今さらに山へ帰るな

2010-05-30 | 【断想】ETC
 ここのところ、毎朝、ホトトギスの声を聞く。
 雨模様の朝にも聞く。
 地にはドクダミの白い花。
  今さらに山へ帰るなほととぎす声のかぎりはわが宿に鳴け(古今和歌集)
 この歌のほととぎすは、何かを投影しているのか。
 今さら、やりたくない仕事というのもあるな。

「逢ひに來たわいな」

2010-05-29 | 読書
 「蜻蛉日記」の筆者が夫となった兼家からもらった後朝(きぬぎぬ)の歌。
  ゆふくれのながれくるまを待つほどに涙おほゐの川とこそなれ
 早く夕方になり、そなたを訪ねたいと言うものだ。
 日本民謡と言ってよいか、「奴さん」の二番。
  エエ、姐さん、ほんかいな
  ハアコリャコリャ
  きぬぎぬの
  言葉も交さぬ明けの夜は
  裏の窓には私獨り
  合圖はよいか
  首尾をようして逢ひに來たわいな
  アリャセ コリャセ
  それもそうかいなエ

「蜻蛉日記」八

2010-05-28 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・天暦九年/八/兼家の愛人町の小路女の出現
 九月頃、兼家の文箱に、どこかの女性に贈ろうとしたためた文を見つけた。
 十月末に、三晩つづけて来訪のないことがあった。
 三日と言うのは、婚礼に要する日数である。
 そんな或る夕、急用ができたと出かけて行った。
 あやしいと思い、人にあとをつけさせた。
 案の定、新しい女のもとを訪ねていることが判明した。
 「いみじう心憂し」と思う。
 その数日後、明け方になって、兼家が門を叩くことがあったが、開けてやらなかった。
 そして、次のような歌を、色が褪せてきた菊の花につけて贈った。
 「あなたは、私の気持ちが分かっているのか」と。
  歎きつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものかとは知る
 色が褪せてきた菊の花をつけたというのは、兼家に、あなたの私に対する愛情も褪せてきたのねとの気持ちを伝えるものである。
 閨怨の情がこもったもので、同じ境遇にある王朝夫人達の共感をえたようである。
 これへの、返歌は次のようなもので、悪びれるところ無く「お前がそう思うのも分かるよ」とのもので、筆者は、「いとどしう心づきなく思ふことぞ、限りなきや。」と記す。
 かなり頭にきたようである。
  げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり
 ここでは、植物は、菊と真木。

よろこばしき朝

2010-05-28 | 【樹木】ETC
 五月下旬。
 犬四手もすっかり葉を繁らした。
 さわやかな大気、朝の光のなかに、一日のいとなみをはじめる。
 いとなみをはじめられるのは、よろこばしいことである。
 しかし、それを長年つづければ、それだけ老いもする。
 君の目のふちに疲れが見えるのは悲しいが、いたしかたないこと。

乙女をひそかに誘つて

2010-05-28 | 【断想】ETC
 今、「蜻蛉日記」の時代のような「後朝の歌」の習慣はない。
 しかし、男と女の関係は同じ。
 ことの後には、男から女に、やさしく声をかけるのが、基本的に大事なのではないか。
 もっとも、それっきりのつもりなら、ほったらかしかも知れないが。
 異国では、どうであったのか。
 紀元前、パレスティナ生まれのメレアグロスに「後朝の歌」(沓掛良彦訳)と言う詩。
  ようこそ、黎明を告げる曙よ、
  そなたが今わたしから奪いゆく
  この乙女をばひそかに誘つて
  宵の星となり疾く戻れ。

「蜻蛉日記」七

2010-05-27 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・天暦九年/七/道綱誕生
 ここでは、夫妻の仲のよさが、素直に記されている。
 著者が旅に出て、一緒でなくてさみしいと言えば、すぐにでも会いに行きたいというような具合である。
 そうこうするうち、八月に、著者は道綱を産む。
 「そのほどの心ばへはしも、ねんごろなるやうなりけり。」と夫の心づかいを喜んでいる。

「蜻蛉日記」六

2010-05-27 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・六/横川の雪
 天暦八年も十二月となる。
 夫の兼家が比叡山に登った折、妻たる筆者に、「雪に降りこめられてしまったが、このさみしさの中、ひとしお、あなたが恋しく思われる」との歌をおくる。
 この歌に対して。
  こほるらむ横川の水に降る雪もわがごと消えてものは思はじ
 横川は比叡山の三塔のひとつだそうだ。
 雪のなかでさみしいとのことですが、わたしもひとりっきりで消えいるほどさみしいのよ、との歌を返している。
 新婚の仲むつまじさがあらわれたナチュラルな歌である。
 上村氏の解説によれば、筆者は、「蜻蛉日記」というタイトルをつけた意図に即して、女の立場のはかなさなどを強調して、華やかなことの記述を避けているということである。
 おそらく、ふたりの婚儀は賑やかなものであろうし、父の赴任も悲しさばかりが記されているが、実際はその栄達の喜びにあふれたものではなかったかとある。
 また、当時、新婚の二人の間には、愛情こまやかな歌もやりとりされているが、それらは、日記からは省かれているそうだ。
 そんなスタンスから、この段も、「その年はかなく暮れぬ。」と結ばれている。

「蜻蛉日記」五

2010-05-27 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・五/父倫寧の陸奥国赴任
 「時はいとあはれなるほどなり、・・・」と始まる。「あはれ」を感じる季節になってきたと言うことで、丁寧な訳を読んで、初冬と知る。
 夫の兼家とは、まだほんとうにうちとけてはいない。それに、どれだけ私のことを大事に思ってくれているのか疑心もいだいてしまう。心細い限り。
 そんな折、父が遠国に赴任することになった。単身赴任である。
 父は、私のことを心配して、兼家に、「貴殿を頼りにしている」との文を残した。
 兼家は、その文を読み、父に歌を贈った。
  われをのみたのむといへばゆくすゑの松のちぎりも来てこそは見め
 私をたよりにするとのこと、千年の松のように末永く二人の契りを大切にしますから、こちらへ戻られたら見に来てください、そのような意か。
 古来、松は日本人に親しまれ、文学、芸能によく登場する。
 ここまで読んだ限り、筆者は美貌と才に恵まれた女性とのことであるが、何かが足りないような印象をもつ。あっけらかんとしたところが感じられない。

一八六分の四

2010-05-26 | 読書
 「蜻蛉日記」は、一八六回に分けられて、書かれている。
 まだ、四回目までしか読んでいない。
 先が長い。
 上村悦子による現代語訳、語釈、解説付きで読んでいるのだが、それがなかったら、ちんぷんかんだろう。
 はじめに読みやすくされた原文に接するのだが、それだけでは、ほとんど分からない。現代語訳ほかを読んで、それから原文をよみなおして、ようやく、そう言うことなのかといったところである。
 果たして、最後まで根気が続くだろうか。

「蜻蛉日記」四

2010-05-26 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・四/新婚時代の兼家と作者の贈答
 まだアツアツの新婚時代とはいえ、一夫多妻における妻の揺れ動く心情が感じられる。夫を自分だけのものにと引きつけておきたい気持ちは、自然なことだろう。
 筆者から、夫たる兼家への歌の方が多いのは、そのあらわれか。しかし、その歌は上手である。
 兼家の一人目の奥さんは、そんな時、どうだったのだろうかとも思うが。
 筆者の歌のうち、植物が出てくる二首を選んでみた。
  思ほえぬ垣ほにをればなでしこの花にぞ露はたまらざりける
 撫子を折ると、露が落ちる。私も、あなたを思って、ひとりでいるとさみしくて涙が落ちる。そんな意の歌である。
 自分をかわいい撫子の花にたとえている。
 昨秋、花が咲いている撫子の鉢を買ってきた。園芸品種のもで、ベランダにある。今は五月だが、次々と花を開かせている。季節はずれのような気もするが、そんなものなのだろうか。
 もう一首。
  柏木の森の下草くれごとになほたのめとやもるを見る見る
 「蜻蛉日記」二にでてきたように、柏木は兼家のこと。その人を頼りにし、庇護のもとにある自分を下草にたとえている。
 歌の意は、夕ごとに涙を流して、あなたを待っています、と言うところか。
 そうなのだろうが、男に次のような思いを誘わせるところもあるのでないだろうか。
  夕なれば君をおもいてみるみるに濡れそぼちたりわれの下草

脱いだ着物を重ねて

2010-05-26 | 読書
 和泉式部が敦道親王と結ばれた翌朝に贈られた歌。
 恋といえば世のつねのとや思ふらん今朝の心はたぐひだになし
 蜻蛉日記の筆者が兼家からもらった歌。
 ゆふくれのながれくるまを待つほどに涙おほゐの川とこそなれ
 敦道親王は、「いま私はたぐいなき恋心のうちにある」と言い、兼家は、「あなたに会える夕暮れが待ち遠しい」と気持ちを伝えている。
 人それぞれ、状況によって異なりもしようが、果たしてどちらの方が、受け取った女性としては嬉しいだろうか。
 これらは、後朝(きぬぎぬ)の歌である。
 「きぬぎぬ」は「衣衣」であり、脱いだ着物を重ねて、交わりの一夜を明かした男女が、その翌朝、それぞれの着物を交換して別れたことからの言葉である。

「蜻蛉日記」三

2010-05-25 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・三/秋/兼家と結婚
 兼家から、頻繁に歌が届くようになる。
 はじめは、代筆での返歌で応じる。
 そのうち、自筆で応じるようになる。それでも、内容は、兼家の思いをからかうようなものである。それが、当時のやり方であった。
 そして、結婚となる。
 日記には、婿入りの儀式のことなどは、記されていない。
 いきなり、「いかなるあしたにかありけむ」として、兼家の後朝(きぬぎぬ)の歌が出てくる。「いかなるあした」とは、兼家と初めての交わりがあった翌朝のことである。
 以降、妻としては、夫の訪れを待つ切ない立場となる。
 兼家の後朝の歌とその返歌。
 ゆふくれのながれくるまを待つほどに涙おほゐの川とこそなれ
 思ふことおほゐの川のゆふくれはこころにもあらずなかれこそすれ
 兼家が、あなたのところを訪ねる夕暮れが待ち遠しいと言えば、あれこれ思ってあなたに会える夕暮れまで泣いています、と応じている。
 この段に、植物は出てこない。

「蜻蛉日記」二

2010-05-24 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・天暦八年/二/夏/兼家の求婚
 天暦八年のほととぎすが鳴く季節に、兼家から、求婚の文が届く。
 通例の段取りを踏まぬやり方で、「紙なども例のようにもあらず、いたらぬ所なしと聞きふるしたる手も、あらじとおぼゆるまで悪しければ、いとぞあやしき。」とある。すなわち、文の紙はありあわせのもので、筆跡も乱雑なもので、「あやしき」との感を述べている。
 兼家から文が届いたと言うことが、次のように記されている。
 「柏木の木高きわたりより、かくいはせむと思ふことありけり。」
 「柏木の木高きわたり」が、宮中を守護する立場にある兼家を指している。
 柏の木は、葉守の神が宿る聖なる木とされていた。それで、このような表現がされている。以前に、このブログで書いたが、柏は森の王者ともされ、葉が枯れても散らず、新しい葉と入れ替わるところから、家の継承、子孫繁栄を示す木として慶ばれた。
 求婚の歌を贈られた道綱母は、ためらいながらも、とりあえず断りの歌を兼家におくる。断りの文を出すと言うことは、当時のしきたりでそうしたのであり、誰も心底の断りとは、受けとらない。
 その歌。
 語らはむ人なき里にほととぎすかひなかるべき声なふるしそ
 あなたが求めるような者がいないところに、手紙を出されてもやりがいのないことですよ、と言う意か。