時はめぐり、桜花爛漫の季節を迎えようとしている。
四条五条の橋の上、
老若男女貴賤都鄙、
色めく花衣、
袖を連ねて行く末の、
雲かと見えて八重一重、
咲く九重の花盛り、
名に負う春の気色かな、
謡曲「熊野」の桜に心浮き立たせる都の情景を謡った一節である。 さて、そんな桜のにぎわいもひと時のこと。桜は、花期も短く、時の移ろいを感じさせる。
また桜は、芭蕉が「さまざまの事思ひだす桜かな」と詠んだように、過ぎし日への思いに結びつく花でもある。
●夜桜見あげて
「花見はしましたか」
「まだ。クルマで通りがかった千鳥ヶ淵の桜をチラッと観ただけ」
「それじゃ、今から出かけよう」
過ぎし日、美女と半蔵門から九段にかけて、千鳥ヶ淵の夜桜を見あげつつ歩いた。
そして、夜寒にひえたからだを暖め合ったことを思い出す、あたたかい酒を酌み交わして。
桜色に染まった細き指で盃にそそいでもらって。
美女とのことには、忘れがたいものがある。しかし、そんな愉しさも、つかの間のこと。
それに、美女と言えども、齢を重ねる。やがて、肉体の若さや美しさは失われる。人のさだめは、はかないものである。
●薄命の染井吉野
はかなさついでに染井吉野のこと。今の日本の空を霞か雲かとするのは、染井吉野。明治以降にひろまった桜である。
育つのが速く、花をつけ出すのも早いが、その命は短い。葉の前に花をつけ、なんとも見事だが、まことにはかない。
美人薄命とも言える桜である。その生き急ぐ風情が人をひきつけもするのだろう。
一方、しっとりした色気に欠けると感じる人もいる。樹齢百年を超える風格ある桜は、染井吉野ではない。江戸彼岸など別の桜である。
色香濃艶な彼岸系の紅枝垂れ等を好む人もいる。
あなたは、どちらをお好みだろうか。人それぞれである。
●色香残るうち
さて、老いは誰にもやってくる。若き日に美男美女ともてはやされても、やがて衰え萎れて顧みられなくなるのは避けられない。
それゆえに、友に、己れに言いたくなる。老いの翳濃くなる前に、色香の残るうちに、「恋せよ、元気なうち美酒を愉しめよ」と・・・・。
色恋多き在原業平も老いを迎えて詠んだ。
さくらばなちりかひくもれ
老いらくのこむといふなる
道まがふがに
その意は、「桜の花よ、もっと散れ。雲がかかったくらいに散れ。そして、老いがやって来る道が見えなくしてしまえ」といったところか。
人ごとではない。
みずからの老いを感じだしているゆえか、謡曲の「西行櫻」の一節が身にしみる。「不思議やな朽ちたる花の空木より、白髪の老人現れて・・・」とある。その白髪の老人は、桜の花の精である。こう語る。
あら名残惜の夜遊やな。
惜しむべし惜しむべし、
得難きは時、
逢ひ難きは友なるべし。
ある春の宵、酒席のあと、若い女性に尋ねられた。「わたし、そんなにいい子じゃないの」と言ったあと。
「現役ですか」と。
「もちろん」と応えた。加えて、「もう俺もながくはないさ」と言うと、励ましてくれた。
わたしにまだ、春の気配が残っていたからか。
「生きていれば、あたらしい恋が芽生えることもあるかもよ」と。
嬉し侘しの花のとき。
(月刊誌「改革者」2018年3月号)
四条五条の橋の上、
老若男女貴賤都鄙、
色めく花衣、
袖を連ねて行く末の、
雲かと見えて八重一重、
咲く九重の花盛り、
名に負う春の気色かな、
謡曲「熊野」の桜に心浮き立たせる都の情景を謡った一節である。 さて、そんな桜のにぎわいもひと時のこと。桜は、花期も短く、時の移ろいを感じさせる。
また桜は、芭蕉が「さまざまの事思ひだす桜かな」と詠んだように、過ぎし日への思いに結びつく花でもある。
●夜桜見あげて
「花見はしましたか」
「まだ。クルマで通りがかった千鳥ヶ淵の桜をチラッと観ただけ」
「それじゃ、今から出かけよう」
過ぎし日、美女と半蔵門から九段にかけて、千鳥ヶ淵の夜桜を見あげつつ歩いた。
そして、夜寒にひえたからだを暖め合ったことを思い出す、あたたかい酒を酌み交わして。
桜色に染まった細き指で盃にそそいでもらって。
美女とのことには、忘れがたいものがある。しかし、そんな愉しさも、つかの間のこと。
それに、美女と言えども、齢を重ねる。やがて、肉体の若さや美しさは失われる。人のさだめは、はかないものである。
●薄命の染井吉野
はかなさついでに染井吉野のこと。今の日本の空を霞か雲かとするのは、染井吉野。明治以降にひろまった桜である。
育つのが速く、花をつけ出すのも早いが、その命は短い。葉の前に花をつけ、なんとも見事だが、まことにはかない。
美人薄命とも言える桜である。その生き急ぐ風情が人をひきつけもするのだろう。
一方、しっとりした色気に欠けると感じる人もいる。樹齢百年を超える風格ある桜は、染井吉野ではない。江戸彼岸など別の桜である。
色香濃艶な彼岸系の紅枝垂れ等を好む人もいる。
あなたは、どちらをお好みだろうか。人それぞれである。
●色香残るうち
さて、老いは誰にもやってくる。若き日に美男美女ともてはやされても、やがて衰え萎れて顧みられなくなるのは避けられない。
それゆえに、友に、己れに言いたくなる。老いの翳濃くなる前に、色香の残るうちに、「恋せよ、元気なうち美酒を愉しめよ」と・・・・。
色恋多き在原業平も老いを迎えて詠んだ。
さくらばなちりかひくもれ
老いらくのこむといふなる
道まがふがに
その意は、「桜の花よ、もっと散れ。雲がかかったくらいに散れ。そして、老いがやって来る道が見えなくしてしまえ」といったところか。
人ごとではない。
みずからの老いを感じだしているゆえか、謡曲の「西行櫻」の一節が身にしみる。「不思議やな朽ちたる花の空木より、白髪の老人現れて・・・」とある。その白髪の老人は、桜の花の精である。こう語る。
あら名残惜の夜遊やな。
惜しむべし惜しむべし、
得難きは時、
逢ひ難きは友なるべし。
ある春の宵、酒席のあと、若い女性に尋ねられた。「わたし、そんなにいい子じゃないの」と言ったあと。
「現役ですか」と。
「もちろん」と応えた。加えて、「もう俺もながくはないさ」と言うと、励ましてくれた。
わたしにまだ、春の気配が残っていたからか。
「生きていれば、あたらしい恋が芽生えることもあるかもよ」と。
嬉し侘しの花のとき。
(月刊誌「改革者」2018年3月号)