信仰の深さ

2013-04-13 | 【断想】神々
 祈ることによる救い、信じることによる救い、それは、科学的ではないと言われるかも知れないが、確かにあることを誰もが気づいている。
 祈りの強さや信仰の深さを計る物さしをわれわれは持ってはいない。故に、虚妄とも見なされる。ただ、誰も、それだけだとは思っていない。
 わたしたちの知恵には何かが、欠落している。かつては持っていたかも知れぬ知恵を失いつつあるのでないか。
 宗教的なもの、伝統文化というようなもの、これらに対し、感性をはたらかせられぬというのは、生命体としての衰退かとも思う。

湯津香木とは

2013-04-12 | 【樹木】ETC
 「古事記」に登場する山幸彦が海神の宮で登っていたのは、「かつら」の木である。
 この「かつら」の木は、「湯津香木(ゆつかつら)」とされる。
 今の「桂」の木と思い込んでいたが、そうではないらしい。
 この場面の絵をかつて見た。
 その木の葉は、ハート型で描かれていて、「桂」とばかり思っていた。
 しかし、どうも、木犀(もくせい)であるらしい。
 植物というのは、同じ木でもさまざまに呼ばれたりする。
 また、古名と現在名が異なることもある。
 生半可な知識で思いこむと間違ったりする。


みなおなじ

2013-04-11 | 【樹木】櫻
 波波迦(ははか)
 朱桜(かにわざくら)
 占見桜(うらみざくら)
 占食桜(うらはみざくら)
 上溝桜(うわみずざくら)
 みなおなじと言っていいのか。
 鹿の肩骨を焼くのは、朱桜の皮でだそうだ。

朱桜で焼いて

2013-04-10 | 【樹木】櫻
 上溝桜(ウワミズザクラ)の花期は、四~五月頃。これから花をつけるのだろうか。
 「古事記」に、次のようにある。
 天の石屋戸に隠れた天照大御神に外に出て来てもらう手立てを講じる箇所で、神意を伺う占いを行うくだりである。  
 「天の香山の真男鹿の肩を全抜きに抜きて、天の香山の天のははかを取りて、占合ひまかなはしめて、・・・」とある。
 「ははか」の木を燃やして、穴を開けた鹿の肩骨を焼いてできた割れ目で占うということである。
 この「ははか」とは、朱桜(かにわざくら)の古名だそうだ。
 樹木図鑑を開くと、上溝桜の別名が「ははか」である。
 「ははか」は、朱桜であり、上溝桜であるということである。
 上溝桜の花は白い。どうして、朱桜というのかは分からないが、そういうことなのだ。
 上溝桜にまつわる話を知って、書きとめておきたくなった。

見ぬ桜花

2013-04-09 | 【樹木】櫻
 先日、鎌倉霊園を歩いた。毎年、この時期に丘の上の八重桜を見るのだが、既にあらかた散っていた。今年は、散るのが早かったかな。
 多摩動物公園に、上溝桜(ウワミズザクラ)の木があって、毎年、その花を見ていたのだが、伐採された。伐られた木の他にも別の場所に上溝桜があるのだが、まだ若い木で、花がつくのかどうか不明。気にしているが、花は見ていない。
 見損なうと、また来年ということになる。
 なにもかも、それぞれの季節。

サ・クラ

2013-04-09 | 【樹木】櫻
 サクラ(桜)の語源について、「サ」は早苗や早乙女の「サ」で、稲のことを想定していること、「クラ」は神の坐すところ(座)の意味と、ものの本にあった。
 日本人が愛してやまない桜には、それなりのバックグランドがあるようだ。

ヴァリエーション

2013-04-08 | 【断想】音楽
 音楽CDの棚を見ていて、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」を聴こうかと思った。
 不眠症にかかった貴族を癒すためにつくられたチェンバロ曲だ。
 同じものでも、少し角度を変えて見れば、別に見えることもある。気分転換もできようと言うものだ。
 そんなことを思わせてくれるだけでも、効能あり。

老醜

2013-04-07 | 【断想】ETC
 どうして、そんなに醜くなったのか。
 自分勝手で、人への思いやりを知らない世界に閉じこもってきたからなのかな。
 それなりの事情があるにしても、その報いは受けるしかないね。
 困るのは、周囲の人たちをもいらだたせることだ。

老いて弱れば

2013-04-06 | 【断想】ETC
 大いに酒を飲もうじゃないか。
 元気なうちに、恋をしようじゃないか。
 老いて弱れば、酒も恋も出来なくなる。
 ・・・・・・・
 紀元前の詩に、そう言うのがある。
 人はかわらぬものだ。
 こういう詩に、しみじみ感じるものがある齢となった。
 雨が降っている。
 水の音は、いくらか己の齢を忘れさせてくれる。
 しばしのことだけど。