DOLPHY 1964

2017-06-30 | 【断想】音楽
LAST DATEは
DOLPHY 36歳
死の直前に遺したもの
演奏を終えてドルフィーは語る
 調べは虚空に流れ出て消えていく
 二度と取り戻すことはかなわない

LAST DATE

2017-06-30 | 【断想】音楽
エリック・ドルフィーの遺作
1964年録音の「ラスト・デイト」  
ドルフィーの演奏している楽器は
フルート、バス・クラリネット、アルト・サキソフォーン
その音色の豊かなこと
EPISTROPHYの出だしの一吹き
それだけで魅了されるよ
まさに、「音の魔術師」
もっともらしい精神性云々から離れて
そうなのだ
美しいものはまず美しく
それをめでなくては
ともかく豊かなのだ
そしてそれは
何て言えばいいのだろう
洗練された知の輝き
臭みがない息吹
上品な香水
嫌みのないおどけ
写楽のような魅力か
確かなテクニック
安心感
アルコールより珈琲があうかな
アルコールならキリリとしたドライ・シェリーかな
同年にアルバート・アイラーのSPIRITUAL UNITY

「アニマル・スピリッツ」

2017-06-22 | 読書
【本の紹介】
●人口と日本経済/吉川洋著/中公新書/2016年8月25日発行/760円
 著者は、人口の変化による経済への影響に関する定説や思い込みを検証し、正していこうとしている。
 日本の将来について、人口の減少が経済の縮小をもたらすとの懸念があるが、そうではないとデータをもって示している。明治以降の日本経済を見ると、経済成長と人口はほとんど関係ないと。
 そして、経済成長をもたらすのは、イノベーションであると説く。労働生産性の上昇をもたらすのは、「資本蓄積」や広い意味の「技術進歩」、産業構造の変化であると。その中では、高齢社会における社会保障、出生率の低下や長寿の影響等についても語られる。
 成長の源泉たるイノベーションについては、高い需要の成長を享受する新しいモノやサービスを生み出すことであると言う。 需要の飽和による停滞を起こさせないためには、それが肝要であると。
 本書を読みながら、気になっていたのは、著者は、イノベーションを起こす元となるものについて、どうとらえているのかと言うことだった。結局、やるかやらないかは、人にかかっているのである。つまり、新しいモノやサービスを生み出そうとする人の動機や意欲は何によるのかと。
 最終章の終わりあたりに、「問題は、日本の企業が潜在的な需要に応えるようなプロダクト・イノベーションを成しうるか、である」とあった。まさに、そこにかかるのである。
 本書末尾にいたって、シュンペーターやケインズの言ったことが記されている。「何よりも未来に向けた自らのビジョンの実現こそが本質的」、「最終的には『アニマル・スピリッツ』と。「健全なオプティミズムが失われ合理的な計算のみに頼るなら企業は衰退する」と。経済学者も、とどのつまりは、人間性に着目するのかと思った。
 要するに生命体として元気で、未来への希望・意欲を燃やし続けることが大事ということか。ある意味で、世俗的な競争心をもち、他より優位でありたい、社会的な評価も得たいという、一歩間違えば、あまりに世知辛い道でもあると心得ておくべきかと思った。
●余談
 そういうことで、本書に老子や儒教の教えのことも出てくるのも、そうかと思わせる。著者は老子の考えは、社会活力を生み出さないと言うようなことで評価していない。確かに、そうなのだ。ただ、経済の場面で、老子を持ち出すのはどうかとも思う。わたしは、老子は、人の心の平静を得る道を求めた。「足ることを知る」ことも大切で、それがなければ、単なる餓鬼とも言える。
 一方、儒教の方は、その道徳は、世間一般的なものでしかない、もっともらしく生きるというレベルでしかないとも言えないか。しかし、実際の社会は、それが主流でなんとか成り立っていると言うのが現実でないか。みんなが納得し易いラインで行こうというものでないか。
 経済成長と人の幸福の話は、本質的には別次元と思う。
 ザッと読んで、ポイントだけ備忘にと思ったが、書きすぎた。
 イノベーションには、純粋な知の探究という側面もある。持っていたい人のひとつの性向だ。

ライオンは寝ている

2017-06-18 | 【断想】音楽
 小学生から中学生になった頃
 よく聞いたポピュラー曲は
 どれも忘れがたい想い出に結びついている
 トーケンズの「ライオンは寝ている」
 友だちのM・Sがよく口ずさんでいた
 よく語り合ったブロック塀のうえ
 もう何十年も前のことだ
 その裏声を真似して
 彼にはいかしたお兄さんがいて
 そのお兄さんがこの曲が好きだったのだ
 それで僕も好きになった

Blue Monk

2017-06-16 | 【断想】音楽
 1959年の秋
 ぼくは何をしていたろうか
 60年安保
 道路にきたない殴り書き
 コルタールで
 それだけで
 あんな連中をのさばらしてはいけない
 ふるさとは美しくあってほしい
 それもひとつのはじまりだった
 サンフランシスコでセロニアス・モンク
 ピアノソロ
 こっちの方がずっといい
 ブルー・モンク
 今夜はひとりがいい
 別段ブルーなわけではない
 それにつけても
 つまらない連中のことが
 頭をよぎって
 折角のひとときを

紅薔薇

2017-06-09 | 【樹木】ETC
 ここのところ
 薔薇が出てくる詩をさがしていた
 幾つも見つけたが
 いいとは思えるものがない
 三好達治の詩集「花筺」に
 「いまこの庭に」と言う詩があって
 その中に薔薇が出てきた
 それもいいとは思えなかった
 次のように終わる
  いまこの庭に
  薔薇の花一輪
  くれなゐふかく咲かんとす
 これだけでは何が何だかわからない
 だけど全部読んでもわからない

雲ゐにあげよ

2017-06-08 | 【断想】ETC
 今朝は、ホトトギスの声を聞かなかったような気がする。
 初夏の歌によく出てくるホトトギス。
 たまたま手にした本に、柴田勝家の辞世。
 ホトトギスの季節だったのか。
  夏の夜の夢路はかなきあとの名を
  雲ゐにあげよ山ほととぎす

青葉は花に

2017-06-06 | 【樹木】ETC
 今朝もしきりにホトトギスの声
 どこにいるのか
 姿は見せない
 卯の花、空木、薔薇、立葵、枇杷の実・・・
 季節の木々
 西行の山家集から
  時鳥きく折にこそ夏山の青葉は花におとらざりけれ

SAXOPHONE COLOSSUS

2017-06-05 | 【断想】音楽
 ソニー・ロリンズのサキソフォーンの音は健康的だ。
 最高傑作と言われるSAXOPHONE COLOSSUSは、1956年の録音。
 俺が小学校低・中学年の頃。
 あの頃は、ジャズなんて知らなかった。
 いつも「怖い夢をみませんように」と祈っていた。

TENOR MADNESS

2017-06-04 | 【断想】音楽
 瞑目し、その精神性を理解・体得せんとする奴
 1970年前後、薄暗く、大音量のジャズ喫茶で見かけた光景
 なんだか陳腐で、違和感を持った
 当時、音楽家・演奏家自身に、まじめくさった感じのがいて
 そんなのが、もてはやされていた
 もっともらしい理屈が先走っていた
 個性・精神性、それをみがくのはいい
 でも、それは、人前で大袈裟にやることではない
 見かけではない
 もろもろの帰結が、その人の音・音楽となる
 それでいい
 ソニー・ロリンズはつべこべ言わないタイプ
 その存在・個性自体が音にあらわれる
 ふくよかさ、豊かさがある
 ずうっと好きだ
 TENOR MADNESSは、1956年の録音の名盤
 ロリンズとジョン・コルトレーンが共演している
 天才型のロリンズ
 努力型のコルトレーン
 よく、そんな風に言われた
 俺は、天才が好きだった
 努力ってたいへんだからね
 そんなもんさ
 プレスティッジのジャズ・マスターピース・シリーズの21
 TENOR MADNESSには、5曲入っている
 なんていいんだろうな

’Round Midnight

2017-06-02 | 【断想】音楽
 ひとりで香り立つウィスキーを飲みたい夜があるように
 マイルス・ディビスのラウンド・ミッドナイトを
 ひとり聴きたい夜がある
 こんなようになったのは
 多くの屈託をかかえるようになったゆえか
 無邪気に笑えないからか
 やるせなくて苦しいからか
 淋しい音色を友としたいゆえか
 レコード盤はもう回っていない
 赤いランプが点いている

病院にて酒と薔薇

2017-06-01 | 【樹木】エッセイ
 はかないこの世の愉しみは、酒と薔薇、そのように説く哲学に魅かれる。酒、美女に酔えば、この世の苦も遠ざかる。
          ◇          
 先だって、腹部をズバリと切らなくてはならぬ手術で入院した。
 その折、一人の先輩が見舞いにやってきた。
煩わしさを避けたくて、入院先は人に知らせなかった。ただ、その先輩にはついもらしていたのだ。
恐らく、氏の日頃の言動に、ものごとを煩わしくさせないスタイルを見ていたからなのだろう。
 先輩は、「本代」なるものを置いて帰った。
●美酒を想いて
 いただいた「本代」で、いささか値が張るので買うのをためらっていた一冊を入手し、病院で読んだ。
 沓掛良彦訳の「ギリシア詞華集3」、京都大学学術出版会が発行する西洋古典叢書の一巻である。「飲酒詩」や「風刺詩」なるものが収められている。
 要するに、酒をめでる詩に接したかった。どうしてかと言うと、今後、酒を禁じられることがはっきりしていて、それは、許容し難いことに思え、切ない抵抗心があってのことと思う。
 総督マケドニオスのやけくそのような次の言に、なんだか慰められた。
          ◇
 昨日病気で寝ていた俺の傍らに憎たらしい敵の医者めが立って、大杯で美酒を飲むのを禁じた。
 水を飲めと言いおったのだ。頭がからっぽの馬鹿者めが、ホメロスが酒こそは人間の活力の源と言ったのも知らんのだ。
          ◇
 その詞華集には、「若いうちに、存分にうまい酒をあおろう。やがて、老いが来れば、それも叶わなくなる」と厳しい現実をうたうものも収められている。老齢にかかっているわが胸に、残酷に響く。
●つぼみの看護師
 酒のつぎには美人看護師のこと。
 病院で、医師や看護師と接していて、「この人たち、よく働くなあ」と感じる。
 その人たちにとって、病人に接するのは、日常であっても、患者にすれば、非日常。尿道にチューブを挿され、術後にうら若き美女に抜いてもらうなんて、めったにあることではない。あっては困る。
 彼や彼女らは、下手をすれば、命を落としかねないと思っている患者をてきぱき処置していく。
 しかし、そうなるには学習や訓練が必要。入院してすぐ、看護学校の学生の実習に協力してもらえるか尋ねられ、了承した。
 若い女学生が、頻繁にベッドわきに来ることになった。まだつぼみの薔薇と言えるか。
 「シャワーにかかれるのはまだですね。蒸しタオルをお持ちしますか」等々、いろいろ気をつかってくれるが、いまいちタイミングがよくない。気づかないようだ。わたしの手にはタオル。
「今、さっぱりしたばかりだよ」。
 「血圧を計ってよろしいですか」と言われ、「いいよ」と腕を出すと、聴診器をあてての計測。
 「上は一三六、下の値がうまくとれません。もう一度いいですか」と何度も繰り返す。計測器を取り替え、やっと下を計ることができた。
 「あれっ、上は幾つでしたっけ」、あたふたして忘れたようだ。「一三六だよ」と教える。
 まだ、トータルな状況判断やプロ意識、計測テクニックが未熟。
 煩わしい見舞客ならぬ実習生とも言える。でも、それに腹を立てることはなかった。
 看護師を志すなんて、わたしには出来ぬ貴いこと。そばにいるだけで、患者が安心できるような一人前に育ってほしいものだ。
 なんとも切ない酒と薔薇の日々でした。
(月刊誌「改革者」2017年5月号)