ドウダンツツジの紅葉

2009-11-30 | 【樹木】躑躅
 御岳山のケーブルカーに乗った。
 その途中に、ドウダンツツジが葉を染めていた。
 ガイドの爺さんが言った。
 「下を御覧下さい。毎年、秋には、その紅葉を楽しみにしております」と。
 そう言われて、改めて、秋のドウダンツツジを眺めることになった。
 結構、あちこちに見かけられる。
 その紅には、明るさがあってなんとも美しい。

秋の所感

2009-11-28 | 【断想】ETC
 85歳が、61歳に言った。
 「もう、恐いものはないだろ。思ったとおりにやれ」と。
 夏の終わりのことだ。
 晩秋、その85歳が倒れたとき、60歳が言った。
 「充分に生きたのだ。飲み食いも、好きにすればいい」
 61歳は、そうだなあと思った。
 倒れた89歳は、ベットでのおかゆを歓びとしていた。

ブログ事情

2009-11-24 | 【断想】ETC
 このブログの原稿は、樹木のことを中心にしてきた。
 その関連で、草花のこと、森の文化にまつわることも書いてきた。
 また、古典や読書のことを題材とした。
 ところが、その何れにも、ここのところ関心の度が低下している。
 それで、ブログもとぎれがちになっている。
 単に、気持ちにゆとりがないだけかも知れぬ。
 自己診断では、この要素が強い。
 状況が変わるまで、しばらくは、こんなペースになるかと思う。

闇に消えたい

2009-11-20 | 【断想】ETC
 闇から出たい。
 闇に消え入りたい。
 解脱への願い、色事への思い。
 ひとそれぞれである。
 次は和泉式部の一首。
 願はくは暗きこの世の闇を出でてあかき蓮の身ともならばや
 蓮は「はちす」とよむ。
 そして、次は、色恋に思いを残す男の一首。
 願わくは時雨夜闇に消え入りてともに渡らん夢の浮橋

旧友に会う

2009-11-18 | 民社
 旧友に会う。
 旧友と言ったが、先輩である。
 日本民主社会主義学生同盟の同志でもある。
 顔を合わせると、40年近くの歳月はどこかへ消える。
 若い頃に、同じ思いでともに行動したことは大きい。
 先輩は、学生時代に既にたくみな弁舌をものしていた。
 それは、きわだった才であった。
 いつも凄いなと感心していた。
 この思いは、一生、消えることはないだろう。
 この12月に、日本民主社会主義学生同盟のOBが集まる会がある。

秋の光に偲ぶ

2009-11-15 | 【断想】ETC
 きのう、私におだやかな日々を用意してくれた亡き人の記念会が、白金であった。
 行けなかったが、金沢では、中学の同窓会が開かれた。
 今日は、大津で、民社の大先輩の偲ぶ会が開かれる。
 多くの人に育まれて、今の自分がある。
 秋の陽に水面は光りなつかしき過ぎ去りし日々を偲ぶひととき

茶色の半纏

2009-11-14 | 【樹木】ETC
 ユリノキ(百合の木)は、その葉の形から、ハンテンボク(半纏木)の名をもつ。
 また、その花の姿から、チューリップ・ツリーとも呼ばれる。
 秋、散歩道には、茶色の半纏が散乱していた。

「あやしき事」

2009-11-12 | 【断想】ETC
 和泉式部が、「あやしき事」として詠んだ歌。
 《世の中にあやしきものはしかすがに思はぬ人の絶えぬなりけり》
 その「あやしきもの」があって、喜びも悲しみも深まり、元気も湧いてくるように思う。
 願わくは、あやしき思いの絶えぬことを。

数寄のこころもて

2009-11-11 | 読書
●西行/白洲正子著/新潮文庫/476円
 もともとは、昭和63年に新潮社から刊行された作品だ。以前から読みたいと思っていた。
 西行の歩みと思いを後世に残った和歌と結びつけて、白洲女史の所見が綴られている。20のセクションで構成されており、一番最初の「空になる心」に、西行の和歌について、次のようにある。
 「・・・花を見ても、月を見ても、自分の生きかたと密接に結びついていることで、花鳥風月を詠むことは、、彼にとっては必ずしもたのしいものではなかった」
 西行の和歌に、時に深くうたれるのは、まさに、この故であると思う。他の歌人とは、隔絶したものが込められているのが感じられる。
 ゆっくり感想を書くには、時間がないので、印象に残った部分を挙げておこうかと思う。
 明恵上人にふれて、「二人とも非常に女に持てた」「今も昔も女というものは、動物的なカンが発達しているから、世俗的な外観にとらわれず、ひと目でそういうものを見抜く。まったく立場を異にする西行と明恵が、女性に愛され、頼りにされたのは、『智恵もあり、やさしき心使ひもけだかき』数寄の精神によるといっても過言ではないと思う」とある。
 在原業平にふれて、西行は業平の和歌に「共感しなかった筈はない」とある。そして、次のようにある。「現代人は、とかく目的がないと生きて行けないといい、目的を持つことが美徳のように思われているが、目的を持たぬことこそ隠者の精神というものだ。視点が定まらないから、いつもふらふらしておりとりとめがない。ふらふらしながら、柳の枝が風になびくように、心は少しも動じてはいない。業平も、西行も、そういう孤独な道を歩んだ」
 業平も女にもてたことは言うまでもない。
 女にもてたいとの気持ちを抱くゆえ、以上のような部分が気になった。