チャールズ・ロイドの「フォレスト・フラワー」(1966 Atlantic)。
「ドリーム・ウィーバー」(1966 Atlantic)とともに、チャールズ・ロイドの代表作のひとつ。
チャールズ・ロイドの名前は、古くから聞いているが、よく聞いたことがない。
ジャズの名演ガイドの本を見ていたら、キース・ジャレットの紹介のページに、「フォレスト・フラワー」が載っていた。
ピアノがキース・ジャレットなのである。
チャールズ・ロイド(ts&fl)
セシル・マクビー(b)
ジャック・ディジョネット(ds)
と言うメンバーによる演奏である。
1.フォレスト・フラワー サンライズ
2.フォレスト・フラワー サンセット
3.SORCERY
4.SONG OF HER
5.EAST OF THE SUN
聞いてみようと思ったのは、フォレスト・フラワーと言う曲名のせいだ。
「森の花」、はて、何だろうと。
テナー・サックスの音色には、ジョン・コルトレーンの影響。
ドラムのせいもあり、南国の森の雰囲気がある。
途中から、フリーの雰囲気も。
キース・ジャレットのピアノの音がきわだつ。
さて、フリー的なところのことだが、かつて、こう言うの「サイケデリック」と言わなかったかな。
キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」(1975 ECM)
ピアノ・ソロでのインプロビゼイションである。
ケルンのオペラ劇場でのライブ録音。
この美しさは
水のしたたりではない
星の燦めきでもない
野に咲く花々でもない
少年のこころでもない
献身の姿でもない
ピアノの音だ
リズムが現れるとジャズ
パート1は、26分ばかりだ。
ジャズと感じる部分と感じない部分がある。
美しさは、ジャズと感じない部分にきわだつ。
パート2は、a.b.c.と続く。
これは、何を語ろうとしているのか。
これを通じて、キース・ジャレットは、聞く者に、何を分かって欲しいと思っているのか。
このように、問うて、明快な解答を得られるものでもない。
君は、ラヴェルの「ボレロ」、そのような問いを発するか。
キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」、このような問いを誘発させる、気になる曲だ。
音の連なりが、呼び起こす感動、不思議だ。
アルバム名は、「The Bud Powell Trio」、日本では、「バド・パウエルの芸術」と呼ばれている。
1947,1953年の録音、レーベルは、Roulette。
バド・パウエルは、「ピアノのチャーリー・パーカー」と言われ、モダン・ジャズ・ピアノの開祖的存在。
確か、セロニアス・モンクの何歳か年下。
これまで、何度か聞いているのに、これと言った印象が残らず、イメージが結べない。
それで、改めて聞こうと思った。
ロマンチックな「四月の思い出」。
「誰かが私を愛してる」を聞いていると、一音づつの強さを感じる。
他の曲でもそうだけど。
これは、明確な意思の反映のように感じる。
これらは、楽器や録音の影響もあるのだろうか。
時折、音の連なりに、独特のものがある。
パウエルのもつ独特の感覚によるものだろう。
SIDE.2は、いくらかメランコリー調。
「エンブレイサブル・ユー」には、かわいい感じも。
強く打つような音。
それは、激しさとは異なる。
どちらかというと優しさか。
コールマン・ホーキンスの「ジェリコの戦い」(1962 Verve)
ニューヨークのジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ゲート」でのライブ・レコーディング。
コールマン・ホーキンス(ts)
トミー・フラナガン(p)
メイジャー・ホリー(b)
エディ・ロック(ds)
「テナー・サックスの父」と呼ばれるコールマン・ホーキンスの晩年の傑作。
「ジェリコの戦い」、素晴らしい。
これは、ホーキンスが生きた時代、アメリカと言う国にあって、黒人が生きることにつきまとう苦しみと戦いの歌。
外面だけでなく、内面の戦いも、そこにともなうのだ。
山下洋輔トリオによる「モントルー・アフターグロウ」(1976 FRASCO)
山下洋輔(p)
坂田明(as)
小山彰太(ds)
A面が、アイラーの「ゴースト」。
B面ガ、山下洋輔の「バンスリカーナ」。
モントルー・インターナショナル・フェスティヴァルでのライブ。
白熱の演奏である。
山下のピアノの音、鍵盤をハンマーで打つような音、叫び声。
太鼓が破れんばかりの小山の怒濤のドラム。
坂田のアルト・サックスの悲鳴、狂気へ突っ走るような。
こんな激しい演奏、めったに耳にするものではない。
・・・夕焼け子やけの赤とんぼ・・・・・
「バンスリカーナ:BANSLIKANA」
たまに、こういうのもいいな。
嫌いじゃないんだな。
なんだか懐かしいメロディー・ライン。
日本人が演奏しているからか、厭きさせないのだ。
一聴、無茶苦茶のようでありながら、聞き惚れる。
フリーで、聴いているうちに嫌気がさすものが多いが、そうではないのだ。
サックスの崩れる美しさ。
外人には聞くことができぬ、なんともおもしろいドラム・ソロ。
打楽器であるピアノ。
消えていくエンディング、いいね。
山下洋輔トリオの「キアズマ」(1975 MPS)。
山下洋輔(p)
坂田明(as)
森山威男(ds)
A面の3曲目が、「キアズマ」。山下洋輔自身の作品でる。
その熱演ぶりが伝わってくる。
坂田明、からだ、肺、大丈夫だろうかという演奏である。
当時の、雰囲気がよくわかる。
B面の森山威男の「ハチ」も似た雰囲気。
まさに、肉弾戦。
ライブのせいか、録音は必ずしもよくないように感じた。
坂田明のサックスが、もっと明瞭であればと思った。
山下洋輔のLPは、もう一枚ある。
それでは、アルバート・アイラーの「ゴースト」をやっている。
そう言う曲調だ。
「バード・シンボルズ」(TEICHIKU)は、チャーリー・パーカーのダイアル時代の傑作集。
ウイングジャーナル選定・ゴールド・ディスクの一枚。
演奏をともにしているのは、マイルス・ディビス、マックス・ローチ、オル・ガーナー、デューク・ジョーダン他。
CARMEN-FANTASIE(Grammophon)
ANNE-SOPHIE MUTTER,violine
Wiener Philharmoniker
JAMES LEINE
ムターのヴァイオリンで、「カルメン・ファンタジー」と名前がつけられたアルバム。
サラサーテの「チゴイネルワイゼン」、ラヴェルの「ツィガーヌ」、マスネの「メディテーション」等、7曲収められている。
わたしのお気に入りCDで、いつでも、すぐに聞けるところに置いてある。
なのに、久し振り。
盤面に汚れがでていたので、クリーニングしておいた。
BENNY GOLSON QUINTET/DOMINGO(1991 DREYFUS).
ベニー・ゴルソンのカーティス・フラーとの共演盤。かつての仲間を迎えての演奏。
1959年のLP、同じくトロンボーンのカーティス・フラーとの「ブルースエット」は有名。
オリジナル・ライナーに、ゴルソン自身が、次のように、書いている。後藤誠訳。
「1991年11月の冬らしいある日、わたしはパリでカーティス・フラー(tb)、ケヴィン・ヘイズ(p)、ジェームス・ジナス(b)、トニー・リーダス(ds)からなるクインテットで、閑静なスタジオに入った。そうして完成したこのCDの出来に、われわれ全員が満足している。・・・・」
演奏の面々、なんだか、楽しそうで、聞く者をも楽しくさせてくれる。
収録曲は、「マイ・ブルース・ハウス」「ドミンゴ」「シンギング・モード」「ア・ラ・モード」「ブルース・マーチ」他。
MINGUS PLAYS PIANO(imulse 1963.7.30)
ピアノ・ソロ、自作7曲、スタンダード曲4曲。
ミンガスのピアノ、とてもすてきだ。
好きなアルバムのひとつだ。
やさしさ、切なさ、悲しみ、ささやかな抵抗・・・。
今日、晴れていたら、散歩に出て、山百合の写真を撮っていただろう。
浅川マキの歌も、ミンガスのピアノも聞かなかっただろう。
ノーマン・メイラーの「大統領のための白書」や「ぼく自身のための広告」、どうしたろう。どこかに、しまってあるだろうか。
ここのところ、人の行動が、GPSを使って把握され、管理化が進む流れの中で、彼の言っていたことを振り返ってみたいなと思うことがある。
情報通信技術の発展が、全体主義者に利用されだしている。
「ONE 浅川マキ」(東芝EMI 1979-80録音 於:新宿ピットイン)。
今日は、外が雨降りで、外に出かけるのをやめた。
そんなで、久し振りに、浅川マキの歌をも聞く。
A面の「午後」「あの男がピアノを弾いた」「都会に雨が降るころ」「F or M」、4曲を聞く。
作詞は、いずれも、浅川マキである。
「・・・・あの男の 好きなうたを始めて知った あの夜をわたしは忘れない・・・・」
歌の雰囲気は、1960年代から、70年代はじめ頃か。
浅川マキは、確か石川県美川町の出身、役所勤めの経験があるんじゃなかったかな。
伴奏は3人、日本のジャズメン。
山下洋輔(p)
川端民生(b)
近藤等則(tp, bmall toys etc)
懐かしい映画音楽が収められたLPを聞く。
「スクリーン・スーパー・スペシャル'80 エデンの東/不滅のスクリーン・テーマ・ベスト20」。
キングレコード発売で、1980年にプレス。
約40年前のものとなる。
「太陽がいっぱい」「エデンの東」「シャレード」「ウエスト・サイド・ストーリー トゥ・ナイト」「明日に向かって撃て 雨に濡れても」「荒野の用心棒」他。
こわいくらい時が流れたんだな。
ジャケットには、自動車事故で亡くなったジェームズ・ディーンだ。
SONNY ROLLINS Vol.1(BLUE NOTE 1956)
DONALD BYRD(tp)
SONNY ROLLINS(ts)
WYNTON KELLY(p)
GENE RAMEY(b)
MAX ROACH(ds)
先日、Vol.2を聞いたので、Vol.1も。
演奏メンバーが、まるで違う。
LP盤のライナーには、「『サキソフォン・コロッサス』に続いて放った不朽の名演!」とある。
ソニー・ロリンズのサックスの音は、いい。
ドナルド・バードもはりきっている。
でも、何か突き抜けるようなものがない。
余り気分がのっていない人がいるような感じを受ける。
ロリンズにとって、ドラムのマックス・ローチは、3歳年上で、ボス的存在。
「サキソフォン・コロッサス」でも、ドラムは、マックス・ローチ。
モダン・ジャズのレコード史上、名盤中の名盤と言われている。
これぞ、ハード・バップと言われる演奏である。
Study in Brown/CLIFFORD BROWN AND MAX ROACH(EmArcy 1955)
演奏は、二人の他に
HAROLD LAND(ts)
RICHELL(p)
GEORGE MORROW(ds)
1.チェロキー
2.ジャッキー
3.スインギン
4.ランズ・エンド
5.ジョージのジレンマ
6.サンデュ
7.ジャーキン・フォー・パーキン
8.イフ・アイ・ラブ・アゲイン
9、A列車で行こう
クリフォード・ブラウンとマックス・ローチは相性がよかったようで、何枚も名盤をのこしている。
「THE BEST OF MAX ROACH AND CLIFFORD BROWN IN CONCERT!」(GNP 1954)もそのひとつ。
スイングジャーナル選定ゴールドディスクとなっている。
LP盤で持っていて、相当前から何度か聞いているが、愛聴盤とはなっていない。
わたしの愛聴盤とならなかったのは、どうしてだろうか。
整い過ぎ、優等生的なところがあるからだろうか。
ビル・エバンスを好きにならないのと似た理由だろうか。
二人ともに、演奏技倆の素晴らしさは、感じているのだけど。