おのがじし人死にすらし

2010-01-30 | 【樹木】ETC
 一週間前、多摩川べりの花木屋で、木瓜(ボケ)の鉢植えを買った。
 種類は、寒更紗(カンサラサ)か。
 今、白と淡紅が入り混じった花をつけている。
 その花びらの開きには、気ままなところがある。
 その乱調が、人の心をやわらかくもする。
 秋明菊の花びらの不揃いを見るときと似たような心の動きか。
 人は、この世に生まれ、何を愛して暮らすのか。
 愛しさは、その対象はさまざまである。
 清楚で、整然としたものばかりではない。
 時に、乱れも。
 そして、いつしか死ぬ。
 さまざまな死にざまがある。
 「おのがじし人死にすらし(万葉集)」
 それぞれの死に方をする。

大口の真神を見て

2010-01-29 | 【断想】ETC
 多摩動物公園を散歩するとき、歩くコースはほぼ定まっている。
 まず、狼を見る。タイリクオオカミである。
 そこから、ワライカワセミのいる丘に登り、ひと休みする。
 園内で一番高いところである。
 今は冬。
 空に枝をひろげている木々を眺める。
 まだ、葉芽の色づきも見られず、殺風景と言えば、殺風景である。
  大口の真神の原に降る雪は
  いたくな降りそ
  家もあらなくに(舎人娘子・万葉集)

地ぎわから

2010-01-27 | 【樹木】ETC
 地ぎわから枝わかれする木瓜の木。
 美しいがどこかほころびが見える女に喩えられる木瓜の木。
 枝に棘がはえる木瓜の木。
 どことなく不幸の影が寄りそう木瓜の木。
 浅川マキの歌に、「ふしあわせという名の猫」というのがあった。寺山修司の詞だ。
  ふしあわせという名の猫がいる
  いつも私のそばに
  ぴったり寄りそっている

「赤い橋」を渡る

2010-01-26 | 【断想】音楽
 浅川マキに、エッセイを書いてもらおうと電話をしたことがある。
 書いてはくれなかったが、こちらの政治的立場を理由とした断りではなかった。
 そのことは覚えているが、どういう言い回しだったか思い出せそうで、思い出せない。
 なにしろ、30年以上前のことだ。
 彼女の歌が収録されているカセットテープを持っていて、幾度となく聴いた。
 いつも、酒を飲みながらだった。
 そのテープは切れてしまって、のちに新しいCDを買った。
 古い録音のものもあったと思うが、なんだかしっくりこなかった。
 彼女の死を知って、そのCDを取り出してみたが、まだ聴いていない。
 かつてのやるせなさや焦燥感のようなものが蘇りそうな気がしてためらわれる。
 歌は彼女自身が作詞したもの、寺山修司作詞のものが多い。
 北山修作詞では、「赤い橋」。
 「渡った人は帰らない」
 ひとはそれぞれの生を生きる。
 そのなかで、性格もつくられていく。
 必ずしも、いい性格になるとは限らない。
 悪いままに生を終えるということも多い。
 「赤い橋」を渡る。
 戻り道はない。

唐木瓜

2010-01-26 | 【樹木】ETC
 木瓜のことを、唐木瓜(カラボケ)とも言う。
 原産地が今の中国だからである。
 中国という国ができたのは新しい。
 木瓜が日本に伝わったのは平安時代。
 当然、その時、中国という名の国はなかった。
 唐の国からと言うことである。

冬の林

2010-01-24 | 【樹木】ETC
 武蔵野の冬の林。
 そこから、ガビチョウの声がする。
 空は青く、よく晴れてすっきりしている。
 そこを歩く人の胸は、必ずしもすっきりはしていない。
 さまざまの思いが去来して。

呆けないうちに

2010-01-24 | 【樹木】ETC
 漢名のボクガ(木瓜)からボケの名となったとのこと。
 ボケは、バラ科の落葉低木。
 平安時代に日本に渡来したと言われる。
 原産は中国。
 園芸品種も多い。
 同じ株から紅花と白花の両方が咲くものがある。
 花に緋色が入るとヒボケ。
 白に淡紅のぼかしが入るとサクラボケ。
 名のもとになっている果実については、後日書こう。
 呆けないうちに。

いつもかわらぬ女心

2010-01-21 | 【断想】ETC
 大伴坂上郎女の歌をふたつ。
  われのみぞ君には恋ふる
  わが背子が恋ふといふことは
  言のなぐさぞ
   わたしはあなたに恋をしています。
   あなたがわたしに恋しているというのは、言葉だけの慰めなのですか。
  恋ひ恋ひて逢へる時だに
  愛しき言つくしてよ
  長くとおもはば
   恋こがれているあなた。
   ようやく逢えたときには、愛の言葉でわたしをいっぱいにして。
   長く愛し合っていこうというのなら。
 いつもかわらぬ女心。
 こういうのにグッとくるのは、いつもかわらぬ男心。

「春に想う集い」

2010-01-20 | 【断想】ETC
 六年前に逝った友人を偲んで、毎年一月に、「春に想う集い」というのを遺された者達で開いている。
 特別これといったこともないただの飲み会なのだが、長いつきあいの友人たちが集まって、「息抜き」のひとときとしている。
 昨年、同じ仕事についていた仲間の数人が、この世を去った。
 偲ばれる人が増えてしまった。
 さみしい限りだ。
 万葉集に、いい歌を見つけた。
 「春を想う」大伴坂上郎女の歌。
  佐保川の岸のつかさの
  柴な刈りそね
  在りつつも春し来たらば
  立ち隠るがね
 川岸の柴を刈らないでね。春になったら愛しいひとと二人で隠れる繁みなんだから。
 遺された者達、いろいろあるけど、いつまでも仲良くしていたいね。

浅川マキの歌

2010-01-20 | 【断想】音楽
 リフレイン
 声を出さずに
 リフレイン
 「夜が明けたら一番早い汽車に乗るから」
 酒をのまずにおれなかった
 泥酔するまで飲まずにはおれなかった
 そんな日々があった
 そんな日々に浅川マキの歌があった
 浅川マキの死亡記事を見た
 その歌を思い出すだけで
 なんだか平静ではおられない
 俺のなかにはかつての何かがまだ蠢く
 それらをいくらか制御する知恵がついた
 随分時間が経ったがそんなものだ
 「夜が明けたら」
 「ちっちゃな時から」
 「あの男が死んだら」
 「ハスリンダン」
 「港の彼岸花」
 「ふしあわせという名の猫」
 「裏窓」
 「めくら花」
 「かもめ」 
 「赤い橋」