ムルソーの幸福

2009-04-13 | 読書
※ここのところ、アルベール・カミュの小説「異邦人」(新潮文庫)のことを、このブログで、何度か取り上げた。その際、翻訳者の名前を間違って記していた。白井浩司でなく、窪田啓作である。お詫び申し上げます。訂正させていただきました。

 カミュの「異邦人」は広く読まれた小説である。
 主人公のムルソーへの共感が、多いからであろう。
 私たちは、悲しくないのに悲しい振りをしたり、振りをしているうちに本当に涙を流したり、それぞれに己をごまかしつつ暮らしている。
 世間で受け入れてくれる「よき人」を演じているとも言える。
 裁判は、一般的な通念、良風とされる観念を集約したものを、判断材料として行われる。 もし、個々人が、己をごまかすことをやめ、演じることをやめてしまうと、ムルソーのようになってしまう。ただ、実際は、己のうちなる声に、耳を傾けることなく、この世を過ごす人が大概か。
 社会のルールというのは、時とともに変化もする。地域によっても異なる。いずれにしろ、絶対的なものとは思えない。あらかたの人が、それでよしとすという程度のものだ。ただ、それもなかったら、あらかたの人が困ることになる。
 ムルソーの司祭とのやり取りも、信仰や神のことがテーマになっているが、同じようなことかと思う。特に、キリスト教文化圏にない、日本では、ムルソーの考え、スタイルも受け入れやすいのでないか。
 久し振りの小説だった。
 一番最後にあるムルソーの思いを記した部分が印象的だった。意味がとりにくいところがあるが、以下の通りである。
 「・・・・・死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、全く生きかえるのを感じたに違いなかった。・・・・・・そして、私もまた、全く生きかえったような思いがしている。・・・・・・と星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。・・・・」
 これは、宇宙との一体感のようなことだろうか。

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