●西行/白洲正子著/新潮文庫/476円
もともとは、昭和63年に新潮社から刊行された作品だ。以前から読みたいと思っていた。
西行の歩みと思いを後世に残った和歌と結びつけて、白洲女史の所見が綴られている。20のセクションで構成されており、一番最初の「空になる心」に、西行の和歌について、次のようにある。
「・・・花を見ても、月を見ても、自分の生きかたと密接に結びついていることで、花鳥風月を詠むことは、、彼にとっては必ずしもたのしいものではなかった」
西行の和歌に、時に深くうたれるのは、まさに、この故であると思う。他の歌人とは、隔絶したものが込められているのが感じられる。
ゆっくり感想を書くには、時間がないので、印象に残った部分を挙げておこうかと思う。
明恵上人にふれて、「二人とも非常に女に持てた」「今も昔も女というものは、動物的なカンが発達しているから、世俗的な外観にとらわれず、ひと目でそういうものを見抜く。まったく立場を異にする西行と明恵が、女性に愛され、頼りにされたのは、『智恵もあり、やさしき心使ひもけだかき』数寄の精神によるといっても過言ではないと思う」とある。
在原業平にふれて、西行は業平の和歌に「共感しなかった筈はない」とある。そして、次のようにある。「現代人は、とかく目的がないと生きて行けないといい、目的を持つことが美徳のように思われているが、目的を持たぬことこそ隠者の精神というものだ。視点が定まらないから、いつもふらふらしておりとりとめがない。ふらふらしながら、柳の枝が風になびくように、心は少しも動じてはいない。業平も、西行も、そういう孤独な道を歩んだ」
業平も女にもてたことは言うまでもない。
女にもてたいとの気持ちを抱くゆえ、以上のような部分が気になった。