Rock Oyster 2009

2009-07-31 | 【断想】牡蠣
 店の前に「夏の岩牡蠣祭り」という表示があった。それは、その店限りのものではなく、その企画にのった各地のオイスターバーが参加して行われているようであった。
 夏だ。岩牡蠣のシーズンだ。さあ、みんな食べようじゃないかという感じだ。
 全国の産地から岩牡蠣を取り寄せ、お客に提供するというものである。
 ともかく、店に入った。席もあった。
 その日に食べることができる牡蠣のリストがあった。
 岩手県の広田湾、石川県の七尾湾、京都府の丹後半島、島根県の境港、長崎県の九十九島の産の岩牡蠣を食べた。リストには、他の産地のものもあった。
 ともかく、一度にこんなにまとめて岩牡蠣を口にしたのは初めてだった。それぞれ、味、身の色合い、殻の形姿にも違いがあって楽しめた。生牡蠣がメインではあるが、ステーキにしたものもよかった。
 岩牡蠣は、冬の牡蠣にくらべてボリュームがあり、うまい。また、夏の岩牡蠣にあたるということはないと言われる。機会をみつけ、また食べようと思う。ただ、そこらのスーパーでは売っていない。オイスターバーなりに行かなくてはならない。
 天然もので、漁獲量も少なく、季節も限定される。ぼんやりしていると、食いそびれる。

愛と時空

2009-07-30 | 【断想】ETC
 年をへて住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ(在原業平)
 幾度となく年を越し住み慣れたこの地を、わたしが去ってしまったら、ここはただ草深き荒れ野になってしまうのでないか。この郊外の地に住むあなたの気持ちも変わってしまうかも知れない。
 仲良くなるには、できるだけ多くの時を同じくすることだ。
 離れて暮らせば、心のつながりも薄れていく。
 逆に、別れたければ、離れていることを多くすればいい。
 この愛の物理学は、すべてのケースに当て嵌まるわけではない。

夢かとぞ思ふ

2009-07-29 | 【断想】ETC
 わすれては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけてきみを見むとは(在原業平)
 お会いしたことが夢の中のことのようだ。
 思いもしなかったことだった。
 雪をふみわけて、君にお会いすることなんて。
 剃髪し比叡山の麓の庵に入った惟喬親王を訪ねたあとの業平の歌である。
 ともに過ごした楽しい日々が、過去となってしまった人生の秋の歌である。
 夢よ。
 夢なのだ。
 夢でいいじゃないか。

野に咲く姫百合の恋

2009-07-28 | 【草花】ETC
 ユリの花の季節。ユリと言ってもその種類はきわめて多い。代表的なものでも、このブログで写真もあげたヤマユリ、オニユリをはじめとして、カノコユリ、ササユリ、テッポウユリ・・・・等がある。
 たまたま読んでいた本に、次の和歌が載っていた。万葉集に収められている大伴坂上郎女の作である。
 夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ
 人知れぬ恋は苦しいものであるということを夏の野にひっそりと人に知られずに咲く姫百合になぞらえて歌ったものだ。
 ヒメユリ(姫百合)ではないが、ヤマユリをまた見かけた。その雄蕊、雌蕊を見ると、生々しく、狂おしいばかりのものを感じる。
 野に咲く楚々とした風情からはほど遠い。

里をば涸れず

2009-07-28 | 【断想】ETC
 今ぞ知るくるしきものと人またむさとをばかれずとふべかりけり(在原業平)
 友人の送別会をセットしたが、その友人がなかなかやって来なかった。
 待たされた業平が詠んだ歌である。
  今となって改めて感じた。
  人に待たされる身が辛いことを。
  妻をいつも待たせるのもよくない。
  絶えず訪ねなくては。
 「さと」は「里」、「かれず」は「涸れず」と漢字にした方が意味が取りやすい。

朝の公園に青大将

2009-07-27 | 【断想】蛇
 蛇を見かけたときは、ブログなどに記しておくことにしている。町中で蛇を見かけることは、少なくはなったが、わたしが住むあたりには、その生息の環境がまだ残っている。ひとつのバロメーターとして。
 三月下旬に、程久保川のなかの草むらにアオダイショウ(青大将)、かなりの大物だった。
 五月中旬、住まいのマンションの前で、躑躅の木に逃げ込んだシマヘビ(縞蛇)。
 そして、数週間前、おもての通りで、頭を潰され捨てられている小さな蛇を見かけた。
 七月下旬の今日の朝、マンションのベランダから、したの小さな公園を見下ろしたら、蛇が這っていた。サイズからいって、アオダイショウと思われる。
 ここのところ、蛇が増えているのかな。
 そんな感じだ。
※写真は、多摩動物公園で飼われているシマヘビ。

白玉のほとばしり散る

2009-07-27 | 【断想】ETC
 ぬきみだる人こそあるらし白玉の間なくも散るか袖のせばきに(在原業平)
 布引の滝にて。
 誰かが、緒を抜いて白玉を散らしているかのようだ。
 絶え間なく、ほとばしり散っている。
 とても小さな袖では包みきれないほど、つぎつぎと。

百日紅の紅い花

2009-07-27 | 【樹木】ETC
 サルスベリ(百日紅)の紅い花を手にとって間近に見た。
 こんなだったのかと思わせる特徴がある。
 粒から何本も細い紐、その紐にピンクのフリルがついている。
 一本抜いてみた。
 一度見ておいてもいいだろうと思う。
 そのさまをうまく表現できない。
 自分でご覧になってください。

百日紅の白い花

2009-07-26 | 【樹木】ETC
 多摩動物公園のシマサルスベリは、皮が剥がれかかり、美しくなかった。
 堀の内あたりの街路樹のサルスベリは花をつけ、美しかった。
 サルスベリは、百日紅と書くように、花は紅が多いが、白のもある。涼しげな白い花が、暑苦しいほど密集していた。

貧乏葛と格闘

2009-07-26 | 【草花】ETC
 ヤブガラシ(藪枯らし)は、ブドウ科の蔓性の草本である。
 その花は、花というには貧相なものだが、蝶や蜂には人気がある。蜜がいいのだろうか。写真を撮ろうとした時にも、スズメバチが来ていた。
 ヤブガラシは、ビンボウカズラ(貧乏葛)とも呼ばれる。こちらの名の方がなじみがある。小さい頃、庭のビンボウカズラを抜いておくように言われたことがある。貧乏に覆われるのは嫌だったので、しっかりやった。蔓をたぐり、抜いて、かなりの量になった。我ながら、よくやったなと満足した。
 しかし、しばらくして、あの努力は徒労だったのかと思わざるを得なくなったのだ。ともかくビンボウカズラの繁殖力、生長力は旺盛である。いつの間にか、また塀のうえまで伸びていたのである。

さらぬ別れのなくもがな

2009-07-26 | 【断想】ETC
 世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もとなげく人の子のため
 業平に、母から歌が届く。
 「老いぬればさらぬ別れのありといへば・・・・」と。
 年老いてきたので、いつお別れとなるやもしれぬ、たまに顔を見たいというものだった。 この返歌としての一首である。
 「世の中から死の別れがなくなればいい。ご長寿を祈る子のためにも」

擬宝珠の花

2009-07-25 | 【草花】ETC
 花茎の先に、薄灰色の花のようなものを見た。
 その名を知りたいと思った。
 調べてみて、オオバギボウシ(大葉擬宝珠)と見られた。
 そして、それは、まだ開かない花が密集したした状態のものと。
 そんなオオバギボウシが生えているところへ行ってみた。
 薄灰色の花でなく、よく見る姿になっていた。
 それで、間違いでないことを確認した。