梅の葉もきれいな形に

2008-04-30 | 【樹木】梅
 木々の葉がすっかり繁った。
 マンション前の公園の木々は、表通りを見えなくしてしまった。
 ベランダの鉢植えの梅の葉も、はじめはよれよれしていたが、きれいな形をなしつつある。このまま虫がつかずにいてくれたらと思う。
 人間は、あの木々のように、それぞれの年の明確なサイクルを示しはしないが、願わくば、春には春、初夏には初夏、新鮮で柔和な気持ちを失わないで暮らしたいものだ。

邯鄲での一炊の夢

2008-04-29 | 【断想】ETC
 渋谷のセルリアンタワー能楽堂へ行く電車の中で、和田萬吉編「謡曲物語」(白竜社)の「邯鄲」を読んだ。知人が、その舞囃子を演じるというので、より愉しむために。
 邯鄲の枕でみた一炊の夢は、この世の権力、権威を掌中にし、栄華をきわめ、不老長寿の仙薬を得るというようなものである。「面白や 不思議やな」となる。人がこの世にあって願うことは、やはりそういうことかなあと思った次第である。
 夢から覚めて、締めくくりは次のようになる。
 「つらつら人間の有様を 案ずるに 百年の歓楽も 命終れば夢ぞかし 五十年の栄華こそ 身のためにはこれまでなり 栄華の望みも齢の長さも 五十年の歓楽も 王位になればこれまでなり げになにごとも一炊の夢」
 引用は、帰宅してから読んだ新潮日本古典集成「謡曲集・上 」(伊藤正義校注)から。
 三島由紀夫の「近代能楽集」に、「邯鄲」がある。氏の作品は、どうもなじめないが、かつて読んだ「近代能楽集」は素晴らしいと感じた記憶がある。

無花果よ生きよ

2008-04-29 | 【樹木】ETC
 うえに引っ張り上げると、スポッと抜けた。挿し木にした2本の無花果の一方である。根が生えだしていない。地表の芽の数と力が弱かったのか。それでも、完全に死んでいるとも思えない。もう一度、土に挿し、毎日、水をやっている。どうなるやら。

「海に吊るされた薔薇」

2008-04-27 | 【樹木】ETC
 先日、白石かずこの「動物詩集」を何十年ぶりかに、開いてみた。「動物詩集」というが、詩のなかに、植物名は出てくるだろうかと思って。
 漠と予測していた通りであった。出てきたのは「薔薇」だけ。「フカの男」という詩のなかに、ワイルドな男にハートもからだもメタメタにされた女の子が出てくる。それだけのこと。つまらないね。
  わたしは それ以来
  海に吊るされた薔薇
  フカの男に 心臓をくわれた
  血まみれの恋の
  トリコなのです

志木の夜道

2008-04-26 | 【断想】ETC
 嬉しいことがあった。
 特別なことではない。
 しかし、ながく記憶にとどまるような気がする。
 もう2週間前のことである。
 彼が、ハンドルを握って、最寄りの北朝霞駅まで、クルマで送ってくれた。
 思えば、かつて、クルマで送ったり、送られたりということはよくやっていた。
 それだけに、忘れられないような気がする。
 彼の6回目の選挙、選挙期間中の金曜の夜、9時近くだったと思う。
 クルマのなかで、彼は「W関係の者,みんな当選してやっている。俺も、ここでWの名をおとしめるようなことはしたくない。しっかりやりたい。これが最後となるかも知れないが」と言った。彼の当選を願った。
 人には持ち味もあり、いろんなタイミングで、いろんな局面に立つ。それが、さまざまな結果をもたらす。
 私は、思いがけず、次のように言った。
 「みんなやめてしまったら、俺も選挙をやろうか」
 「もう歳だぞ、疲れるぞ」との返事だった。
 政治の世界にあって、俺のうちで、満たされないものがあるとしたら、選挙をみずから戦い、議員になるということだったかも知れない。
 彼と初めて会った頃のこと、W事務所でともに過ごした日々、さまざまなこと、さまざまな思いがあった。
 彼は、当選した。

鯉幟を眺めて柏餅

2008-04-25 | 【樹木】ETC
 鯉幟の季節のお菓子と言えば、柏餅。
 カシワは、漢字では、柏、槲、枹、柞の字があてられている。一般的には、柏か槲と言うところか。
 カシワの葉は枯れても、なかなか落ちない。春に新芽が出るときに落ちて、新しい葉に換わる。この新葉への切りかわりがめでたいこととされて、神事に使われていたりする
 カシワの葉を細い竹針で縫ってつくられる食べ物を盛る器物「かしわのくぼて」もそうだ。いずれにしろ、カシワの名は、「食敷葉(けしきは)」からきたとも言われ、食べ物とは縁が深い。
 江戸時代につくられるようになったという柏餅、鯉幟でも見ながら食べようか。

樟の落ち葉道を歩く

2008-04-24 | 【樹木】ETC
 空は春。足もとだけを眺めれば、落ち葉の季節、秋。
 そこは、樟(楠)の並木のしたである。
 常緑樹である樟の落ち葉の季節は春。
 新しい葉が生え出す頃、古くなった葉が落ちる。
 落ち葉と言っても、厚みもあってしっかりしている。
 虫に喰われることも少ないのか、輪郭も明確である。
 森の主の風貌と体格をもつ樟。
 トータルに黒々としたイメージもあるが、
 この季節、赤い若葉を夕陽に映えさせる、
 それは、美しい。
 古くなりかかった人が、それを眺める。

葉をつけよ

2008-04-20 | 【樹木】ETC
 ベランダの植物のうち、その生長が気懸かりなもののひとつだ無花果。もともと二股というかV字形をして生えていた1本を伐り、それを2本にして、挿し木にした無花果である。
 もともとの根をつけた無花果は、植え替えの時、かなり根も切ったのだが、そんなことおかまいなしに、まだ小さいが、その形をした葉を何枚もつけている。挿し木にした1本も、芽のひとつが葉をひらきだしている。他の芽も薄緑色をしている。もう1本は、芽を膨らませてはいるが、この先ちゃんとした葉をつけてくれるか気懸かりだ。
 無花果を増やしてみようかと思った動機は、夏場の暑さ対策。大きな葉で、ベランダに少しでも日陰をつくってくれたらと思った。

「春雨じゃ、濡れていこう」

2008-04-17 | 【樹木】ETC
 「月さま、雨が・・・・・」
 「春雨じゃ、濡れてまいろう」
 京三条の茶屋を出るとき、傘をすすめる女に、月形半平太が応える場面である。もともとは新国劇のなかの台詞。映画化もされており、チャンバラ映画が好きだった私は、まさか観ていないということはないだろう。もう随分むかしのことである。
 小さい頃、春、外で遊んでいて、雨が降ってくると、必ず「春雨じゃ、濡れていこう」と声に出したり、胸の中で思ったものだ。
 先日午前、散歩の途中、春雨に濡れた。春雨といっても冷たい雨で、傘がなく、シャツまで濡れて、からだを冷やしてしまった。まずいなと思いつつも、用があり、そのまま出かけた。
 雨が降り出したとき、近くに軒を見つけて入った。そこから視野に入るところに柳の木があった。若葉はきれいだなと、しばし眺めていた。雨がやむことはなかった。そんなにのんびりしていられなかった。
 《なかなかに風のおすにぞ乱れける雨にぬれたる青柳のいと(西行)》

要黐は花より若葉

2008-04-16 | 【樹木】ETC
 今は春、街を歩くと、カナメモチ(要黐)のあざやかな赤色の若葉が目に付く。常緑小高木で刈り込みに耐えるため生垣に植えられることが多い。
 ともかく、その新芽、幼葉、新葉、若葉の赤色が、その存在を際立たせる木だ。
 別名、アカメモチ。ベニカナメ(紅要)とも呼ばれるようだ。