閻浮恋しや

2019-08-28 | 読書
 謡曲「重衡」の後段である。
 浮かばれぬ重衡の霊が奈良坂にあらわれる。
 「あら閻浮恋しや」
 閻浮は、この世のこと、現世、娑婆のこと。
 「魂は去れども」「魄霊は、なほ木のもとに残り居て、ここぞ閻浮の奈良坂に、帰り来にけり」と言うわけである。
 重衡は、首を斬られ、この世の命を失い、魂はあの世に行ったが、魄がこの世に残ったのだ。
 魂魄とは今日もよく使うが、「魂」と「魄」が、このように分けられている。
 そして、「重衡が、妄執を助け給へや」となる。
 重衡の妄執とは、慚愧の念なのか。
 神仏への畏れなのか。
 この世への未練なのか。
 ただ、この世への未練であるなら、このような謡曲がつくられることはなかったろう。
 春日野の軍兵の夜の篝火の情景が謡われる。
 仏の救いを信じ、求めることになる。
 「重衡が、瞋恚を助けて賜び給え。瞋恚を助けて賜び給え」とむすばれる。
 昨日、平家物語をぱらぱらとめくった。
 南都焼き討ちと重衡生け捕りは、離れた個所に記されていた。

 写真は、春日大社の森の梛の木の葉。
 確か先月、撮ったものだ。

紅まさに老いたり

2019-08-28 | 読書
 先日、能の関連本を読み、久しぶりに謡曲を読んだ。
 元雅作と見なされている「笠卒塔婆」。「重衡」との名もあり、さらに「重衡桜」の名もあるようだ。
 重衡は、平重衡で、清盛の命で、奈良・南都の焼き討ちを行う。東大寺や興福寺が焼失する。重衡は、己の行ったことに自責の念をもつ。その重衡の心をあつかった作品で、修羅ものである。
 謡曲は、旅の僧が、京都で寺社をめぐってから奈良へ、奈良坂にたどり着いたところからはじまる。
 「はや奈良坂に着きにけり」と。
 奈良に来たのは、「南都七堂に参らばやと存じ候」とのことである。
 南都七堂とは、東大寺、興福寺、西大寺、元興寺(飛鳥寺)、大安寺、薬師寺、法隆寺の奈良近辺の大寺である。
 ここらの段で、「苦しき老いの坂なれど、越ゆるや程なかるらん」「花は雨の過ぐるによって紅まさに老いたり、栁は風に欺かれて、緑やうやく低れり、寒林に骨を打つ、霊鬼泣く泣く前生の業を恨み、・・・」と、人の宿業にふれて謡われる。
 「老いの鶯音も古りて、身に染む色の消えかへり、春の日の影共に、遅き歩みをたどり来て。・・・花の木蔭に着きにけり。・・・」
 そこで、旅僧は、里人から、眼下に眺められる仏閣を教えてもらう。いわゆる名所教えである。
 東大寺、西大寺、法華寺、興福寺(山階寺)、不退寺、飛鳥寺が教えられる。
 そこで、旅僧は、里人から、そこにある墓(しるし)に向かって、「回向をなしておん通り候へ」とすすめられる。
 その「しるし」とは、重衡の墓(卒塔婆)。
 「さても重衡は一の谷にて生け捕られ、関東下向とありしが、南都の訴訟強きによって、あの木津川にて斬ら給ふ」と説明される。
 重衡の南都焼き討ちは、清盛にこそ褒められたが、それだけだったのだ。
 多くから、嫌われるというか、その所業によって、人として蔑まれたのだ。
 そして、そのことを重衡はおおいに自覚していたという悲劇がそこにある。
 「朝に紅顔あつて、世路にたのしむといへども、夕べには白骨となつて、郊原に朽ち果てし、木津川の波と消えて、あはれなる跡なれや」と。
 謡曲は、この後、重衡の亡霊の登場となる。

大聖堂の鐘

2019-08-24 | 【断想】音楽
 デュリュフレのオルガン曲「ソワッソン・カテドラルの時を告げる鐘からのフーガ」を聞く。
 奏者は、アドリアノ・ファルシオニで、ブリリアニ盤。
 3分半くらいの小品だ。
 前に、別の奏者で聞いている。
 もう一度聞きたいと思わせるところがあり、聞いたわけだが、・・・・。
 あの時は、オルガンの音そのもの、シンプルな感じのデュリュフレの曲に魅力を感じたのか。

瞋恚を助けて賜び給え

2019-08-22 | 読書
 久しぶりに、能の関係の本を開いた。
 松岡心平著「能の見方」(角川文庫)だ。
 謡曲「重衡(笠卒塔婆)」のことが書かれている部分を改めて読んだ。
 今度、奈良へ行く機会があったら、奈良坂へ行ってみようと思った。
 奈良坂は、今はどうだか知らないが、般若野と呼ばれるところにあり、いにしえの都を一望できる場所である。
 南に、西大寺、東大寺、法華寺、興福寺、不退寺、飛鳥寺(元興寺)が眺められる。
 そこは、平重衡が、南都焼き討ちの命令を出した場所であり、首が晒された場所である。
 古寺である般若寺があり、そこの大卒塔婆の前に晒されたと伝えられている。
 斬首されたのは、木津川の畔だそうだ。
 そう遠くないところだ。
 重衡は、寺を焼き、その魂は、奈良坂をさまようことになる。
 謡曲では、そういうことで、重苦しさに終始する。
 人の罪業や弱さについて、思わずにはおられない。
 「瞋恚を助けて賜び給え。瞋恚を助けて賜び給え」と。

COOKIN

2019-08-20 | 【断想】音楽
 マイルス・デイビスの「クッキン」。
 人気の高いアルバム。
 聞けば、それがわかる。
 特に、わたしがすきなのは、
 1曲目の「マイ・ファニー・バレンタイン」。
 ミュートがさえている。
 こんな感じ。
 独りさみしく歩く夜道。
 だけどそれだけじゃない。
 さみしいだけじゃない。
 ほのかなものだけど、
 芽生えはじめた恋の予感。

RELAXIN'

2019-08-20 | 【断想】音楽
 マイルス・ディビスの「リラクシン」。
 1955年の秋に、マイルス・ディビスのクインテッドが結成された。
 メンバーは、ジョン・コルトレーン(ts)、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フィリー・ジョー・ジューンズ(ds)。
 このアルバムは、1956年に録音、プレステッジからの「リラクシン」、「ワーキン」、「スティーミン」、「クッキン」の4部作のはじめのひとつである。
 マイルスのミューテッド・プレイが際だち、さえた頃のものである。
 改めて聞いて、わたしが何故、マイルスを余り聞かなかったかに気づいた。
 決して嫌いと言うわけでなく、大都会の深夜に静寂に響く音、孤独を感じさせる音は、なんとも魅力的である。
 ただ、そこには、人の生き方に関わる情動のようなもの、いかんともしがたい叫びのようなものが感じられないのである。
 マイルスには、音楽のための音楽という側面を強く感じる。
 たとえば、アルバート・アイラーのような内なる声が感じられないのである。
 わたしは、アイラーが好きで、マイルスには余り近づかなかったという次第である。
 要するに、アイラー好きは心に病があり、マイルス好きは心が健康な人とも言えるかと思う。
 続けて、「クッキン」を聞こうかと思っている。
 わたしの心は、当時より健康になっているのだろう。

THE INCREDIBLE JAZZ GUITAR

2019-08-18 | 【断想】音楽
 THE INCREDIBLE JAZZ GUITAR OF WES MONTGOMERY(RIVERSIDE)のCDをかける。
 1960年のウェス・モンゴメリーのアルバムだ。
 聞きなれた曲で、安心していられる。
 ジャズに関しては、曲の確認に開く本がある。
 以下の一冊。
 「ジャズ・アンド・ジャズ 歴史に見る名盤カタログ800」講談社から昭和53年に発行されたものだ。
 ものすごく役に立っている。
 1ページに、LP4枚のコンパクトな紹介。
 要するに、俺にとって、その後のジャズには関心がわかず、この古い物で充分なのだ。
 それに、ながながした解説は、面倒くさい。

主よ、あわれみたまえ

2019-08-18 | 【断想】音楽
 モーリス・デュリュフレのミサ曲「クム・ユピロ」を聞く。
 作品11、1966年の曲である。
 男声合唱とオーケストラの曲だが、男声合唱とオルガンの版もある。
 オルガン伴奏のものを聞く。
 CDは、ゲイリー・グラーデン指揮、聖ヤコブ室内合唱団のBIS盤。
 オルガンは、マッティアス・ヴァイェルと言う人。
 ミサ曲で、キリエ、グローリア、サンクトゥス、ベヌディクトゥス、アニュス・デイと続く。
 デュリュフレの作品一覧表を作った。
 14曲と遺作1曲。
 うち1曲は紛失。
 管弦楽のための2曲、室内楽と言って良いのだろうが、フルート、ヴィオラ、ピアノのための1曲、計3曲をまだ聞いていない。

BAGS' GROOVE

2019-08-17 | 【断想】音楽
 マイルス・ディビスの「バグズ・グルーブ」、テイク1,テイク2とレコード盤で聞く。
 どんな感じの曲だったかなと思って。
 いわゆるモダン・ジャズと言う感じでなじみやすい。それはいいところなのだろうが、かつて、物足りなさを感じたところでもある。
 ミルト・ジャクソンのビブラフォン、セロニアス・モンクのピアノ・・・・・。
 B面には、ソニー・ロリンズも登場。
 1954年のPrestige盤。

永遠のやすらぎを

2019-08-17 | 【断想】音楽
 モーリス・デュリュフレの「レクイエム」を聞く。
 今度は、以下のCDで。
 ペーテル・マッティ(バリトン)
 パウラ・ホフマン(メゾ・ソプラノ)
 マッティアス・ヴァイェル(オルガン)
 エレメール・ラヴォタ(チェロ)
 聖ヤコブ室内合唱団
 ゲイリー・グラーデン(指揮)
 BIS盤
 1992年、ストックホルムの聖ヤコブ教会での録音
 外の蝉の声がうるさくて、窓を閉め、クーラーを付けて聞いた。
 デュリュフレの「レクイエム」のCD、初めに聞いたのは、ション・スコット指揮のレソナス盤。
 続けて、ミシェル・コルボ指揮のエラート盤、トーマス・リーチ指揮のブリリアン盤、作曲家自身の指揮のエラート盤、ミシェル・プラッソン指揮のナクソス盤と聞いた。
 だんだん聞きなれて、感動が薄れてきてしまった。
 すこし、時間をあけて聞かなくては。

MY FUNNY VALENTINE

2019-08-16 | 【断想】音楽
 マイルス・ディビスの「マイ・ファニー・バレンタイン」。
 1964年2月、ニューヨークノフィルハーモニック・ホールでの録音である。
 なんとなく、1955年の「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」の頃のものと思っていた。その10ねんばかり後のものだった。
 かつて、ジャズに興味を持ちだした頃、マイルス・ディビスは余りに人気が高く、毛嫌いしてしまった。
 トランペットと言うと、ガレスピーやリー・モーガンが聞きやすく、たのしそうだった。
 それに、テナー・サックスに魅力的な巨人がおり、そちらに方にひかれた。
 それでも、人の好みは変化するようで、最近は、マイルス・ディビスもいいなとおもうようになった。
 「マイ・ファニー・バレンタイン」のパーソネルは、ジョージ・コールマン(ts)、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)と錚々たる顔ぶれ。
 一般に、大都市での孤愁感があふれていると評される。
 改めて聞いたわけだが、期待したほどではなかった。

デュリュフレの「レクイエム」

2019-08-16 | 【断想】音楽
 モーリス・デュリュフレの宗教曲「レクイエム」が収められたCDを、既に4,5枚持っている。
 評判のいいミシェル・ルグラン指揮のものはまだ。
 新たに、NAXOS盤を入手。エーリック・ルブランがオルガン、ミッシェル・プラッソンが指揮、シテ管弦楽団と言うものである。
 一応聞いたが、「ながら」だったので、改めてしっかり聞きたい。
 デュリュフレの「レクイエム」が気に入って、あれこれCDを入手しているうちに、一枚のCDには、別の曲も収められていて、もともと寡作なデュリュフレの作品の大概を耳にしたことになっている。作品番号を見ていて、気づいた。

やっぱりギターがいい

2019-08-15 | 【断想】音楽
 ホアン・ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」の第2楽章をナルシソ・イエペスのギター、ガルシア・ナバロ指揮、フィルハーモ二ア管弦楽団のPO盤で聞く。
 マイルス・ディビスのトランペット他によって演奏された「アランフェス協奏曲」をジャズ評論家の岩浪洋三氏が、「原曲を超えた」と言っていたので、そうだろうかと、改めて聞いてみた次第である。
 やはり、「アランフェス協奏曲」は、ギターの方がいい。マイルスのクリアで淋しげなトランペットの音、スペインの民族楽器のカスタネットもつかったこまやかなスペイン・ムードが表現された演奏も素晴らしいが、やはり、原曲の方がいいと感じた次第だ。
 そう思って、マイルスのを聞くと、なんだか録音も良くないように感じた。
 1059年のニューヨークでの録音である。どうだったのだろうか、詳細はわからぬ。

マイルス・ディビスの“アランフェス”

2019-08-12 | 【断想】音楽
 マイルス・ディビスとギル・エエバンスのコラボレーションによる「アランフェス協奏曲」。
 ギターの協奏曲として作られたロドリーゴの「アランフェス協奏曲」がマイルスのトランペット、フルートで演奏されている。
 こまやかなスペイン情緒のゆらぎまで聞こえてくる名演奏だ。
 この演奏を評した岩浪洋三氏は、「原曲を超えた」とまで言っている。
 この「アランフェス協奏曲」は、原曲の第2楽章をジャズにアレンジしたもの。
 「スケッチ・オブ・スペイン」と言うアルバムに収められている。
 このアルバムには、ファリャの「恋は魔術師」からの「鬼火の歌」も収められている。
 なかなかの一枚である。
 静かな夜に聴くのがいい。