もうすぐ、本格的な紅葉・黄葉の季節となる。
それが過ぎれば、木の葉は小枝をはなれ、枯葉が舞う。
時の流れは速い。
●男の胸を焦がさせる
某日、国会の議員会館の廊下で、数十年間を秘書仲間としてともに過ごした美女と出会う。 かつて民社党に集った仲間のひとりだ。皆、仲が良かった。
彼女は、多くの男性諸氏の胸を焦がさせてきた美形の方。過去形で言うのは失礼か、今なお素敵な方だ。
立ち話で、「元気にしてますか」と聞くと、「立憲民主党でやってます」と言わずもがなの返答。
なんともつまらないやりとりをした。以前なら、アフロディテの愉しみを唆したり、それをにおわせたり、もっと互いの琴線を刺激するやりとりをしていたはずだ。
振り返れば、よく一緒に、秘書仲間のさまざまな集まりをセットしたりした。誕生日や結婚の祝う会、亡くなった友の偲ぶ会等々。集まれば、気心をゆるしあう楽しい時となった。
それらが、懐かしい過ぎし日のことになりつつある。
それに、政党の再編などで、立場が変わるなど、つきあいの間に夾雑物も多くなってしまった。いくらか距離ができたことで、それまで気づかなかった側面が気になるようにもなった。
齢も重ねてしょうがない面はあるが、“僕たちが楽しくやった時代は過ぎ去ったのか”とさみしく感じる。
●恋をしていた季節
さて、ジャズのスタンダード・ナンバーともなっている「オータム・リーブス」の美しい演奏でも聞いて、少しばかり冷えた心を慰めようか。
「オータム・リーブス」は、英語名あって、日本語では「枯葉」として親しまれている。
「枯葉」は、もともとはシャンソンの名曲。1945年にジョゼフ・コスマがバレエ音楽として作曲し、映画「夜の門」の中で、イブ・モンタンが歌って広く知られるようになった曲だ。
詞は、フランスの詩人ジャック・プレヴェールによるもので、「ああ思い出してくれないか ぼくらが恋していた幸福な時代を・・・」(小笠原豊樹訳)と、過ぎしよき日を回想する曲だ。
その後、1950年にジョニー・マーサーが英語の詞をつけた。そして、「オータム・リーブス」とのタイトルで、ナット・キング・コールが歌って、より広く知られるようになった。
ヴォーカルでは、何と言っても、ナット・キング・コールなんだろうが、娘のナタリー・コールのもしっとり歌い上げていて素晴らしい。
ジャズの女性ヴォーカリストで、人気・実力ナンバー・スリーにはいるサラ・ヴォーンには、「枯葉」なるアルバムもある。ここで歌われている「枯葉」は、ジャズ化はなはだしく、スキャット・オンリー、原曲のもつ哀愁に浸るにはふさわしくない。
ニューヨークのため息と言われ、ハスキー・ボイスで日本人好みのヘレン・メリルも英語で歌っている。
男性では、メル・トーメがフランス語でも歌っていて、これは情緒たっぷり。
インストゥルメンタルでもマイルス・ディビス、バルネ・ウィラン他に多くの名演がある。
秋の日、「オータム・リーブス」の聞きくらべをして愉しむのは如何ですか。
(月刊誌「改革者」2022年10月号)
時は五月。つつじの花の季節である。
このエッセイ欄への寄稿で、これまで様々な植物を取り上げてきたが、広く親しまれているつつじのこと書いたことがない。どうしてだろうか。
その花に、色っぽさを感じないからだろうか。
●色気なき花
一言でつつじと言うが、その種類はやたらと多い。
ツツジ科ツツジ属には八○○種ほどある。日本に自生するものでも四○種を超えると言われる。そのうえ、園芸、交配種がわんさかある。
それで、つつじの花は、とりどりのサイズ、色かたちをして賑やかこのうえない。総じて派手やかで、たくましさをも感じさせる。
しかし、残念ながら、梅や桜の花のように、清楚さや儚さの色気を感じることが少ない。
その開花期のメインが、四月から六月と、好天の日には汗ばむ季節となっていることも影響しているのだろうか。
つつじ見物をしながら、美女と肌を温め合うなんてことも、暑苦しそうである。
●牧草地の嫌われ者
別につつじに恨みがあるわけではないが、何だかけなすようなことになってしまった。ついでに、嫌われ者としてのつつじのこと。
つつじに関しては、ちょっと注意を要するところがある。ツツジ科には、その葉や花に毒をもつものがあるからである。
早春に釣り鐘状のかわいい花をつけるアセビは、葉に毒がある。アセビは漢字で馬酔木と書く。馬が食べると酔っ払ったようになるとのことで、その名がついたようだ。
大きく美しい花をつけるシャクナゲもその葉に毒がある。日本では庭木にして、愛でたりしているが、牧草地ではやっかいものだそうだ。家畜に食べてもらっては困るからである。
ヒマラヤの中腹には、その群生地があり、それはそれは美しいとのこと。でも、牧畜で生業を立てる現地の人たちは、まるでその美しさに関心がなく、嫌っているそうだ。
日本では、高原に咲くレンゲツツジが、同様に嫌われている。その葉に毒があることを知る牛や馬が食べないために、はびこりすぎるということなのだ。
そんな嫌われ者のつつじであっても、それは植物のこと。気をつければ済むことである。
しかし、人のこととなると異なる。世にはびこる嫌われ者はとてもやっかいで、馬酔木の葉でも煎じて飲ませてあげたいような方もいる。
●つつじの花を見あげる
かつて、とうが立った美女たちと群馬県の館林にあるつつじが丘公園を歩いたことがある。
そこには、樹齢三百年を超えるつつじが植わっている。
大切に育てられたようで、それなりの高さをもつ樹木となっている。
それで、梅の花を見あげるように咲き誇っている花を見あげることになる。これが、一般的には庭の低木なるつつじなのかと感嘆の声をあげたものだ。是非ご覧になればと人に薦められる見事なものである。
儚さの色気なくとも、老いてなお派手やかで、美しく堂々と生命の輝きを放っている。
美女たちには、薔薇のように、花が落ちて、固い棘だけが残るようにはならず、このつつじのごとくあればよしと思ったものだ。
〈月刊誌「改革者」2022年5月号〉
●柿泥棒
確信・計画犯であった。僕たちは、バケツや籠を用意して、そこに向かった。
屏を越える。
見張りをおく。
目をつけていた木に登る。
ほれぼれするほどするほど見事な美味しそうな柿の実。
柿の木は枝が折れやすいから気をつける。どんどんもぐ。
地上の者は、次々受け取る。
僕たちは、密かに、その場を離れる。計画の成功、大いなる収穫に喜びの声をあげた。
金沢での少年の頃、秋の日の思い出である。
私は、小学校の五,六年、金沢の犀川のほとりの菊川町小学校に通った。
「菊のかおりを名に持ちて かおるがごときおさなさを きょうはうれしよ学び舎に 師もわが友もみな揃う・・・」と言う校歌は、室生犀星の作詞だった。
みなこぞってよく歌った。
学校の休み時間は、一つのボールを追いかけ回した。金沢城石川門の下に公園がある。その芝生は、僕たちのレスリングのリングだった。
子犬のように体ごとじゃれ合ううちに、友情と言うより、もっとプリミティブなつながりができたように思う。
そんな少年の日を一緒に過ごした友だちの一人が亡くなった。
●コロナ禍のもとのお別れ
昨年、新型コロナウイルス感染症が広がり出して以降にも、何人もの先輩・友人がこの世を去った。
葬儀のほとんどが、「密」を避け、近親者のみで行われるようになった。こんな別れでいいのだろうかと思うことが多い。
亡くなった彼であるが、東京の一流大学に進み、誰もが知る大企業につとめ、それなりの役職にあった。
一般社会的には、そう言うことなのだが、彼の胸には、満たされぬ何かがあった。
そして、その世間的な経歴は、彼にとっては何ものでもなく、僕たちの繋がりにおいての何ものでもなかった。
いったい渡世とはどういうことなのだろう。
●俳人・東出甫国
彼は退職後、本格的に俳人になった。東出甫国と言う名前で俳句をよみ、小説を書いた。
会うと、近作をおしえてくれた。
「風のほかなにもいらない吹き流し」、このような句だ。
評論で、「風談 漱石句集」。
小説で、「古九谷夢譚」、「秋燈『松林図屏風』」。
そして、「『風の盆・越中おわら節』起源異聞 霽月記(せいげつき)」(郁朋社)。
小説はいずれも、郷里の風物、いにしえの人物を素材としたものになっている。
特に、「霽月記」は、人の切ない心、幽冥界のことをも含め、抒情的なすばらしい作品と思う。
犀川べりの一隅に感じられる霊の存在のことも語られる。私の霊感が共に震えるのを感じた。
おさな友だちの作品に接するというのは、独特の感覚を呼び起こすものだ。
友だちの息遣いが、もろに感じられ、体感的に友の心の奥をのぞき込むような気がした。
●黒い木立に友の霊
夜、住まいのベランダで、外を眺める。隣の黒い木立のあいだに、亡き友の霊が来ているような気がすることがある。
いずれ、俺もそちらにいくよ。そしたら、またみんなで遊ぼう。集合は、猿丸神社だ。
(月刊「改革者」令和3年8月号)
新型コロナウィルスのせいばかりではないが、美女と酒を酌み交わす機会が少なくなってしまった。これは、まぎれもない不幸であるが、おうち時間が長くなったことによって得たものもある。
かつて集めたモダン・ジャズのLP、CDを片っ端から聞き直した。それが契機で、これまで聞くことのなかったミュージシャンにも関心が広まった。
広まったのは、年齢のせいが大きいと思うが、激しさや奇抜さがなく、静かで、癒やし系のジャンル。
その中で、ジェリー・マリガンの「ナイト・ライツ」がなんとも気持ちを落ち着けてくれ、今では、就寝前に聞くようになった。
もう一曲、チェット・ベイカーのトランペットによる「マイ・ファニー・バレンタイン」も静かなムードでよく聞く。
●あなた大好き!
「マイ・ファニー・バレンタイン」は、もとは「ベイブス・イン・アームス」と言うミュージカルの中の歌で、一九三七年に作詞・作曲されている。
その後、ジャズのスタンダード・ナンバーともなり、多くのミュージシャンに歌われ、演奏されている。
「わたしの彼は、特別カッコいいわけじゃないけど、大好きよ」と言うような歌詞で、女性から男性に向けた恋歌なのだ。
世の中、醜男、凶悪な男にも寄り添う女がいるもの、女性の優しさははかり知れない
ヴォーカルでは、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンのが有名である。でも、出色は、トランペット奏者のチェット・ベイカーがやさしい声で歌うもの。シャイな青年のおもむきで、男だって魅せられてしまうから、女性はもちろんと言うところだろう。
だけど、人の声が煩わしいこともある。そんな時は、彼が、ジェリー・マリガンのバリトン・サックスとともにトランペットを奏でるのを聞くとよい。どこかさみしげな音に、思わずひきこまれてしまう。これが夜の愛聴盤。
●恋の予感
また、この曲は、マイルス・ディビスのトランペットのも素晴らしい。
マイルスには、曲名そのものをアルバム名にしたのがあるが、わたしは一九五六年の「クッキン」なるアルバムに収められたのが好きだ。ミュートを効かし、孤愁ただよう絶品である。
ひとりさみしく歩く夜の道だけど、それだけじゃない、ほのかに芽生えた恋の予感・・・そんな思いを誘う音である。
その他に、ピアノのビル・エヴァンスとギターのジム・ホールによる「アンダー・カレント」と言うアルバムに収められたのが定評がある。
だけどこれは、二人のインタープレイの凄さに圧倒されて、曲自体を愉しむには向いていないように感じる。
曲そのものを楽しむには、オーソドックスな演奏で、ジャズの愉悦にあふれているピアノのエディ・ヒギンズのがいい。
ヴィーナス・レコードからの発売で、そのジャケットはどれも、美女をモデルにしたもの。ランジェリーが透けていて、なかなかエロチック、つい見つめてしまうのも。
新型コロナウイルスは、新しい愉しみももたらしてくれた次第です。
(月刊誌「改革者」2021年1月号掲載)
淡く紅に染まり小さな花を列ねて枝垂れる桜が好きだ。そんな風情を感じさせる楚々として美しい母娘である。
お二人は、金春流の能を舞われる。その舞われる姿を千駄ヶ谷や渋谷、神楽坂の能舞台で幾度か観させていただいた。
先日、その娘さんが、「金春の能」と言う本を貸してくれた。金春流八十世の金春安明氏の著作である。「師匠の本です」と薦められた。
わたしは、謡曲を読むのが好きで、そのことを時に語っていた。それでのことと思う。
●わが子の行くへ尋ねんと
時は、桜の季節。
「桜」の名が付く謡曲を読み返そうと思った。そのひとつ「櫻川」は、母と子の物語である。
あらすじは次の通りだ。
母ひとり子ひとりの貧しい家の男の子「櫻子」は、母の困苦に心を痛め、みずから人買いに身を売った。
母は、そのことを知って心を乱し、わが子を探しに旅に出かけた。日向国を発し、長旅のすえの常陸の国でのことである。
●櫻川での狂女の舞い
〈花は今を盛りと見えて候〉
母は、桜の名所「櫻川」で、川面を流れる桜の花びらを「これはわが子」と美しい網で掬いあげようとむなしい振る舞いにふける。
〈流れぬさきに花すくはん〉と。
母は、子への思い昂じて狂ってしまったのだ。そのさまは、川なかでの狂気の舞であった。
花見遊山の人たちに、「ほら、あそこに、物狂いの女が踊っているよ」と面白がられながら。
残酷な感はあるが、狂女が舞うのを見るのは、花見ついでの楽しみのひとつとなったのだろう。
能には、この世に思いを残す亡霊がよく登場する。生者の登場であっても狂人の類が多い。
亡霊や物狂いの言動には、この世の体裁をかなぐり捨てた人の魂や姿が感じられる。
わたしの子供の頃は、巷でも時に狂人を見かけた。こわくはあったが、人は、あのようにもなるものと、何かを体感していたような気がする。
最近は、高齢化社会で、狂人ではないが、この世の常軌からはずれた呆け老人に接する機会は増えているのでなかろうか。
時折、老人施設に入居している母を訪ねる。
母は、馬鹿のひとつ覚えのように、繰り返し「元気だったか。みんな元気か」と尋ねる。
●親子の情に今昔は
謡曲「櫻川」は、母子の深い情を題材とした名曲である。
この「櫻川」では、最後に、川のほとりで母子の再会が果たされ、母は、正気にもどり、この能に接する者に、なにがしかの救いを感じさせてしめくくられる。
昨今、親が子を虐待し、死にいたらしめたとの悲惨なニュースをよく聞く。昔にも、鬼のような親がおり、子が親のために身をすてることがまれだったからこそ、このような謡曲が成り立っているのかも知れぬ。
さて、能を舞われる母娘は、わたしに謡曲「櫻川」を読み返すきっかけをつくってくれた。
実は、そのお母さんの方は、先年、他界された。人と人の関係は、生きている者の間だけのことではないだろう。遺された娘さんは、きっと今も、お母さんの霊といつも語り合っていることだろう。
母子の深いつながりは、生死を超えていると思いたい。母子の愛には、今昔なしと思いたい。
(月刊誌「改革者」2年4月号)
以前、店のひとが薦めてくれた白ワインのことだった。
「そう言えば、ここ久しぶりだね」
数年前、肝臓の手術を受けて以降、酒の機会を減らすように心がけるようになった。
それで、美女と酒席をともにすることも少なくなった。
常々、人生で、こんなに淋しいことがあるだろうかと思っている。
●葡萄から造った酒
もうすぐ、葡萄の実の本格的な収穫の季節となる。それで、葡萄と葡萄から造った酒のことにふれたいと思った。
古いヨーロッパの俗謡曲集に、「カルミナ・ブラーナ」がある。その中の「バッカスよ、ようこそ」(細川哲士訳)と言う歌。
バッカスは血管に
熱い液体を注ぎ
ヴィーナスの激情に
女性をもえたたせる・・・・
バッカスは、葡萄酒を発明した酒神、忘我・エクスタシーの神である。
美酒は、心のほつれをときほぐし、憂さを忘れさせ、世間のとらわれからも飛翔させてくれもする。
「あれこれ気にせず、楽しくやらなくちゃ。一緒に旅行に行きましょ」
過ぎし日、深夜の小さなバーで、美女の口の端にのぼった一言に、攻守逆転の思いをもったもの。
葡萄から造ったお酒は、ワインがメインだろうが、ワインの一種のシェリー、そしてブランデーがある。
かつてのわたしのボスであった故和田一仁代議士は、香りのいいブランデーが好きだった。
時折、都内のホテルの最上階のラウンジでブランデーグラスを傾けた。選挙では苦労をしたが、そんな時を過ごすこともあった。
女人が一緒のこともあったが、和田さんの若い頃からの友人の故渡辺朗代議士とのこともあった。
世界を舞台に活躍していた渡辺さんは、よくドライシェリーを飲んでいた。そのオーダーがさまになっていた。それで、まねをした。
美女を誘って、そのラウンジへ行った時は、かっこよく見られるかなとまずシェリーを注文することにしていた。と言うことで、葡萄から出来たお酒には、美女とのおつきあいでもお世話になった。
●鬼女のための葡萄
さて、葡萄の恵みはこれだけではない。女性も気立てのいい美女ばかりとは言えない。
黄泉の国にイザナミノミコトを救い出しにたずねたイザナギノミコトは、彼女に言い渡されていた。
「わたしがここを離れる準備をしているうちは、わたしのことを覗いたりしないでね」
彼は、その禁を破り、鬼女たちに追いかけられるハメになる。
追い払うために、イザナギノミコトが、鬘を投げて生え出てきたのが蒲子(えびかづら)である。
蒲子とは、山葡萄のことで、鬼女たちが山葡萄の実を食べているスキに逃げたとのこと。
葡萄は、女人に近づくにも、逃げるにも役立つということか。
●冬の日にも葡萄
何年に一度か、甲州に葡萄狩りに行く。今年は行けるだろうか。
その葡萄の郷に葡萄寺と呼ばれる古刹がある。葡萄を手にした薬師如来像が安置されている。葡萄には薬功があるとのことのようだ。
それを気にしているわけではないが、わたしは、ただただ葡萄好きで、年から年中食べている。
本来、季節はずれの冬には、ニューヨーク生まれで、日本では緯度が同じくらいの津軽地方を中心に生産されているスチューベンを食べる。
別名、冬葡萄。巨峰にまさる糖度があって、とてもいい。
さあて、原稿が出来そうだし、香り高く、味もずっしりヘビーな赤ワインでも美女と飲みたいな。
(月刊誌「改革者」2019年8月号)
この折、令和の出典にからみ、老荘の教えをベースに、歌を詠み、酒を愛した大伴旅人のことを思い返したいと思った。
天平二年正月、大宰府、大友旅人卿の庭で、梅の宴が催され、集った者たちにより、梅花の歌が詠まれた。
万葉集巻第五に収められたこれらの歌の序の中から、「令月」の「令」と、「風和ぐ」の「和」がとられた。
●夢に梅の花・酒の愉しみ
この序の中には、酒盃をめぐらせ、「言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放し、快然自ら足る」ともある。
この梅の宴は、世の瑣事から離れ、気持ちおおらかに楽しく過ごそうとの酒の宴でもある。
そこに、他との比較で己をとらえるのでなく、「自ら足る」の思想もあらわれている。
旅人の梅の歌に「梅の花夢に語らくみやびたる花と我思ふ酒に浮かべこそ」とある。酒も詠まれている。
〝梅の花が、夢に現れて語るには、わたしは雅たる花、美酒に浮かべてくださいね〟と言うような歌。
酒の酔いのうちに、梅の花の精が現れるなんてなかなか風雅である。
そして、万葉集の巻第三には、そんな旅人ならではの酒を讃むる歌十三首が収められている。
「験(しるし)なきものを念(おも)はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし」
つまらないことであれこれ考え、気が滅入るくらいなら酒を一杯やりましょう。酒にこの世の憂さをはらすのは、人の知恵でもある。人類史上、酒は、いかに多くの悩みをまぎらわしてきたことか。
酒好きの勝手な言い分ともみられようが、そう思う。
そんな旅人のことを「享楽的で刹那主義、厭世観にとらわれている」と批判的に評するむきもある。
確かに、そんな側面も。
だけど、俗世のちっぽけな優越感を得ることなどにあくせくばかりしていては、いつまでたっても心の波は消えないだろう。
ないがしらに出来ぬ世事も多いとは言え、突き詰めれば、おのれかわいさに発するだけものも多い。それでみずからを苦しめもする。
そんなものならかなぐり捨てよう。あれこれこだわる姿は見苦しく嫌われもする。
「俺は、あいつよりこんなに立派にやっている」なんて語る饒舌もうるさいだけ。それに女人にも好かれないだろう。
ならば、女人と歓をともにするためにも、酒を友とするのもよし。酒は色気の良薬とも言えよう。
●酒は色気の良薬
ある夜、大勢の酒宴の帰りがけに、美女と二人になって盃をかわした。
酒は、衿をひらかせ、すなおにもさせる。
「遠出になっちゃうけど、いいところあるのよ。一緒にゴルフに行きませんか」
「泊まりがけ」
「そうなるわね」
こんなのも酒のなせるよきわざか、あやまちのもとか。
旅人の一首に、「生けるひと遂には死ぬるものにしあればこの世にある間は楽しくをあらな」。
古代ギリシアの詩人、パルラダースに、こんな詩がある。旅人の思いと相通じるところがあって好きである。沓掛良彦の訳である。
世にある人間は誰とても
ついには死ぬるがその定め。
・・・・・されば、おい人間よ、
これをとつくと心得おいて
大いに陽気にやるがいい
存分に酒を喰らい、
死なんぞ忘れてな。
それにまた、
こんなはかない人生を
送るのだからその間に
アフロディーテーの愉しみも
存分に味わい楽しむがいいだろう。
国会の総務委員会関係者の懇親会が、赤坂の料理屋であって、たまたま席が近くだった。
総じて無粋な政治の世界で、花鳥風月を愛でるまれな人だった。
●鳥:メジロとガビチョウ
どう言う話の流れだったか忘れたが、彼女が、「窓からメジロを見ることもありますよ」と言った。
彼女の住まいを問えば、国会のすぐ近くで、赤坂の御苑や議長公邸、日枝神社という緑の連なりのうちにあるマンションだった。
こんな都心でと、意外な感じはもったが、木々があれば、鳥もやってくる。
それで、わたしも、気になっていた鳥のことを話した。際だって力強く、太く、艶のある声で長鳴きをする画眉鳥のことである。
「図鑑を開いても載っておらず、ずっと名前が分からなかった」と。
赤茶色をして、目の周りに描かれたような白い隈が目立つムクドリくらいのサイズをした鳥である。
写真を撮り、鳥に詳しい人にたずねてみたりして、ようやく判明したのだった。
調べてみて、中国南部からベトナム、パミール高原を原生地とする帰化鳥で、二○○五年に特定外来生物に指定され、日本での生息地を拡げつつあるとのことを知った。
それで、いささか古い図鑑には載っていなかったのだ。
彼女は、画眉鳥を知らなかったので、当方が知る限りのことをまとめ、メールで送ったりした。
●花と風:萩と石蕗
雲まよふ夕べに秋をこめながら風もほに出でぬ萩の上かな(慈円)
※
かたぐるしい会議の帰り、衆議院議員会館の廊下で彼女とすれ違った。
「修学院離宮の萩の花が風に揺れていました。京都には、萩の花が多いようですね」と。
思いがけぬ話に、気分がほぐれる感じだった。
「わざわざ、京都まで行かれたんですか」
「ええ、万葉集には、萩の花のことが、よく詠われていますね」
「そうですね。万葉の頃は、桜や梅より萩の花の方が多く詠われていますね」
なんだか、話が合った。
その一年後にも、「今年も京都で萩の花を見ました」と聞いた。
彼女が、どんな暮らしぶりをしているのかと思わずにはいられなかった。
冬になって、彼女が、議員会館のわたしがいる事務所に、雑誌を持ってやってきた。
「これをどうぞ。総理官邸下の石蕗(ツワブキ)の佇まい見事ですよ。これに石蕗の花の写真が載っています」
彼女の言いぶりに、野の花を愛でる気持ちをうかがうことができた。
●「満月の君」
満月を迎える前日に、夜空に月を見て、明日は満月かと思っていた。
その満月の日の翌日、また、廊下で顔を合わせた。
「昨夜の満月、ご覧になりましたか」と問われた。
どういうわけか、満月の頃になると、彼女と出くわすことがよくあった。
「明日は満月ですわ」とも教えてもらったりした。
彼女は「満月の君」だなあ。かぐや姫のように、月のくにに帰りたいのだろうかなどと思った。
※
解散・総選挙があった。彼女が仕えていた議員は落選した。
以降、「花鳥風月」を愛でた彼女を見かけることはなくなった。どうされたのだろうか。
きっと、あんな方に出会うことは、この先ないだろうな。
(月刊誌「改革者」平成30年12月号)
白居易の詩に、「梨花一枝、春、雨を帯びたり」とある。楊貴妃の美しさを「梨の花が春雨にけむっているようだ」とたたえている。
梨は、桜などと同じバラ科の樹木で、春に、白い五弁の花をつける。シンプルで美しい。
知り合いに、梨花という名前の美女がいる。今度会ったら、その名のいわれを尋ねよう。
●和梨の盛衰
梨の花は春に咲く。そして、暑い季節に実をつける。
梨は、和梨と洋梨とか、赤梨と青梨と言うように分類される。
わたしが子どもの時分には、洋梨を見かけることはまずなかった。
和梨の長十郎とか二十世紀と呼ばれる梨をよく口にした。
今では、これらは、店頭での主役ではなくなってしまった。幸水とか豊水という梨の人気が高まり、多く生産され、よく食されるようになった。
梨の世界にも、時の移ろいによる盛衰がある。
ここでは、脇役となるつつある梨のことをしっかり記憶にとどめておきたいと思う。
わたしは、長十郎のかための実でザラザラした食感もいいと思ったが、暑い季節には、なんともみずみずしく、そのさっぱり感、風味もいい二十世紀梨が好きだった。
それもそのはず、二十世紀梨の水分は、なんと八十九パーセントで、解熱にも効力を発揮する。
●二十世紀梨の出自
その二十世紀梨のことである。
時は十九世紀、一八八八年、千葉県松戸のゴミ捨て場で、一人の少年によって、偶然に発見されたのである。
少年は、その木を父の農園に移植し、十年の時を経て実が結ばれるようになったと言う。
その実には、それまでにないみずみずしさと甘みがあった。
来世紀の代表的な梨になるようにとの期待のもと、二十世紀梨と命名された。
そして、期待どおりに二十世紀の売れっ子になった。
ただ、二十世紀梨には、「自家不和合性」という性質がある。同じバラ科の染井吉野もそうなのだが、同じ木の花粉では受粉しないのである。それは、多様な子孫を残し、種を存続させるために大切な性質ともいえるが。
そのうえ、ほとんど自然交配をしないそうだ。と言うことは、実をつけさせるためには、他の品種の花粉を手間隙かけて人工受粉させなくてはならない。
つまり、二十世紀梨の味を守り、増やすには、接ぎ木、接ぎ木で同じ遺伝子をもつものを増やし、手間のかかる受粉作業をしなくてはならいと言うことになる。
生産量がおちているにのは、その栽培のやっかいさも一因しているようである。
時節柄、美女と一緒に梨を食べる機会もあるだろう。そんな時の話題に、こんな豆知識が役に立つこともあるかも。
●老いし小野小町
謡曲「鸚鵡小町」に、老いた小野小町の霊が現れる。若き日、男たちの胸を焦がらせた女とされる小町だが、衰えたわが身の姿をこう語る。
昔は芙蓉の花たりし身なれども
今は藜藋の草となる
顔ばせは憔悴と衰へ
膚は凍梨の梨のごとし
「時、人を待たぬ」。誰しも、いつしか老い、「あら恋しの昔やな」と。
凍った梨のような膚とは、なんとも無惨だが、老いれば、それも現実。
ゆえに、みずみずしいうちに、それゆえに得られる愉悦をと。
(月刊誌「改革者」1918年8月号)
四条五条の橋の上、
老若男女貴賤都鄙、
色めく花衣、
袖を連ねて行く末の、
雲かと見えて八重一重、
咲く九重の花盛り、
名に負う春の気色かな、
謡曲「熊野」の桜に心浮き立たせる都の情景を謡った一節である。 さて、そんな桜のにぎわいもひと時のこと。桜は、花期も短く、時の移ろいを感じさせる。
また桜は、芭蕉が「さまざまの事思ひだす桜かな」と詠んだように、過ぎし日への思いに結びつく花でもある。
●夜桜見あげて
「花見はしましたか」
「まだ。クルマで通りがかった千鳥ヶ淵の桜をチラッと観ただけ」
「それじゃ、今から出かけよう」
過ぎし日、美女と半蔵門から九段にかけて、千鳥ヶ淵の夜桜を見あげつつ歩いた。
そして、夜寒にひえたからだを暖め合ったことを思い出す、あたたかい酒を酌み交わして。
桜色に染まった細き指で盃にそそいでもらって。
美女とのことには、忘れがたいものがある。しかし、そんな愉しさも、つかの間のこと。
それに、美女と言えども、齢を重ねる。やがて、肉体の若さや美しさは失われる。人のさだめは、はかないものである。
●薄命の染井吉野
はかなさついでに染井吉野のこと。今の日本の空を霞か雲かとするのは、染井吉野。明治以降にひろまった桜である。
育つのが速く、花をつけ出すのも早いが、その命は短い。葉の前に花をつけ、なんとも見事だが、まことにはかない。
美人薄命とも言える桜である。その生き急ぐ風情が人をひきつけもするのだろう。
一方、しっとりした色気に欠けると感じる人もいる。樹齢百年を超える風格ある桜は、染井吉野ではない。江戸彼岸など別の桜である。
色香濃艶な彼岸系の紅枝垂れ等を好む人もいる。
あなたは、どちらをお好みだろうか。人それぞれである。
●色香残るうち
さて、老いは誰にもやってくる。若き日に美男美女ともてはやされても、やがて衰え萎れて顧みられなくなるのは避けられない。
それゆえに、友に、己れに言いたくなる。老いの翳濃くなる前に、色香の残るうちに、「恋せよ、元気なうち美酒を愉しめよ」と・・・・。
色恋多き在原業平も老いを迎えて詠んだ。
さくらばなちりかひくもれ
老いらくのこむといふなる
道まがふがに
その意は、「桜の花よ、もっと散れ。雲がかかったくらいに散れ。そして、老いがやって来る道が見えなくしてしまえ」といったところか。
人ごとではない。
みずからの老いを感じだしているゆえか、謡曲の「西行櫻」の一節が身にしみる。「不思議やな朽ちたる花の空木より、白髪の老人現れて・・・」とある。その白髪の老人は、桜の花の精である。こう語る。
あら名残惜の夜遊やな。
惜しむべし惜しむべし、
得難きは時、
逢ひ難きは友なるべし。
ある春の宵、酒席のあと、若い女性に尋ねられた。「わたし、そんなにいい子じゃないの」と言ったあと。
「現役ですか」と。
「もちろん」と応えた。加えて、「もう俺もながくはないさ」と言うと、励ましてくれた。
わたしにまだ、春の気配が残っていたからか。
「生きていれば、あたらしい恋が芽生えることもあるかもよ」と。
嬉し侘しの花のとき。
(月刊誌「改革者」2018年3月号)
いとどみじかきうたた寝の夢
●うたた寝
式子内親王の歌のひとつである。このように詠う彼女の心の景色はどんなものだったろうか。
うたた寝でみる夢は昔日に恋したひとのことだろうか。
これを読むと、淋しげな白いうなじを見せて、うたた寝する色香匂う内親王の姿が思い浮かんでくる。
実際にどのような容貌をされた方かは知らないだけど、きっと美しいひとだったろう。
彼女は後白河天皇の皇女として生まれ、斎院をつとめるなどされた。特殊な境遇・環境を生き、自由奔放とはいかなかったであろう彼女のやるせなさも思いやられる。それが、いとおしさをつのらせる。
それにしても、美女のうたた寝は色っぽい。男の悪戯心をも誘う。
何かの成り行きで聞いた現代の美女の一言。
「旅先の電車で、うたた寝してたら、となりの男性が、膝にコートをかけてくれたの。気遣いじゃないのよ。いたずらするためなの、アタマにきたわ」
●竹の音
また、式子内親王の歌からは、風にすさぶ竹の音が聞こえてくる。その響きは、人の想いを形而上の世界へとはこぶかのようだ。
女性へのひとかたならぬ思いを抱いていた川端康成は、庭の竹笹の音を好んだと聞く。いやいや、文豪だけではあるまい。
竹の音には、胸につもった埃も吹き払ってくれるところがある。
竹の風鐸、風に竹と竹がぶつかる音、竹箒が地にすれる音、尺八、竹笛もそうだけど、竹による音には、人の感情を透き通った世界へと飛翔させる作用がある。
そんな効用も含んでの武満徹の「ノーヴェンバー・ステップス」をはじめ、尺八を使うなどした竹にまつわる現代の名曲も多い。
●老女と筍
ところで、色っぽい美女から離れて竹のこと。旬の筍はうまい。
とりわけ、皮を剝いで囓る姫竹は、適度な歯触りがあり、甘みや香ばしさがある。酒のおともにするに「姫」と名のついているのも。
秋田では、筍といえば、この姫竹をさすそうだ。
うまいのは姫竹だけではない。筍は老女にも鬼女にも好まれる。
一般的に食用とするのは孟宗竹。中国の原産で、日本に伝わったのは、将軍吉宗の時代と言われる。古来、日本にあるのは真竹で、苦味が強いものだった。
冬場、年老いたお母さんが筍を食べたいというので、親孝行の孟宗さんが見つけてきたというのが、孟宗竹の名前の由来。
●鬼女と筍
古事記の黄泉の国の話に、筍が出てくる。イザナギノミコトが、鬼女たちに追われたき、追い払おうと、鬘を投げてできたのが蒲子(えびかづら)で山葡萄のこと、櫛の歯を投げると生えてきたのが笋(たかむなな)、すなわち筍(タケノコ)。
鬼女たちが、それを食べているスキに逃げたということである。
鬼女に追われて、筍で対抗できた時代はのどかだったと言えるのか。
●少女と竹箒
ある風の吹く秋の日、小学校一年の女の子とベンチにすわっていた。竹の葉もすさんでいただろう。
枯れた落ち葉を拾うと、「何してるの」と聞いてきた。
「おじさんは、植物学者なんだ。この葉脈を見ると、何の木の葉かわかるんだよ」と。
植物学者というのは、嘘だった。
「この葉は何」
「あそこの大きな木から飛んできたんだね。ふつう落葉は秋だけど、竹の落葉は春なんだよ」
傍らにおいていた竹箒で落葉を掃き出したら、別の箒を見つけて、手伝ってくれた。
「君はきっといい女になるよ」
(月刊誌・改革者29年11月号掲載)
◇
先だって、腹部をズバリと切らなくてはならぬ手術で入院した。
その折、一人の先輩が見舞いにやってきた。
煩わしさを避けたくて、入院先は人に知らせなかった。ただ、その先輩にはついもらしていたのだ。
恐らく、氏の日頃の言動に、ものごとを煩わしくさせないスタイルを見ていたからなのだろう。
先輩は、「本代」なるものを置いて帰った。
●美酒を想いて
いただいた「本代」で、いささか値が張るので買うのをためらっていた一冊を入手し、病院で読んだ。
沓掛良彦訳の「ギリシア詞華集3」、京都大学学術出版会が発行する西洋古典叢書の一巻である。「飲酒詩」や「風刺詩」なるものが収められている。
要するに、酒をめでる詩に接したかった。どうしてかと言うと、今後、酒を禁じられることがはっきりしていて、それは、許容し難いことに思え、切ない抵抗心があってのことと思う。
総督マケドニオスのやけくそのような次の言に、なんだか慰められた。
◇
昨日病気で寝ていた俺の傍らに憎たらしい敵の医者めが立って、大杯で美酒を飲むのを禁じた。
水を飲めと言いおったのだ。頭がからっぽの馬鹿者めが、ホメロスが酒こそは人間の活力の源と言ったのも知らんのだ。
◇
その詞華集には、「若いうちに、存分にうまい酒をあおろう。やがて、老いが来れば、それも叶わなくなる」と厳しい現実をうたうものも収められている。老齢にかかっているわが胸に、残酷に響く。
●つぼみの看護師
酒のつぎには美人看護師のこと。
病院で、医師や看護師と接していて、「この人たち、よく働くなあ」と感じる。
その人たちにとって、病人に接するのは、日常であっても、患者にすれば、非日常。尿道にチューブを挿され、術後にうら若き美女に抜いてもらうなんて、めったにあることではない。あっては困る。
彼や彼女らは、下手をすれば、命を落としかねないと思っている患者をてきぱき処置していく。
しかし、そうなるには学習や訓練が必要。入院してすぐ、看護学校の学生の実習に協力してもらえるか尋ねられ、了承した。
若い女学生が、頻繁にベッドわきに来ることになった。まだつぼみの薔薇と言えるか。
「シャワーにかかれるのはまだですね。蒸しタオルをお持ちしますか」等々、いろいろ気をつかってくれるが、いまいちタイミングがよくない。気づかないようだ。わたしの手にはタオル。
「今、さっぱりしたばかりだよ」。
「血圧を計ってよろしいですか」と言われ、「いいよ」と腕を出すと、聴診器をあてての計測。
「上は一三六、下の値がうまくとれません。もう一度いいですか」と何度も繰り返す。計測器を取り替え、やっと下を計ることができた。
「あれっ、上は幾つでしたっけ」、あたふたして忘れたようだ。「一三六だよ」と教える。
まだ、トータルな状況判断やプロ意識、計測テクニックが未熟。
煩わしい見舞客ならぬ実習生とも言える。でも、それに腹を立てることはなかった。
看護師を志すなんて、わたしには出来ぬ貴いこと。そばにいるだけで、患者が安心できるような一人前に育ってほしいものだ。
なんとも切ない酒と薔薇の日々でした。
(月刊誌「改革者」2017年5月号)
しかし、この歌、四季の移ろいとは関係なく、人生の春遠くなり、齢を重ねていく者のこころに、深く沁みるものがある。
花のごとき美女たちも老い、鬼籍に入った友も増え、身の衰えが現実となると、明日のなぐさめは何かと惑ってしまう。
●白い抹茶碗
気に入りの茶碗でお茶をすすることを老後のなぐさめにしようというわけではない。ただ、以前から、焼き物には興味があった。
神谷町で骨董屋をやっていた老人が造った徳利や盃を家で使っていた。仕事柄、目利きなのか、いにしえの名品を模してのそれは魅力的であった。そして、いつしか抹茶碗にも興味を抱くようになった。
秋のはじめ、八王子の西放射線ユーロードで陶器市があるのを知って、出かけた。有田、唐津、萩、備前等々と全国津々浦々の焼き物がならぶ。
その中に、福山に窯をもつ人が自分で焼いたものを売っている店があった。わたしより少し年下のお喋りの方で、わたしが手にとって見ていた茶碗の説明をしてくれた。
「牡蠣の殻を粉状にして用いた。なかなかうまくできなかった」と。
牡蠣好きのわたしとしては、放っておけず、買い求めた。
茶碗やお茶に関心をもちだして、よかったことのひとつは美女との交流にひろがりができたことか。
●温かみのある茶碗
以前、お祖父さん手造りという温かみのある茶碗でお茶を点れてもらった。点れてくれたのは、顔の輪郭が、ボッティチェリの描く女性に似てくっきりとした美女である。武人にして茶人の古田織部のことを教えてもらいもした。
某日、彼女と焼き鳥と赤ワインで、よもやま話をした。いつしか、彼女も四十代なかばで、独身。
「女は、本能に発するかも知れないけれど、子どもがつくれる時期を過ぎると結婚観が変わる。過ぎてしまうと、前のようには結婚を意識しなくなる」と、何だかふっきれたような言。
これから子どもをつくることはないにしても、彼女はまだ若い。結婚と言う「呪縛」をはなれた次元で、もっと男との充実した関係をつくられんことを。世の中、男と女、男と過ごす愉しみは、多くの潤いや豊かさをもたらすだろうに。当然、わずらわしさもともなうだろうが。
こう思うのは私の心の何ゆえか。
●しぶい茶碗
自分と同世代の六十代後半の女性に対すると、いささか思いも異なってくる。
かつて仕事の同僚で、今は裏千家の師匠をしている方が、時折、お茶会に招いてくれる。わずらわしい作法を教えてもらいもしたが、身につかない。でも、嬉しく思っている。
それなりに立派な茶碗で、お茶を点れていただく。
茶席で使われた柿の蔕と呼ばれるしぶい茶碗が気に入って、欲しいと言ってみたが相手にされなかった。
当然ながら、彼女の周りの女性には、それなりの年齢の人、独り身の方も多い。皆、いまだ色香をたたえているとも言えるが、色事の対象として、見ることはない。
「いい男を見つけてはどうなの」と声をかけても何だか他人事。
私の心の何ゆえか。
こんなことを言うと、「あなたのような禿頭の老人に、とやかく言われるのははなはだ迷惑、おおきなお世話、筋違い」とののしられそうである。
さしずめ、わたしの「なぐさめ」は、こんなたわいもないことを言ったり書いたりすることか。
(月刊誌「改革者」2016年12月号)
齢を重ね、つくづく感じることがある。美女と酒を酌み交わし、気もつかわずあれこれ話をしていると、なんだか力が湧いてくると言うことだ。
某日、同席の美女に、「一緒にいると元気になれるんだ。心も、そして体も。君は」と尋ねると、「わたしもそうよ」とのやさしい返事。
そんな言葉にすがって明日を生きると言う次第。
●命短し
いにしえのギリシアの詩人が歌っている。
「どんな美女もやがて萎れて枯れて、打ち捨てられる。こころ蕩かす甘い言葉も聞けなくなるよ。色恋は今のうち」「花は散るからこそ美しいんだよ」なんて。
美女を前にすると、色呆け志望の老人は、「命短し恋せよ乙女」と唆したくなるのだ。既に乙女とは言えない方にも。
◇
さて、命短し夏の花、いずれもアオイ科の植物のこと。
以下は、美女との語らいの足しにでもなればとの豆知識。
ツユアケバナ(梅雨明け花)とも言われるタチアオイ(立葵)。茎の下方から花が咲きだし、一番上の花が開くと、梅雨が明ける。
そして、本格的な夏へ。ハイビスカスやフヨウ、ムクゲの花の季節となる。いずれも、朝に開いて、夕方に萎れてしまう命の短い花々。
●扶桑・仏桑華
北畠親房の「神皇正統記」に、日本の呼び名のことが出てくる。そのひとつが「扶桑」。芭蕉も「おくのほそ道」で、松山の景色を「扶桑第一の好風」と言っている。
この扶桑は、架空の神木、中国から見た東方の巨木のことで、日本の異称となったようである。
また、扶桑はブッソウゲのことでもある。仏桑華、仏桑花、扶桑花と書いて、ハイビスカスのことである。植物の名はややこしい。
もともと南国の花木で、マレーシアの国花である。
●芙蓉・酔芙蓉
フヨウ(芙蓉)、スイフヨウ(酔芙蓉)からは、秘められた色気が思い浮かんでくる。
酔芙蓉は、その花が、朝に純白、昼に淡い紅、夕に紅色にと変化するので、その名がつけられた。酒に酔って顔をあからめる色っぽい美女というところ。
メシベの先が上に反り、内に秘めた情の濃さも感じられるのだ。
女性を酔わせ、誘うのは、古来の男の手管とも言えるが、先に酔いつぶれませんように。
●木槿
ムクゲ(木槿、槿)はインド、中国が原産とされ、その花は典型的な一日花。
夏のはじめから秋まで長い期間、散っては、新しい花がつぎつぎと咲く。その生命力に着目して、韓国では「無窮花」と呼び、国花としている。
一方、わが国などでは、はかない花の命に着目している。
中国の白居易は「槿花一日自ら栄を為す」と歌った。
それで、世のはかなさを知るべしとばかり、「槿花一日の栄」「槿花一朝の夢」の言葉がある。
◇
過日、かつて民社党の国会議員秘書をつとめた顔ぶれが集まった。同窓会のようなもので、半分は女性である。民社党がなくなって、二十年以上が経っている。それで、皆の年齢も知れようというもの。
時の流れは逆らいがたく、老いは無惨、花の命は短いと言う。
そうは言うものの、彼女たちのうら若き日を知るわたしには、みんな美女に見えました。
(月刊誌「改革者」2016年8月号掲載)
早春には黄色の花が多い。その理由について、誰かの本で読んだような気がするが、よく思い出せない。
とりわけ、臘梅の花は冬の光に透けて美しい。透けていいのは、女性の衣だけではない。玲瓏としてなんとも魅きつけるものがある。
寒風に頬を冷たくしながら見るというのもいい。
●蝋細工ですか
名の由来には、諸説ある。ロウバイは、漢字で、蝋梅と書かれたり、臘梅と書かれたりする。
その花びらは、飴でできているかのようでもあり、蝋細工ですと言われれば、そのようにも見える。故に、蝋梅。
また、陰暦十二月のことを臘月といい、その時季に梅のような花をつけるからとも言われる。
名前に梅とつくが、梅の種類ではない。どうして、梅がついたかにも、説はいろいろあるようだ。
英語名は、ウィンター・スウィート。寒い冬に甘い香りを漂わすからだろう。
●長瀞の宝登山
先年、長瀞の宝登山に、臘梅を見に行った。宝登山(ほどさん)は、古くは、火止山(ほどさん)と言われたそうだ。
これは、日本武尊の東征での出来事に発する。山火事に遭った折、巨きな山犬が現れて、日本武尊を導いて救ったとの伝えによる。
この山犬とは、狼のことだろう。山犬が日本武尊を救ったとの言い伝えは、秩父だけではない。奥多摩の高尾山や御岳山にもある。
宝登山の斜面は見事な臘梅園となっている。その本数は約三千。東京、千葉、埼玉、神奈川のなかでは、他を圧して一番。
山頂へのロープウェイの麓駅には、見頃情報が示されていた。約一万五千平方メートルの敷地は、西園、 東園と分かれていて、それぞれの開花状況である。
●あちらこちらの臘梅
何かしら、古風で、懐かしさをも感じさせる花である。見れば、心の雑念も消えていく。お薦めである。
これまでに見たあちこちの臘梅を思い出す。なんだか、よく覚えているのだ。そんなに珍しいものではないのだが。
時折、多摩川べりの吉野街道を上流に向い、酒蔵がある澤ノ井で豆腐料理を食べる。食後、店の庭を散歩し、臘梅の花が咲いているのを見た。
近くの吉野梅郷の入り口にも臘梅の木がある。梅がまだの時期に目を愉しませてくれる。
吉野梅郷は、関東一の梅林とも言われたが、梅の木がウィルスに感染し、拡大防止であらかた伐採されてしまった。それで、今はさみしい。
鎌倉、円覚寺の黄梅院で臘梅の花を見たことも思い出す。本数はないが、落ち着いた風情がある。
京王線沿線の百草園にも。そこには、甘酒もあります。美女と訪れ、からだをあたためあうのもいいのでなかろうか。
●夏臘梅
久しぶりに会った美女と植物の話をした。彼女は、多くの種類の草花を育てている。
「夏臘梅(ナツロウバイ)って知ってる」と聞かれ、花の画像を見せてもらった。知らなかった。
五、六月に枝先に半八重の花をつける絶滅危惧種。そのうち、どこかで見ることがあるだろうか。
それはともかく、美女とそんなやりとりが出来てよかった。
木々の名前や野の草花、植物にまつわるあれこれに関心をもちだしてから、女性との話題に彩りが増えたように思う。花は交遊にひかりをもたらします。
●はなのひかり
春を待つ季節。式子内親王作の歌をひとつ。
この世には
わすれぬ春のおもかげよ
朧月夜のはなのひかりに