レバノンスギ ⑧

2007-02-28 | 【樹木】レバノンスギ
 レバノンスギが伐られるには、理由があった。「ギルガメシュ叙事詩」に見られるような文明選択的意味合いもさることながら、なにより建材としてすぐれ、人に好まれたからである。
香り高く、腐りにくいということである。匂いのもとには殺菌作用、樹液には防腐力があるそうだ。レバノンスギでつくったものということで、古いものでは、よく以下のようなものがあげられる。
・ソロモン王の神殿
・エジプトの「太陽の船」
・フェニキアの船団の船
・エジプトのミイラをつくるための防腐剤(樹液)
・ミイラを入れる棺

レバノンスギ ⑦

2007-02-27 | 【樹木】レバノンスギ
国旗に植物があしらわれていることでは、カナダの赤いメープルリーフ、レバノンのレバノンスギがはっきりしていて目立つ。レバノンスギはレバノンの国のシンボルとなっている。しかしながら、過度の伐採でレバノンにレバノンスギは少ない。貧弱な森を残すのみとなっている。
 そんなところから、以下のようなことも言われる。
 「『レバノンにはレバノンスギが三本は確かに残っている』という言い方があり、これはレバノンの国旗に三本のレバノンスギが描かれていることを皮肉ったものだ」(辻井達一著「続・日本の樹木」中公新書)
 あの旗のレバノンスギ、1本かとおもっていたが、3本なのか。

レバノンスギ ⑥

2007-02-26 | 【樹木】レバノンスギ
 レバノンスギもヒマラヤスギも日本には自生しない。レバノンスギが日本に渡来したのは明治初年、ヒマラヤスギは明治12年と言われる。
 その後、ヒマラヤスギは、日本で普通に見られる木となった。と言っても、日本で生育する北限は、盛岡あたりまでだそうだ。ヒマラヤ原産で寒さに強そうだが、どうしてかそういうことらしい。
 一方、レバノンスギは、日本ではめったに見かけない。新宿御苑の新宿門を入った右側にレバノンスギの林があるということだから、機会を見つけて見に行こうと思う。確か新宿御苑には、とても立派なヒマラヤスギもある。

レバノンスギ ⑤

2007-02-25 | 【樹木】レバノンスギ
レバノンスギは、マツ科ヒマラヤスギ属の一種、ゆっくり成長する針葉樹である。日本でもよく見かけるヒマラヤスギと同じ仲間である。同属に、アトラスシーダー、キプロスシーダーがある。
 スギと名付けられているが、マツ科で松の仲間。通常の杉はスギ科である。
 レバノンスギの樹高は25~40メートル、主幹は直径3メートルくらいまでになるという。樹形は枝を横に伸ばすところから扁平な円錐形である。針葉はヒマラヤスギに比べ短い。

レバノンスギ ④

2007-02-24 | 【樹木】レバノンスギ
 「ギルガメシュ叙事詩」(矢島文夫訳、ちくま学芸文庫)に、フンババの写真が載っている。前第2千年紀初期のテラコッタと説明されている。
 口が大きく、太り気味のいかにもかっこ悪いおっさんという感じである。土のなかからはいずりでてきた芋虫みたいである。ほとんど裸で男性性器をさらしている。
 なかなか面白くはあるが、ただレバノンスギの森を守る「神」とすれば、「神」というには土俗的、醜くとらえられている。一般的に崇敬の対象の姿としてはふさわしくないように見える。森の破壊勢力の視線によるものなのか。

「ギルガメシュ」の蛇

2007-02-23 | 【断想】蛇
 「ギルガメシュ叙事詩」の一部である。
 ギルガメシュは、友の死に遭い、永遠の生命を求めるようになり、それを得ようと彷徨う。

 ギルガメシュは、いつまでも若く、永遠に続く生命を得たいと思い、彷徨い探す。そして、ある地で、こう告げられる。
 「ギルガメシュよ。神々のみが知る秘密を教えてやろう。人の生命をあたらしくする『草』がある。その『草』は棘だらけの蝦みたいで、水底にある。お前の手を傷つけるであろう」
 ギルガメシュは、水にもぐり、それを手に入れる。それを食する前に、冷たい泉があったので水浴をした。身を浄めたかったのである。
 ギルガメシュが水浴中のことであった。
 一匹の蛇が、『草』のにおいにひきよせられ、それを見つけ、くわえて去ってしまった。そして、蛇は戻ってきて、口から食べ滓を吐き出した。
 ギルガメシュは、それを見て、自分が神の恵みを得られなかったことに落胆した。

 以上は、私が想像をまじえて勝手に書いてみたものである。言語や歴史、生態等への無知による誤りの可能性が大いにある。このくだり、矢島文夫訳では次の通りである。
  ギルガメシュよ、隠された事柄をお前に示してやろう
  そして〔神の秘密を〕お前に話してあげよう
  この草は〔    〕のようで〔      
  そのとげが〈バラ〉のように〔お前の手をさ〕すだろう
  お前の手がこの草を得るならば、お前は生命を得るのだ
  ・・・・・・・・・・・・・・
  するとギルガメシュは水が冷たい泉を見た
  彼は水のなかへ降りて行って水浴をした
  蛇が草の香に惹きよせられた
  〔それは水から〕出て来て、草を取った
  もどって来ると抜殻を生み出した
  そこでギルガメシュは坐って泣いた
  ・・・・・・・・・・
  私自身には恵みが得られなかった
  大地のライオンに恵みをやってしまった
ここに出てくる、「蛇」「草」はどのようなものなのだろうか。草を食べる蛇とは、草とは言うが、草のようなものではなかったのか、ライオンに喩えられる蛇とは、いったい何なのか、ワニではないのか、でもワニとするなら、草とは、もっと大きな生き物でないのか、・・・想像は膨らむ。「抜殻」とは、何なのだろうか。蛇が吐き出した食べ滓と言うことも出来るが、あたらしい命ということからすると脱皮・再生のことだろうか。蛇は脱皮をし、生命力を感じさせる。

レバノンスギ ③

2007-02-23 | 【樹木】レバノンスギ
 レバノンスギの森に到着したギルガメシュとエンキドゥが、一種の感動におそわれる場面が、「ギルガメシュ叙事詩」に記されている。
 「彼らは立ち止まり、森を見上げた
  杉については、その高さを眺めた」
 「山の手前には杉がその頂きをかかげていた
  その木陰は快適で、喜びに満ちていた」
 (矢島文夫訳、ちくま学芸文庫)
 レバノンスギの森の気持ちよさを感じつつも、その後、ギルガメシュは、木を伐りはじめるのである。それが人類のためにと。

レバノンスギ ②

2007-02-22 | 【樹木】レバノンスギ
 文字としてのこされた人類最古の物語が「ギルガメシュ叙事詩」(約5000年前の作)である。およそ6000年前、メソポタミアの地に人類は文明を築き、シュメール人の物語として、楔形文字で記されている。この物語のなかに、レバノンスギが出てくる。
 物語は、ギルガメシュ王が、猛者エンキドゥと出会い、友情を深め、ともにレバノンスギの森に遠征し、森にすむフンババ(フワワ)を倒すという英雄譚である。その後、ギルガメシュは友エンキドゥ失い、「永遠の生命」なるものを求め、彷徨う。
 この中に登場するフンババであるが、「森番」「怪物」「神」等と呼ばれる。捉える立場によって異なる。森にいまわしいもの、わざわいの元を見いだし、その征服を目指す立場からは、恐ろしい怪物ということになる。
人類最古の物語は、レバノンスギの森を破壊し、そこにすむ主を殺すということなのである。そこに人類文明のひとつの根源を見ることが出来るのである。

レバノンスギ ①

2007-02-21 | 【樹木】レバノンスギ
 レバノンスギは、まさに人間によって、壊滅的打撃をうけた木である。それで、レバノンスギのことを思うということは、人間の性や文明の在り方を思うことにつながっていく。
 名前が示すとおり、レバノンのシリア山地、地中海沿岸のレバノン山脈からトロス山脈にかけて生育していた。今やレバノン山脈のなかブシャリ村にわずか直径200メートルくらいの小さな森ほかが残り、保護されている。世界文化遺産(第1回指定)である。
 どうしてそうなったか、人間が伐ったからである。その歴史は古い。

道すがら

2007-02-20 | 【断想】ETC
 通りがかった道すがら
 家々の庭先の梅の木を見る
 花のつき具合が気になる
 白、紅、ちょうど季節
 程久保川では
 翡翠を見かけた
 あの青は梅の木には似合わない
 黄の嘴の椋鳥も見た
 視野のなかのほんの一部
 一瞬のことだけど
 休日に見た印象に残る色

マルティーニの受胎告知

2007-02-19 | 【断想】神々
 新約聖書ルカによる福音書第1章に、天使ガブリエルが、神によってガリラヤに遣わされ、マリアに懐妊を告げる場面がある。
 天使ガブリエルは言う。
 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
 「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をその子をイエスと名付けなさい。・・・・」(日本聖書協会・新共同訳)
 この受胎告知の場面を描いた絵は数多くある。その中で、特に印象深いのが、シモーネ・マルティーニの描くアリアである。1333年の作である。
 不躾に懐妊を告げるガブリエルから、身を引きよじらせて、「いったい何ということをおっしゃるの。そんな勝手な、わたし困ります」という声が聞こえてきそうなのである。

花への美意識

2007-02-17 | 読書
●花と木の文化史/中尾佐助著/岩波新書/1986年11月20日発行/735円
 著者は世界の花卉園芸の歴史を語り、読者は日本文化の特色に思いをいたすことになる。そんな本である。江戸中期の元禄時代、日本の花卉園芸文化は、中国を凌駕、西欧より先進、全世界のトップレベルにあったと述べられている。
 そして、「花卉園芸文化は、ある社会で、その時代の生産力段階とか、社会構造にピッタリ対応して発展してくるものであると考えるのは大きなあやまりである。・・・・・高い生産力、安定した社会構造などは、高度の花卉園芸文化の発達のために、不可欠な要因となっている。しかしその要因がみたされれば、高度の花卉園芸がかならず生まれてくるかというと、歴史はそうではなかったという事実を示す」と分析されている。すなわち、文化なのである。
 聖書に登場する植物の上位10種は、ブドウ、イチジク、オリーブというように、9種までが実用植物であるということである。わが万葉集では、ハギ、ウメ、マツなどで、10位までの中に実用植物はない。花や姿の美しさが選ばれた根拠になっていると。それは、書物の性格ゆえのものでなく、日本人の美意識ゆえであると。本書では、このようなことが述べられていて、いささか民族意識をくすぐられる。
 美意識のことであるが、おそらく、そんなところが日本人のいいところであり、また欠点にも繋がるところかなと思われる。
 ちなみに、万葉集におけるサクラの登場回数は8位。そのサクラ、当然現代の私たちが見慣れているソメイヨシノではない。
 終章に、園芸ではなく、自然の花や木のことが語られている。日本の林には、花の木が多いとある。マンサク、キブシ、ヤマブキ、ウツギ、タニウツギ、エゴノキ、ヤマアジサイ、ツツジ、アセビ等の名があげられている。「日本の混合樹林は思いもかけず、花の宝庫であったのである。世界のどこの国にも日本のような美しい花の咲く二次林、混合樹林のある国はない」と。大切にしたいね。
※本書、書店店頭では見かけない。私はネットで購入した。「桜の文学史」(小川和佑著・文春新書)にこの本のことが出ており、どうしても読んでみたかった。