謡曲「重衡」の後段である。
浮かばれぬ重衡の霊が奈良坂にあらわれる。
「あら閻浮恋しや」
閻浮は、この世のこと、現世、娑婆のこと。
「魂は去れども」「魄霊は、なほ木のもとに残り居て、ここぞ閻浮の奈良坂に、帰り来にけり」と言うわけである。
重衡は、首を斬られ、この世の命を失い、魂はあの世に行ったが、魄がこの世に残ったのだ。
魂魄とは今日もよく使うが、「魂」と「魄」が、このように分けられている。
そして、「重衡が、妄執を助け給へや」となる。
重衡の妄執とは、慚愧の念なのか。
神仏への畏れなのか。
この世への未練なのか。
ただ、この世への未練であるなら、このような謡曲がつくられることはなかったろう。
春日野の軍兵の夜の篝火の情景が謡われる。
仏の救いを信じ、求めることになる。
「重衡が、瞋恚を助けて賜び給え。瞋恚を助けて賜び給え」とむすばれる。
昨日、平家物語をぱらぱらとめくった。
南都焼き討ちと重衡生け捕りは、離れた個所に記されていた。
写真は、春日大社の森の梛の木の葉。
確か先月、撮ったものだ。
浮かばれぬ重衡の霊が奈良坂にあらわれる。
「あら閻浮恋しや」
閻浮は、この世のこと、現世、娑婆のこと。
「魂は去れども」「魄霊は、なほ木のもとに残り居て、ここぞ閻浮の奈良坂に、帰り来にけり」と言うわけである。
重衡は、首を斬られ、この世の命を失い、魂はあの世に行ったが、魄がこの世に残ったのだ。
魂魄とは今日もよく使うが、「魂」と「魄」が、このように分けられている。
そして、「重衡が、妄執を助け給へや」となる。
重衡の妄執とは、慚愧の念なのか。
神仏への畏れなのか。
この世への未練なのか。
ただ、この世への未練であるなら、このような謡曲がつくられることはなかったろう。
春日野の軍兵の夜の篝火の情景が謡われる。
仏の救いを信じ、求めることになる。
「重衡が、瞋恚を助けて賜び給え。瞋恚を助けて賜び給え」とむすばれる。
昨日、平家物語をぱらぱらとめくった。
南都焼き討ちと重衡生け捕りは、離れた個所に記されていた。
写真は、春日大社の森の梛の木の葉。
確か先月、撮ったものだ。