エピクロス学園

2019-06-29 | 【断想】ETC
 エピクロス学派は、他の学派が消えていく中で、長く続いたと言うことである。
 以下、エピクロス学園の顔ぶれを中心に列挙した。学園には位階があった。
 ・エピクロス  :BC341~BC271
          導師
 ・イドメネウス :ランプサコスの最上層市民
          裕福で園への財政支援
          エピクロスの愛弟子
          エピクロスの最後の手紙の宛先
          妻はメトロドロスの妹
 ・レオンテウス :ランプサコスの最上層市民
          イドメネウスに続く園への財政支援者
 ・テミスタ   :レオンテウスノ妻
          文筆家
 ・ミトレス   :エピクロスの執事
 ・ヘルマルコス :ミュティレネの雄弁家
          重要メンバー・準導師
          第二代学頭
 ・ポリュアイノス:ランプサコス
          エウドクソス派の数学者
          重要メンバー・準導師
 ・メトロドロス :第一の重要メンバー・準導師
          第二のエピクロス
          ランプサコスの名門
 ・ネオクレス  :エピクロスの兄弟(三人)
          助導師
 ・カイレデモス :エピクロスの兄弟(三人)
          助導師
 ・アリストブロス:エピクロスの兄弟(三人)
          助導師
 ・ミュス    :奴隷
          学園業務管理
 ・レオンティオン:高級娼婦
          メトロドロスの妻
 ・マンマリオン :女性
 ・ヘディア   :女性
 ・エロティオン :女性
 ・ニキディオン :女性
 ・オイディオン :女性
 ・パイドリオン :女性
          女奴隷たちの管理
          奴隷解放
 ・メノイケウス :エピクロスの弟子
 以下は、時代があとになるか。
 ルクレチウス(ローマの詩人哲学者、「物の本質について」)、皇太后プロチナ、ポピリオス・テモチオス(:121年頃のエピクロス学派の学頭)、ヂオゲネス、ヂオゲニアノス
 ルクレチウスの「物の本質について」は、以前読んだ。

ヘレニズム期の哲学者たち

2019-06-28 | 読書
 ヘレニズム期の哲学者について、ほとんど名前だけだが、諸派別に記しておこうと思った。
 ヘレニズム期と言うと、アレキサンダー(BC356~BC323)による大帝国の時代になる。
 アリストテレスが、アレキサンダーの師であったわけだから、どういう時代的流れにあったを伺い知ることが出来ると思う。
 「よみがえる古代思想」(佐々木毅著・講談社学術文庫)、「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)を参考にした。
 各派の後に書いたのは、その生きるスタイルの全体的な印象である。
 社会との関わりのスタンスがポイントになっているように思う。
 人は群れを成す動物であり、社会とは無関係には生きれない。
 だけどそれは、さまざまなかたちがある。
 そう思うと、あとは、個人の好みの問題となろう。
 以下は、代表的な4派。備忘のためのメモのようなもの。
 1.キュレネ派(楽しく生きる)
   ・アリスティッポス(ソクラテスの弟子、キュレネ派のはじまり、快楽論者)
 2.キュニコス派・犬儒学派(自然に生きる)
   ・アンティスネス(キュニコス派の祖)
   ・ディオゲネス(樽の中の哲人、アンティスネスの弟子、犬のディオゲネス)
   ・クラテス(ヒッパルキアの夫)
   ・ヒッパルキア(馬を御する女、クラテスに惚れる)
 3.エピクロス派(静かに生きる)
   ・エピクロス(エピクロスの園、アタラクシアとアポ二ア)
   ・ランプサコス(エピクロスの愛弟子)
    エピクロス学園の仲間たち
 4.ストア派(正しく生きる)
   ※ストア派の人たちは、紀元2世紀までの長い期間に及んでいる。
    ローマ時代からヘブライズム(キリスト教)が支配的となるまで。
   ・ゼノン(ストア派の創始者)
   ・キケロ(BC106~BC43)
   ・セネカ(イエス・キリストと同時期、皇帝ネロとの関係、自死)
   ・エピクテトス(ローマのストアの徒)
   ・マルクス・アウレリアス(121~180、皇帝、自省録)
 ストア派には、何だか興味がわかない。
 まじめに、正しく生きるには、どうするかは、社会生活の中で重要だろうが、おもしろみがないのでないか。
 それに、単なる世俗の思想、処世の知恵になりそうな気がして。
 孔子より、老子に関心を持つ者としては、そう言う風に思う。
 講談社学術文庫に、岩崎允胤による「ヘレニズムの思想家」と言う本があったようだ。
 今、本屋にはない。たまたまの古本市で探してみたが無かった。
 いつか、入手し読んでみたいと思っている。

血管を切るセネカ

2019-06-26 | 読書
「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)全29話の中の「セネカ」の話を読んだ。
 ストア派のセネカは、イエス・キリストとほぼ同じ頃に、スペインのコルドバで、裕福な家庭に生まれている。そして、子供のうちに、ローマに移り住んでいる。
 時代は大きく動いていた。ローマ文化が爛熟・没落を始め、キリスト教が台頭してきていた。山本著は、「西洋哲学史に引きつけて言うと、ヘレニズムとヘブライズムとの争い」の時代と言っている。
 ローマ総督ピラトのもとイエスが十字架につき、その後、伝道にあった使途ペテロやパウロが殉教の死を迎えた時代である。
 セネカは、小さい頃から勉強家で、弁護士になり、高級官吏になる。そして、皇帝ネロの摂政の地位にもついている。
 時とともに、ネロの所業は狂気じみてきて、実母をはじめ気に入らない者を次々と殺しだした。セネカは、そんなネロにそばで仕えていたわけだ。同情的に見れば、離れたくても離れられない関係になっていたとも言える。セネカは財を成し、世の不評をかうようになったとのことである。
 その後、引退し、ようやく静かな暮らしをおくることが出来るようになる。
 そんな中で、「人生の短さ」や「幸福なる生活について」等が書かれた。
 「この私と言えば、悪の深みにあるものである」と語っているとか。自分の罪を深く自覚していたようである。
 その後、皇帝ネロの不興をかい、セネカを亡き者へとの使者が送られた。
 セネカは死を覚悟する。腕や足首、膝の血管を切ったが死にきれず、毒人参を飲むが、それも効かず、熱湯の風呂に入りもし、最期はサウナのような熱気の中で息を引き取ったとのことである。
 セネカは、引退後に、友人宛に手紙をよく書き、その中には、エピクロスの言説について、「神聖で、正しい教え」と言っている。ストア派とは、対立的にとらえられるエピクロスを讃えているのである。柔軟な考えを持っていたと言えるのだろう。
 エピクロスが好きな私としては、いささか嬉しい。
 セネカの生涯は、恵まれた家庭に育ち、すばらしい頭脳によって成ったものと言えよう。また、政治権力の渦中で、その利得にありつくとともに、多くの精神的苦痛をも味わったと言えよう。
 ただ、最期まで良心を失うことはなかったとも言えようが、権力や財力の果実を存分に味わっているのであり、全体としては、なさけないと貶されて当然でもあろう。
 関根氏は、この話の末尾で、「少なくともセネカは人間の弱さをみずからの体験から学びとった」と言っている。
 人間がいかに小さく弱い存在であるかは、セネカのことを持ち出すまでもなく、知れたことではないか・・・私はそう思っている。

二人のゼノン

2019-06-25 | 読書
 古代ギリシアの哲人に二人のゼノン。
 エレア派のゼノンとストア派のゼノン。
 エレアは地名、ストアは柱廊のことで、アテナイの市場のストア・ポイキレと呼ばれた場所である。
 前者のゼノンは、パルメニデスの弟子。
 パルメニデスは、「有るもののみあり、有らぬものは有らぬ」と主張した。
 「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)では、「有らぬものから有るものへの移り行きとしての成るを否定した」と解説されている。
 そして、弟子のゼノンは、「アキレウスは亀に追いつくことを得ない」との考えを示したことで有名。
 少しでも先にスタートした亀を、兎は決して追い越せないと。
 ストア派のゼノンは、快楽主義のエピクロスに対比され、禁欲主義のゼノンと言う見方をされるが、そのレッテルには、注意が必要のようだ。
 このゼノンが、マケドニア王のアンチゴノス・ゴナタスからの手紙への返信文とされるものに、次のようなところがある。山本光雄氏の訳である。
 「・・・・衆人の称揚やまざる快楽を避くる者はその資性のみならず意志によりて高貴に向かうは明らかなるところに候」
 さて、不安から解放され、魂の平安を得ようとするところは、エピクロスもゼノンも同じでないかと思うのだが、どうだろうか。
 ストア派は、自殺を禁じなかったそうだ。それで、自殺者が多数出たそうだ。
 「運命論」的なところもあったそうだ。
 ストア派には、とてもまじめな人たちという印象をもってしまう。
 当時、人気を博したそうだけど、おもしろみに欠けるように感じる。
 その流れをくむ哲学者に、エピクテトスがいる。

アガペーの花

2019-06-25 | 【草花】ETC
 今、西新橋の事務所の近くにアガパンサスの花が咲いている。
 ビルの周りの緑のひとつとして植えられているのだ。
 都心とは言え、あちこちのビルの周りにさまざまな植物が見られる。
 長い茎がスッと伸び上がり、その頂に花。
 ヒガンバナ科と言うことを知り、その姿で納得。
 名前は、ギリシア語のアガペー(愛)とアンサス(花)が組み合わさってとのこと。
 「愛の花」と言うわけである。
 それで、花言葉は、「恋いの訪れ」とか「恋文」だそうだ。
 南アフリカに原種が自生し、日本に渡来したのは明治時代中頃とされている。
 日本では、紫君子蘭(ムラサキクンシラン)と呼ばれる。
 英語では、アフリカン・リリー。

聖なるかな

2019-06-24 | 【断想】音楽
 モーリス・デュリュフレの「レクイエム」を聞く。
 美しい。
 何度聞いても、すばらしい曲である。
 美しく、静謐であること、救いのあることの恵みをおしえてくれる。
 激しく、責め立てられはしないが、深く罪を意識する。
 この曲は、わたしが生まれた頃に初演、出版されている。
 それで、デュリュフレ本人の指揮する録音で聞ける。
 定評あるエラート盤で。
 エレーヌ・ブヴィエ(メゾ・ソプラノ)
 グザヴィエ・ドゥプラ(バス)
 フィリップ・カイヤール合唱団
 ステファヌ・カイヤ合唱団
 マリ=アドレーヌ・デュリュフレ=シュヴァリエ(オルガン)
 木管楽器も響く。
 コンセール・ラムルー管弦楽団
 録音は、1959年以前

沙羅の木の花

2019-06-24 | 【樹木】ETC
 2週間ほど前に、鎌倉に行った。
 訪ねた家の庭に、沙羅の木(夏椿)があり、白い花をつけていた。
 その花は、なんだかしっとり感があり、優しげである。
 花びらの周りのギザギザ、形のいびつさ、どうしてあんななのだろうと思わせる。
 そんな色や形が、心を癒やしてくれる感じがする。
 自分の住まいの近くの川沿いにも、夏椿の木がある。
 以前、見つけて、おぼえている。
 花をつけているだろうかと、見に行かなくちゃと思った。
 昨日、久しぶりに、多摩動物公園のなかを歩いた。
 忘れていたが、そこにも夏椿の木がある。
 こちらは、花がいっぱいついていた。
 まだ、蕾のままのものも多かった。
 人の気持ちも柔らかくしてくれる夏椿の花。
 今シーズン、また、見に行く機会はあるだろうか。

アリストテレスの言説

2019-06-24 | 読書
「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)全29話のひとつ「アリストテレス」の話を読んだ。
 アリストテレスと言えば、プラトンにつらなり、アレキサンダー大王とも繋がりのあった超エリート哲学者と言うのが、全体的な印象だ。
 高校生の頃、田中美知太郎の「哲人たち」的な本を読み、哲学に関心をもったことがある。プラトンの著作を何冊か読み、より学術的とみられたアリストテレスの「形而上学」や「政治学」を手に取ったことがある。
 何か、自分の人生のプラスになるのでないか、それにかっこよさそうだからと。
 だけど、すぐさま、自分の基礎教養では手におえない、それにおもしろくなさそうだと、読むのをやめた。その状況は、今も続いており、近づこうとは思わない。
 山本著の「ギリシア・ローマ哲学者物語」は、哲学者たちのエピソードが中心なので、読むことが出来た次第である。
 折角、読んだのだから、アリストテレス言説のひとつでも憶えておこうと思った。
 アリストテレスは、「希望の定義を求められて『目をさましている者の夢だ』と答えた」とあった。何かの話をするとき使えそうだ。

更紗空木よ

2019-06-23 | 【樹木】ETC
 そこに更紗空木があることを知ってから
 毎年のがさずその花を見ていた
 ところが去年は事情があって見ていない
 今年もまだだった
 六月も下旬になり
 どうだろうかと思いつつ
 そこへ行ってみた
 あらかた花が散っていた
 ちゃんと見られるとすると
 一年先か

プラトン出生の噂

2019-06-19 | 読書
「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)をぽつぽつ読み進んでいる。全29話のうち、順番通りではないが、12の話を読み終わり、13話目で、「プラトン」を読んでいる。
 プラトンの出生にまつわる噂のことが記されている。
 父のアリストンが、許嫁のペリクチオネと交わろうと迫るが、ことを果たせず、あきらめたところに、アポロン神の姿を認めたとのこと。
 ペリクチオネは懐妊、プラトンを生む。アリストンは、プラトンが生まれるまで、ペリクチオネと接することはなかったとのことなのだ。
 プラトンを神の子と思わせようとの意図ゆえか。
 この噂の出来事は、イエス・キリストの生誕より、ずっと昔のことである。

CANNONBALL

2019-06-18 | 【断想】音楽
 CMPACT JAZZ/CANNONBALL ADDERLEY/エマーシー盤
 フューチャリング;ジョン・コルトレーン、ホレス・シルバー、ポール・チェンバース、ナット・アダレー
 キャノンボール、クレイジー・ベイビー、ワーク・ソングなどの14曲。
 屈託がない。いい感じ。
 もともとは、こんなのが好きだった。

「怒りの日」のないレクイエム

2019-06-16 | 【断想】音楽
 デュリュフレの「レクイエム 」を幾つかの演奏で聞いた。
 この「レクイエム 」の特色は、激しさをともなう「怒りの日」がないこと。
 全体を通して、静かな曲調にあることだ。
 同じく、「怒りの日」がないのに、フォーレの「レクイエム」がある。
 デュリュフレより古い作品で、誰もが知っているクラシックの名曲のひとつである。
 改めて聞いてみようと思った。
 去年、クリュイタンス指揮のパリ管弦楽団のを聞いたように記憶している。
 今度は、別のものをと思った。
 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
 ホルスト・ノイマン;合唱指揮
 エィモシー・ファレル;オルガン
 キャスリーン・バトル;ソプラノ
 アンドレア・シュミット;バリトン
 1986年、ロンドンでの録音
 グラモフォン盤
 ソプラノ、バリトン、合唱、オーケストラとオルガンのための「レクイエム」op.48
 きれいな曲である。
 「最後の審判」がないということ、み救いが確実と言うことか。

GODZILLA for Band

2019-06-15 | 【断想】音楽
 先日、有楽町で会合があって、行きがけに、日比谷のゴジラを見た。
 TOHOの関係のゴジラ・スクエアに像がある。
 近くに東京ミッドナイト日比谷。
 新有楽町ビルは、近く建てかえだそうだ。
 久しぶりのそのあたりだった。
 昔、和田一仁さんと、ダンヒルの店に寄ったことあったなあ。
 ゴジラ像の写真を撮った。
 「ゴジラ」のレトルトカレーを買った。
 そんなことがあって、「ゴジラ」を聞こうかと思った。
 CDには、以下の3曲とゴジラの「足音」と「鳴き声」
 1.バンドのための「ゴジラ」ファンタジー
 2.バンドのための「ゴジラ」マーチ
 3.和太鼓と吹奏楽のための「ブーレスク風ロンド」 
 指揮は、汐澤安彦
 演奏は、東京佼成ウインド・オーケストラ
 監修は、伊福部昭
 もともと、伊福部昭の作曲。
 もともと、東宝の映画。
 1999年に新座市民会館で収録されている。
 レーベルは、ビクター。
 伊福部昭の音楽が好きだ。
 「ゴジラ」はワクワクする。
 

すべてに美しく

2019-06-15 | 【断想】音楽
 デュリュフレの「グレゴリオ聖歌の主題による4つのモテット 」。
 1.いつくしみと愛のあるところ
 2.すべてに美しく
 3.あなたはペテロである
 4.タントゥム・エルゴ
 パリ(アウディテ・ノヴァ)声楽アンサンブル
 指揮:ジャン・スーリッス
 ERATO盤。
 全体として、いい曲だと思った。