撃ちてしやまむ

2008-10-31 | 読書
 古事記、神武東征完了のの段。
 伊波礼毘古命が、荒ぶる神たち、背くもの達を撃退し、そして、橿原の宮で、天下を治めることになったとある。討伐されたのは、忍坂の八十建(ヤソタケル)、登美や師木の族である。この段では、戦闘にのぞむ意気込みが歌となって、それが並んでいる。久米歌と言う。
 「神風の伊勢の海の生石に這ひもとほろふ細螺のい這ひもとほり撃ちてしやまむ」と言うような歌である。
 植物では、粟や椒が出てくる。

圧し潰して殺す

2008-10-31 | 読書
 古事記、押機で殺す段。
 宇陀に宇迦斯の兄弟がいた。神武天皇こと神倭伊波礼毘古は、八咫烏を遣わし、この兄弟に傘下に入るよう促す。兄は、鏑を射るなど抗う。兵を集めて戦おうとするが、思うように集まらず、大殿を造り、そこに神倭伊波礼毘古を迎えるかたちで、恭順の意を表そうとする。しかし、それは偽りであった。人を圧し潰して殺す押機なるものをしつらえ、神倭伊波礼毘古を亡き者としようとたくらんだのである。
 この罠のことは、弟によって、神武勢に知らされた。神武勢は、怒り、兄を呼び出し、自らしかけた押機にかけて殺した。

冥府に下ったならば

2008-10-31 | 【断想】ETC
 生物としての遺伝子の他に何かをのこしたい。
 そう言ったひとがいた。
 そうだなあと思う。
 でもまあ、こんな詩をのこしたひともいた。
 アスクレーピアデースの「処女」(沓掛良彦訳)。
  処女の蕾散らすはいやと
  吝しみたもうか、娘さん。
  あだなることをのたまうものよ。
 一度 冥府に下ったならば
  心蕩かすやさしいことば
  二度と聞かれはせぬものを、
 キュプリス様のやさしい恵み、
  愛の愉しみ味わい知るも
  生きてこの世にあればこそよ。
 よいか、娘御聞きなされ、
  黄泉の国での姿というは
  骨と灰とになるばかり。

粋な別れをしようぜ

2008-10-30 | 【樹木】ETC
 秋、別れの季節。
 枯葉舞い散る道を初老の男性が、ひとりさみしくコンビニに弁当を買いに行く姿を見た。あれは、妻に捨てられた男か。明日はわが身か。
石原裕次郎の唄に「粋な別れ」というのがあった。浜口庫之介の作詞で、「秋には枯葉が小枝と別れ・・・」ときて、「粋な別れをしようぜ」と結ばれる。世にさまざまな別れがあるが、男女の色恋の末の生きながらの別れは、なかなか粋な別れとはいかないようだ。男女ともそれなりに傷ついてしまうのが、通例のように思う。時と場合によれば、殺傷沙汰となる。あの唄は、別れたいサイドの切実な願いの表れともいえようか。
 男女間のことは、さておき、落葉樹の葉っぱの方は、時いたらば、つべこべ言わずに小枝と別れる。葉は、風に吹きちぎられて落ちるわけではない。みずから、落ちてもよい状態をつくってのことである。葉に残っていた養分を木にもどし、葉の柄の決まった部分に離層をつくり、落ちる準備を整えているのである。ゆえに、落ち葉は、同じ形をしている。
 人も葉っぱくらいの自然さがあればいいのに。どっちみち、そのうち、枯れて呆けて、落ちるというわけだ。

黄金色の霊剣と八咫烏

2008-10-30 | 読書
 古事記、八咫烏の出てくる段。
 小学校の低学年の頃、金沢のYMCA学院に出入りしていた。ある時、通路の書棚に、子ども向けの年鑑のようなグレーの表紙の厚い本を見つけた。以来、それは、愛読書となった。歴代横綱の名前、プロ野球の優勝チームの変遷、ゲームのルール・・・・僕は、一気に「物知り博士」となった。
 その本に、日本の歴史年表も載っていた。カラーの絵つきであった。神武天皇は、黄金色の剣をもち、かたわらにこれも黄金色の鳳が描かれていた。未だに、神武天皇と言うと、あの絵が思い浮かぶ。
 神武天皇は熊野(和歌山県新宮市あたり)で、「熊」に出会い、自分も兵も気を失ったり、倒れ臥したりしている。手強い攻撃に遭い、一時、逼塞状態に陥ったというようなことだったのだろうか。
 これを救い、熊野の荒ぶる神を倒したのは、高木神から、高倉下(タカクラジ)を経て、神武天皇の手元に届いた霊剣であった。
 また、神武天皇の無事な行軍を導くものとして、八咫烏(ヤタガラス)がさずけられる。八咫烏は、名に烏の字があるが、大きな鳥のことである。
 その後、尾の生えた人に出遭ったりしている。

神武天皇の東遷

2008-10-29 | 読書
 古事記、中巻に入る。神武天皇(神倭伊波礼毘古というのは神武天皇の諡号)東遷の段。
 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト)と兄の五瀬命(イツセノミコト)は、高千穂宮で協議し、「政治を行うには、もっと東に行った方がよかろう」との結論を得た。この段は、二柱が、東へ東へと、宮を遷して行ったことが語られている。従って、その移動にともない、以下の通り、多くの地名がでてくる。
 日向:高千穂宮のあるところ
 豊国の宇沙:豊前の国の宇佐(大分県):足一騰宮
 竺紫:福岡県の遠賀川河口あたりに岡田宮
 阿岐国:安岐の国(広島県):多祁理宮
 吉備:岡山県:高島宮
 速吸門:豊予海峡:亀の甲に野って釣りをしている国つ神に遭う
 浪速:難波
 白肩津:蓼津と同地:東大阪市日下あたり
 登美:奈良市富雄あたり:神武天皇を攻めた豪族のいたところ
 楯津(日下の蓼津):
 血沼海:和泉の国、大阪府南部:五瀬命が傷を負った手を洗ったところ
 紀国男之水門:大阪府泉南市:五瀬命が落命したところ
 紀国竃山:和歌山県和田に竃山神社:五瀬命の陵のある場所

実蔓の秋の赤い実

2008-10-29 | 【樹木】ETC
 御岳山を散歩していて、赤い粒々の実をつけた木が目をひいた。
 落ちていた実を拾った。
 ちょっと山のイチゴのような感じがした。
 持ち歩くのも面倒で、地に落として、踏み潰してみた。
 家に帰って、あれこれ図鑑を開いて、その名を知ろうとした。
 この季節、赤い実をつけるものは、少なくない。
 だけど、あのように粒々状のものは、多くないようであった。
 それで、今のところ、あれは、サネカズラ(実蔓)と一応の結論。
 つる性の木で、別名、ビナンカズラ(美男蔓)。
 秋の山野で目立つとの説明を読んだ。

鰐魚の恋ごころ

2008-10-28 | 読書
 古事記、豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)の出産の段。上巻の最終である。
 山幸彦(日子穂穂手見命)が、地上のもとの国に還ってしまって、妻の豊玉毘売命はどうしたのか気になるところである。既に、山幸彦の子を孕んでいた。毘売は、地上の神の子を海で産むわけにはいかないと、夫のもとへ行く。
 渚に鵜の羽を葺草(かや)に産殿を建てるのだが、完成する前に産気づいてしまう。豊玉毘売命は、夫に、「出産のときには、もともとの姿に戻ってしまいます。見ないでください」と言い置いて、産殿に入った。豊玉毘売命は、わたつみの神の娘、もともとは、鰐魚の族である。山幸彦は、産殿に鰐魚がのたうちまわっているのを見てビックリすることになる。豊玉毘売命は、そんな姿を見られたことをいたく恥じて、わたつみの国へと戻ってしまう。その時生まれた御子の名が次の通りである。
 天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)。
 よく読めば分かるが、出産の時の状況が、そのまま名前になっている。
 豊玉毘売命は、地と海の間の道を塞いでしまうわけだが、時を経て、やはり夫を恋しく思う。御子の養育ということで妹を地の国につかわすのである、夫への歌を託して。その歌と、日子穂穂手見命の返歌。
 赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装し 貴くありけり
 沖つ島 鴨著つ島に 我率寝し 妹は忘れじ 世のことごとに

居酒屋の銀杏の実

2008-10-28 | 【樹木】ETC
 「きのこおこわ」を買ってきてくれと言われた。
 その店に、言われたとおぼしきおこわが売られていた。
 その中に銀杏の実が混じっていた。
 先日、今年になってまだ銀杏の実を食べていないと書いた。
 それは、そのような居酒屋に行っていないからとした。
 しかし、居酒屋に行かずして食べることができた。
 ただし、うまくはなかった。
 やはり、居酒屋へ行かねばならないか。
 殻のまま炒めて、透明感のある実に塩をふるのがいい。

山幸彦の帰還

2008-10-28 | 読書
 古事記、山幸彦の報復の段。
 山幸彦は、わたつみの神の宮で、美しい妻とともに、三年の歳月を楽しく過ごした。そのとある夜、妻は深いため息をつく夫を見る。
 綿津見神が、彼に問いただすと、兄の釣り針をなくし、途方に暮れるなかで、この宮に来たことなどを語った。
 綿津見神は、魚たちを招集し、「誰か釣り針を知らないか」と質した。そして、喉に何かをつまらせて困っている赤い鯛がいることが判明。その鯛の喉を探ると、山幸彦がなくした釣り針が出て来た。
 綿津見神は、山幸彦に、兄に針を返すときは、手を後にまわして、次のようにとなえよと教える。
 「この鉤は、おぼ鉤、すす鉤、貧鉤、うる鉤」と。「この釣り針は、鬱になり、いらいらがつのり、貧しく、愚かになる釣り針」という意味で、呪文である。田んぼは、兄とは別な場所に作れと言う。兄が、高いところに作れば、山幸彦は、低いところに作るというように。つまり、「自分は、水のことを掌握しているので、山幸彦の田には、豊かに流すが、兄のところには流さない。兄は、作物がとれず、三年のうちに貧窮に陥るであろう」と言うことである。
 その上、兄が怒り、山幸彦に攻めいたることを想定して、二個の珠玉を授けた。潮満珠(しおみつたま)と潮干珠(しおふるたま)である。潮満珠を出せば、兄は、潮に溺れ、潮干珠をだせば、潮が引いて助ける事が出来るという呪力をもつ珠玉であった。要するに、報復できるようにとの伝授である。
 そして、綿津見神のはからいで、一番速く泳ぐ鰐魚を用意してくれて、山幸彦は、もとの国に帰ることになった。帰還してからの兄との出来事は、言われていた通りとなった。兄は、苦しみもがき、遂に、山幸彦の前に屈し、「今後はあなた様に仕える」と言う。
 いじめっ子が、いじめ返されると言うような話である。半端にゆるしたりしないところが、すっきりしていていい。

わたつみの神の宮に

2008-10-28 | 読書
 古事記、山幸彦のわたつみの神の宮の段。
 山幸彦は、兄の釣り針を海に失い、どうしても元の針を返せと言われて途方に暮れていた。海は青くゆったりとしているが、山幸彦の気持ちは、暗い洞窟に蠢くフナムシになったみたいだったと言えようか。
 浜辺にうずくまる山幸彦の前に、潮の流れを司る塩椎神(シオツチノカミ)が現れて、言う。
 「この舟に乗り、潮のままに行け」と。竹で編んだ小舟であった。
 「この舟はやがて綿津見神(ワタツミノカミ)の宮に着く。宮の門の近くに井戸があって、そのかたわらに桂の木が生えている。それに登っていると、女性が現れて、なんとかなる」と言われ、他に為すすべもないもない山幸彦は、その言に従う。
 小舟は潮にのりスルスルと流れ進んだ。どこを通ったのか、いくばくの時が過ぎたのか、気づいたときには、魚鱗が光り輝くような綿津見神の宮の前にいた。桂の木には、すぐに気づいた。ハート型の葉をした桂は、神々しく見えた。木に登り、太い幹に腰をおろして一休みした。
 そうしていると、瓶を持って、井戸の水を汲みに女がやってきた。女は、井戸の水の面に映るものを見て、かたわらの桂のうえに山幸彦がいることに気づいた。山幸彦は、女に、水を所望した。女は瓶を捧げた。山幸彦は、水を飲むことなく、首のかけていた玉の緒を解き、その玉を口にふくみ、瓶の中に吐き出した。すると、その玉は瓶にくっついて離れなくなってしまった。
 この不思議な出来事は、すぐさま、女から綿津見神の娘である豊玉毘売(トヨタマビメ)に報告された。「いと麗しき壮夫」のなしたことと。
 かくして、山幸彦と豊玉毘売は出会い、お互いに一目惚れ。豊玉毘売は、すぐにも抱かれてもいいとの風情。父の綿津見神も、山幸彦が高貴な神と気づき、大歓迎。山幸彦と豊玉毘売は夫婦となる。
 山幸彦のそれからは、竜宮城を訪れた浦島太郎さながらの楽しき日々。
 瞬く間に三年の歳月が流れた。
 この段には、桂が出てくる。この桂は、香木と記され、「かつら」と読む。天若日子(アメノワカヒコ)の段では、楓と書いて、「かつら」と読んだ。桂は聖樹とされている。

季節はずれの桜花

2008-10-27 | 【樹木】櫻
 木の花にカメラをかまえている人がいた。
 白く小さな花。
 そこにその木があったことを思い出した。
 神代植物公園の十月桜。
 いつも、カメラを向けられている。
 その一週間後、クルマの窓から桜の花に気づいた。
 日野から青梅に向かう途中。
 植物園の木より大きな十月桜だった。
 十月に桜をみるのもいいが、どうしても見たいというものでもない。