はかなき夏の花と美女

2016-09-16 | 【樹木】エッセイ
 どうせ呆けるなら色呆けがいい、金銭呆けや名誉呆けよりも。そう言ってきたが、どうなることやら。望んだからと言って、その通りになれるものでもなさそうだ。
 齢を重ね、つくづく感じることがある。美女と酒を酌み交わし、気もつかわずあれこれ話をしていると、なんだか力が湧いてくると言うことだ。
 某日、同席の美女に、「一緒にいると元気になれるんだ。心も、そして体も。君は」と尋ねると、「わたしもそうよ」とのやさしい返事。
 そんな言葉にすがって明日を生きると言う次第。
●命短し
 いにしえのギリシアの詩人が歌っている。
 「どんな美女もやがて萎れて枯れて、打ち捨てられる。こころ蕩かす甘い言葉も聞けなくなるよ。色恋は今のうち」「花は散るからこそ美しいんだよ」なんて。
 美女を前にすると、色呆け志望の老人は、「命短し恋せよ乙女」と唆したくなるのだ。既に乙女とは言えない方にも。

 さて、命短し夏の花、いずれもアオイ科の植物のこと。
 以下は、美女との語らいの足しにでもなればとの豆知識。
 ツユアケバナ(梅雨明け花)とも言われるタチアオイ(立葵)。茎の下方から花が咲きだし、一番上の花が開くと、梅雨が明ける。
 そして、本格的な夏へ。ハイビスカスやフヨウ、ムクゲの花の季節となる。いずれも、朝に開いて、夕方に萎れてしまう命の短い花々。
●扶桑・仏桑華
 北畠親房の「神皇正統記」に、日本の呼び名のことが出てくる。そのひとつが「扶桑」。芭蕉も「おくのほそ道」で、松山の景色を「扶桑第一の好風」と言っている。
 この扶桑は、架空の神木、中国から見た東方の巨木のことで、日本の異称となったようである。
 また、扶桑はブッソウゲのことでもある。仏桑華、仏桑花、扶桑花と書いて、ハイビスカスのことである。植物の名はややこしい。
 もともと南国の花木で、マレーシアの国花である。
●芙蓉・酔芙蓉
 フヨウ(芙蓉)、スイフヨウ(酔芙蓉)からは、秘められた色気が思い浮かんでくる。
 酔芙蓉は、その花が、朝に純白、昼に淡い紅、夕に紅色にと変化するので、その名がつけられた。酒に酔って顔をあからめる色っぽい美女というところ。
 メシベの先が上に反り、内に秘めた情の濃さも感じられるのだ。
 女性を酔わせ、誘うのは、古来の男の手管とも言えるが、先に酔いつぶれませんように。
●木槿
 ムクゲ(木槿、槿)はインド、中国が原産とされ、その花は典型的な一日花。
 夏のはじめから秋まで長い期間、散っては、新しい花がつぎつぎと咲く。その生命力に着目して、韓国では「無窮花」と呼び、国花としている。
 一方、わが国などでは、はかない花の命に着目している。
中国の白居易は「槿花一日自ら栄を為す」と歌った。
 それで、世のはかなさを知るべしとばかり、「槿花一日の栄」「槿花一朝の夢」の言葉がある。

 過日、かつて民社党の国会議員秘書をつとめた顔ぶれが集まった。同窓会のようなもので、半分は女性である。民社党がなくなって、二十年以上が経っている。それで、皆の年齢も知れようというもの。
 時の流れは逆らいがたく、老いは無惨、花の命は短いと言う。
そうは言うものの、彼女たちのうら若き日を知るわたしには、みんな美女に見えました。
(月刊誌「改革者」2016年8月号掲載)