「まず咲く」

2011-02-28 | 【樹木】ETC
 マンサクだな。
 花が茶褐色だな。
 枯れかかっているのかな、萎れているのかな。
 そうではなかった。
 なんだ、これでいいのか。
 木にかかったプレートにアカバナマンサクとあった。
 紐のような花びらの基部に赤味があるのは、ニシキマンサク。
 花びら全体が赤味を帯びているのが、アカバナマンサク。
 マンサクの花は、春の到来を告げる。
 「まず咲く」
 まあ、そう言うことだな。
 ロウバイやウメのようにめでられることは、まずないな。

「きれいね」

2011-02-27 | 【樹木】梅
 香りで、その存在を知らせてくれた梅がある。
 数年前のことだ。
 多摩動物公園を散歩していた俺の足を止めさせた。
 以来、毎年、その花を見、香りに季節を感じていた。
 今年もと思っていた。
 早く行かないとという気持ちだった。
 今日、ようやく、その花を見、香りを嗅いだ。
 梅の木のそばにとどまっている俺に気づいて、小さな女の子がやってきた。
 「きれいね」と言った。
 なんだか、恥ずかしかった。

梅咲かば見にと来なまし

2011-02-26 | 【樹木】梅
 二月下旬の午後、梅園を歩く。
 出店もあって、それなりの賑わいがあった。
 海苔をまいた団子を食べた。
 梅の木の種類を知ろうと、あれこれ調べたのは、去年だったろうか。
 一昨年だったろうか。
 そのあらかたを忘れてしまった。
 花を見て、いいなあと思った梅の木に「宇治の里」との表示があった。
 野梅性八重、千葉大学の梅林から広まったとの説明書き。
 和泉式部の一首。
 春はただわが宿にのみ梅咲かば離れにし人も見にと来なまし

「切ないね」

2011-02-18 | 読書
●式子内親王/馬場あき子著/ちくま学芸文庫/1992年8月6日発行
 馬場あき子の感性による批評によって、式子内親王の歌を読む愉しみが増したように思う。ところどころで、式子内親王のこころを想って、胸にあついものがこみあげてきた。情操が豊かで広く、表現力のある人による解説・批評は、素晴らしい。わたしのように、古文や時代背景の知識が乏しいものには、必須といえる。
 折を見つけて、また読みたいものだ。

色欲の衰え

2011-02-16 | 【断想】ETC
 後白河天皇が編んだ「梁塵秘抄」に、「我等は何して老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ・・・・」とある。
 「あのこを誘おうか。だけど、寝不足になるのはいやだなあ」
 誰のこととは言わないが、そんな思いを抱くのは、老いの証左か、あわれなれ。


ひたすらうるわしく

2011-02-15 | 読書
 式子内親王の生きた時代は、平氏の盛衰、鎌倉幕府のスタートという動乱期である。権勢をめぐる荒波に翻弄されるだけという立場のなかで、生を歩まざるをえなかったと見られる。
 馬場あき子の「式子内親王」の第二部のはじめに、次のようにあった。
 「式子にできるただひとつのことは、これらの悲運な後見人たちのただなかに、ひたすらに、うるわしく存在すること、ただそれだけである。」
 いかなることがあろうと、美しくあること・・・・。

式子内親王の周辺

2011-02-15 | 読書
 以前から、馬場あき子の「式子内親王」を読んでみたいと思っていた。
 もともとは、1969年に紀伊国屋新書で出版されたようだ。その後、ちくま学芸文庫、講談社文庫で出ている。しかし、いずれも現在は店頭にはない。紀伊国屋新書は、そのものがなくなっているのでないだろうか。かつて、その新書を何冊か読んだ。諏訪優や寺山修司の著作だった。学生時代のことで、なつかしい。
 馬場あき子の「式子内親王」は、ネットででも入手するしかないかと思っていたら、古本屋の棚に見つけた。ちくま学芸文庫のものだった。
 この本は、二部構成で、第一部は式子内親王の周辺のこと、第二部は、その歌のことである。第一部を読み終えた。内親王を取り巻く血縁者を中心とした人たち、生活環境、個人に引き寄せられた時代背景のことが書かれている。人の名前が頻出し、内親王との関係がよく分かっていないと、なにがなんだか分からなくなる。そういうことで、なんだかよく分からないまま、字面を追ったというところである。
 いよいよ、第二部ということになる。こちらは、なんともすばらしい内親王の歌についての馬場あき子の所感が中心となりそうで、楽しみである。