって、「とおまわりの道だな」との感想を抱く。そんな天皇であったのだなと、私は感想を抱く。

その音七里に響みき

2008-11-27 | 読書
 古事記、大木の段。
 河内の国の兔寸川の西に大きな木があった。その木で船を造ると、たいへん走りがよかった。それで、その船は、「枯野(からの)」と名づけられた。「枯」は、「軽」の意であてらた字のようである。船を退役したのち、その材で琴を作ったら、たいそう響きがよかった。

雁の卵

2008-11-27 | 読書
 古事記、雁の卵の段。
 この段に登場するのは、雁の卵と建内宿禰命と仁徳天皇である。
 天皇が「大和の国に雁卵生と聞くや」と詠い、建内宿禰が、「大和の国に雁卵生といまだ聞かず」と返している。そして、それぞれの歌に、建内宿禰の長寿が寿がれている。
 しめは、建内宿禰による天皇への賛歌である。「いつまでも天下を治められることだろう。雁が大和の国に卵を生むというのもその徴だろう」と。

いやな夫婦だなあ

2008-11-26 | 読書
 古事記、速総別王(ハヤブサワケノミコ)の段。
 仁徳天皇は、速総別王を使って、女鳥王(メドリノミコ)を乞うた。女鳥王は、八田若郎女の妹である。彼女は、使いで来た速総別王に、「皇后はとんでもない方です。わたしは、おねえさんのようにはなりたくない。あなたの妻になります」と言った。そして、二人は結ばれた。
 仁徳天皇は、速総別王から返事がないので、女鳥王のもとを訪ねた。彼女は、機を織っていた。天皇が、「誰の着物を織っているのか」と問うと、「速総別王のもの」とのことであった。天皇は、ことを察して、宮に帰った。
 宮に帰った天皇は、女鳥王が速総別王に「速総別 鷦鷯(ささぎ)取らさね」との歌を詠んだことを知る。天皇の名は大雀命(オホサザキノミコト)で「さざき」は「みそさざい」のことである。「はやぶさ(隼)」が「みそさざい」を討つということである。
 天皇は、軍をおこし、二人を追い、殺した。
 二人を追討した軍の大将は、女鳥王がしていた腕輪をとり、自分の妻に与えた。皇后がそのことに気づき、その大将を死刑とした。皇后の心理は、いろいろ推し量れるが、いずれにしろ、激しい気性が感じられる。

隠蓑の葉には裂

2008-11-26 | 【樹木】ETC
 仁徳天皇の后が、紀伊の国に採りに行ったというカクレミノ(隠蓑)の葉は、卵形で、全縁か2~3裂。若木は5裂。この裂をもつ葉が目につく。3裂した葉は蓑を連想させる。
 暖地の沿岸部に多く生息する。常緑である。

夫婦喧嘩に周りが困る

2008-11-25 | 読書
 古事記、奴理能美(ヌリノミ)宅の段。
 前段の続きである。皇后は、都に帰らず、奈良の奴理能美の屋敷を宿として過ごす。臍を曲げままなのである。天皇からは、実際上お詫びともとれる歌が届く。皇后にも、いつまでもこのままではいけないなという気配も見え出す。この夫婦喧嘩に、取り巻き達も困り、何とか仲直りのきっかけをと考える。
 奴理能美は、奇しき虫を飼っており、皇后は、それを見るために屋敷に来ているだけであるということにして、天皇に伝える。天皇は、それでは自分も見に行こうと言うことになり、二人は再会する。
 とりあえず、二人はよりを戻したようでもある。
 奇しき虫とは、蚕のことで、幼虫、蛹、蛾と変態することをもって、「奇しき虫」としたようである。
 その天皇、また、八田若郎女に「まことに清々しい女」との歌をおくってもいる。

妻の目を盗んで

2008-11-25 | 読書
 古事記、八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)との情交の段。
 仁徳天皇は、皇后が新嘗祭の酒宴のために、紀伊の国に、御綱柏(みつなかしわ)を採りに出かけているスキに、八田若郎女といちゃついていた。「昼夜戯れ遊び」と表現されている。
 この天皇の行状は、使用人によって皇后に伝えられる。皇后は怒り、折角採り集めた御綱柏をことごとく海に投げ捨てた。そして、天皇のもとへは帰らず、山代や奈良を巡った。
 天皇は、そんな妻にやつぎばやに歌を送り、機嫌をとろうとしている。なんだか、なさけない。女にすぐ手を出したがることは、同性として、そう言うこともあろかと思うが、前段の黒日売のことにしても、皇太子の頃の髪長比売とのことにしても、なんだか、さっぱりとしたものが感じられない。どうも。応神天皇、仁徳天皇という父子(同一人物との説もあるようだが)には、妙な屈託があることを感じてしまう。
 妻を嫉妬の権化みたいにさせたのも、何か原因があるのでないのか。
 さて、この段に出てくる御綱柏(みつなかしわ)であるが、酒を盛るために用いたとある。手元の本の解説に、ウコギ科のカクレミノとあった。多摩動物公園のシフゾウ舎あたりに植えられていることを思い出す。このブログに書いたこともある。