アストル・ピアソラの「リベルタンゴ:Libertango」
1984年、マル・デル・プラタのロキシー劇場での演奏。
レーベル : BMGインターナショナル
libertangoは、libertadとtango(自由とタンゴ)をミックスした造語。
先般、このブログで、このアルバムを取り上げた。
ディスク1の“天使”3曲のことで。
アルバム名になっている「リベルタンゴ」は、何かに向かってひた走る感じ。
誰かを小突き回したいのか。
激しさのある曲である。
ピアソラの音楽は、総じてそうである。
哀愁をともないながら。
〈DISK 1〉
1.Verano Porteño:ブエノスアイレスの夏
2.ルンファルド
3.デカリシモ
4.天使のミロンガ
5.天使の死
6.天使の復活
〈DISK 2〉
1.AA印の悲しみ 15:55
2.エスクアロ(鮫) 3:19
3.ムムキ 8:55
4.コントラバヒシモ 11:31
5.リベルタンゴ 4:11
6.チン・チン 8:56
J.S.バッハの「ブランデンベルク協奏曲」を聞く。
まぎれもないジャズとしての「ブランデンベルク協奏曲」である。
なんとも格調高く、見事としかいいようがないバロックにしてジャズ。
無理にジャズ化したという違和感がまるでない。
ベニー・ゴルソンの編曲によるもので、彼の力量が感じられる。
演奏は、ニューヨーク・オーケストラとなっている。
このニューヨーク・オーケストラは、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団等のメンバーで構成されている。
そこらの寄せ集めとはレベルが違う。
そして、アート・ファーマーがフィーチャリングされている。
アート・ファーマーのトランペットのウォーマーな音が、この曲にピッタリなのだ。
第1番、3番と5番が、CDに収まっている。
アルファ・レコードのものである。
おおらかで男性的な音を聞きたいときもある。
休日の午前、まず、「サマータイム」を聞こうか。
ソニー・ミーツ・ホーク:SONNY MEETS HAWK!
ソニー・ロリンズ&コールマン・ホーキンス
ザ・ツー・ジャイアンツ・オブ・ザ・テナーサキソフォーン
1963 / ニューヨーク / RCA
〈収録曲〉
1.イエスタディズ
2.オール・ザ・シングス・ユー・アー
3.サマータイム
4.ジャスト・フレンド
5.ラバーマン
6.アット・マッキンズ
「ASTOR PIAZZOLLA CBS / RCA RECORDINGS」(SONY 1960年代~1980年代)
「アストル・ピアソラ CBS/RCAレコーディング」
DSC 1 に18トラック。
DISC 2 に17トラック。
〈DISC 2 の収録曲〉
1.アディオス・ノニーノ
2.コントラバヘアンド
3.デカリシモ
4.バンドー
5.プレパレンセ
6.チケ
7.ブエノスアイレスの夏
8.ブエノスアイレスの秋
9.ブエノスアイレスの春
10.ブエノスアイレスの冬
11.わが両親の家
12.悲しきミロンガ
13.AA印の悲しみ
14.バルダリート
15.チキリン・デ・バチン
16.ロコへのバラード
17.天使の死
“ブエノスアイレスの春夏秋冬”は、音に起伏があり、迫り来るものがある。
これだけで、一枚のアルバムがあっていい。
“冬”は、哀愁がただよう。
ライブ録音の「15.チキリン・デ・バチン」と「16.ロコへのバラード」には、ヴォーカルが入る。歌うは、ロベルト・ゴジェネチェで、会場は凄く盛り上がっている。
DISC 2 のラストは“天使の死”で、エキサイティングな曲。
“鏡”
J.L.ボルヘスの詩集「創造者」(鼓直訳/岩波文庫)を読んだ。
詩集を一冊、まるごと読むと言うことは、私にとってはめずらしいことだ。
読んだと書いたが、字面を追って目を通したと言った方がいい。
なにしろ、ほとんど意味がとれないという感じだ。
訳の行替えが、詩らしい体裁のためか、意味をとりにくくしている。
それに、題材となっている史実の概要を知らないと、理解できないものが多いようだ。
そういう事どもをボルヘスがどのように捉えているかが記述されていると言っていいのだろうか。
図書館、虎、夢、鏡という単語がよく出てくる。
ボルヘスが、様々な事どもを捉えて、表現するのに使われる単語である。
イエス・キリストのことが書かれた詩があり、そこだけは、読み返すこともあるかと、ページ端を折り曲げておいた。
詩集のおしまいあたりに「詩法」と言う題の詩がある。
その一節。
ときおり夕暮れに、一つの影が
鏡の奥からわたしたちを凝視する。
芸術は自分の顔をわたしたちに教える
あの鏡のようなものにちがいない。
これなどは、次のようなことだろうか。
夕暮れどきには、怪しい気持ちになることがある。
鏡を見ていると、その奥から何者かが、自分を見つめているのを感じることがある。
鏡は、わたしたちに何かを告げる。
「芸術」なるものは、自分が何者であるかを教えてくれる鏡のようなものなのだろう。
訳を見ての勝手な書き直しなので、間違っているかもしれない。
ただ、たいしたことは言っていないように感じる。
ケニー・ドリューとニールス・ペデルセンのデュオである。
「静けき森の中で」を聞く。
今日、新宿のディスク・ユニオンで、この曲が収まっているLP盤を手にとった。
買おうかと思ったが、ジャケットにいささか傷みもあり、ためらってやめた。
CD盤は、もっているのだしと。
ベースの音とピアノの音を較べると、ピアノの何と華やかで光っていることか。
でも、この曲は、ベースの低く慎ましやかな音があってこそである。
アストラ・ピアソラの“ミケランジェロ '70”。
「ゼロ・アワー」の5曲目、他のアルバムでは聞いたことがないように思う。
この“ミケランジェロ”は、ブエノスアイレスのカフェというかライブ・ハウスの名前。
今夜は、この一曲を聞こう。
何かにせき立てられるように疾走する。
なにがそうさせるのか。
僕たちの時代の変化は、早くなるばかり。
ミケランジェロの時代とは、相当違うだろう。
ミケランジェロが、現代に生きていたら、どんな作品を創ったろうか。
ボヘルスの詩集「創造者」に、イエス・キリストの顔貌のことを書いたものがある。
イエス・キリストの顔貌が失われたのは、神が万人になるためでなかろうかと言うようなことが。
夢のなかで見た顔のように、思い出せそうで、はっきり思い出せない。
ミケランジェロのイエス・キリストの顔貌は、ハンサムだ。
「ASTOR PIAZZOLLA CBS / RCA RECORDINGS」(SONY)
このアルバムは、1960年代から1980年代にかけて、CBSとRCAに残した録音から、選りすぐった演奏集・曲集である。
アストル・ピアソラの音楽に接したいという方にはお薦めである。
広く知られた代表的作品が幾つも収められている。
CD2枚で、35トラック。
DSC 1 に18。
DISC 2 に17。
とりあえず、DSC 1 を聞いた。DISC 2は数曲。
DSC 1のラストが“金星の女たちの歌”。
アストラ・ピアソラがジェリー・マリガンと共に演奏したこと、みずからの音楽に、モダン・ジャズから何かを吸収したことを何かの書き物で読んだ。
興味はあったが、それをどうしても聞いてみたいと言うレベルには、達しなかった。
しかし、新宿のディスク・ユニオンのジャズ・フロアには、ボサノヴァ等のラテン系音楽のコーナーがあり、そこで、次のCDを見つけて入手した。
「アストル・ピアソラ/ジェリー・マリガン サミット:SUMMIT」(ARCADE / JBR RECORDS)
1974年に、イタリアのミラノでレコーディングされたものだ。
その頃、ピアソラはイタリアにいたそうだ。
レーベルは、セブンシーズ。
LPでリリースされたわけだが、その後、様々なかたちで世に出回ったようだ。
「Reunion Cambre」との名前の、アルゼンチン盤もあるようだ。
私が入手したCDは、8曲が収録されているが、その倍くらいを収めた恐らく2枚組のアルバムやその全曲からピックアップされた1枚もののものもあるようだ。
手元のCDの8曲は、以下の通りだ。
7曲がピアソラの作、1曲がマリガンの作である。
1.20年前
2.眼を閉じて聴け
3.孤独の年
4.ジャンゴの神
5.20年前
6.ブエノスアイレスの空気
7.追憶:リュミエール
8.サミット
「ブエノスアイレスの空気:アイレ・デ・ブエノスアイレス」がマリガン作。
「追憶:リュミエール」が、フランス映画のサントラ。
〈印象メモ〉
これは、ピアソラの音楽だ。
マリガンをもひとつの素材として作り上げた音楽世界だと思う。
このアルバムについて、音楽のジャンルをあれこれ言うことは徒労だ。
ジャズを期待して聞いた人は、ガッカリかも知れないな。
フュージョンに近い現代曲とも言えるかな。
第一曲目「20年前」を聞いた。
これは、1974年の録音だから、その20年前と言うと、1954年頃になる。
第二次世界大戦が終わり、東西冷戦構造がはっきりとし、米ソの競争が激しくなり、原水爆実験が頻繁に行われていた時期になる。
アストラ・ピアソラは、どう言う思いで、「20年前」と言う曲名を付けたのだろうか。
ジャズでもタンゴでもない。
ミニマム調の現代音楽に近い印象だ。
ジェリー・マリガンは、ピアソラとやって、どうだったのだろう。
聞いていると、ピアソラに合わせているように感じる。
僕は、ジェリー・マリガンを凄く包容力のある人だと思っている。
人の喜びや悲しみ、宿命などを分かる人だと。
舞台劇「天使のタンゴ」:ブエノスアイレスの場末に住む人たちの魂の浄化のために降り立った天使の物語。
劇作家のロドリゲス・ムニョスが制作、アストラ・ピアソラが挿入音楽を作曲。
以下の4曲。
1.天使のイントロダクション:天使の登場
2.天使の死:天使は悪戦苦闘し、そして殺される
3.天使のミロンガ:天使へのレクイエム
4.天使の復活:天使の蘇り
以上は、CDに付いていた解説書などをまとめたもの。
乏しい情報に基づくものである。
アストラ・ピアソラが思い描いている天使は、凄く人間に近い天使でないだろうか。
余り、霊的な感じがしない。
今夜は、「天使の死」を聞いた。
暮らしに追われ、欲望にとらわれ、聖なるものから遠くなりがちな人たちを何とかまともにしようと努めるが、余計なお世話だとばかり殺される。
ここに現れる天使は、そんな感じでなかろうか。
ちょっとおせっかいやきでもある天使かな。
「天使の死」は、「CBS / RCA RECORDINGS」(SONY)と「Libertango」(Milan)で聞いた。
“天使のイントロダクション”が収録されていた。
そのCDに付いていた楽曲解説に、「天使の出現を思わせる神秘的な雰囲気が漂います」とあった。
生明俊雄なる方のものである。
CDは、「アストラ・ピアソラ CBS / RCA RECORDINGS」。
うぶで、警戒心いっぱいの天使。
少しづつこの世になれてくる。
曲の後半、元気な天使が現れる。
ちょっと賑やかで落ち着きのない天使。・
“天使”の死を悼み、弔詞を捧げる。
ミロンガは、舞曲のひとつ。
4分の2拍子である。
言葉としては、歌詞と言う意味をもつ。
アストル・ピアソラの“天使のミロンガ”は、「天使のタンゴ」と言う舞台用に作った4曲のひとつ。
その4曲。
・天使のイントロダクション
・天使の死
・天使のミロンガ
・天使の復活
幾つかの演奏で、“天使のミロンガ”を聞いた。
・アストル・ピアソラの「ゼロ・アワー」
・デュトワ指揮の「タンガーソ」
・ヨーヨー・マの「ソウル・オブ・ザ・タンゴ」
・小松亮太の「ブエノスアイレスの夏」
魂に響く現代の名曲だ。
ギドン・クレーメル らが演奏する「ピアソラへのオマージュ:HOMMAGE A PIAZZOLLA」(Nonesuch)。
アストル・ピアソラへの敬慕に発した1996年の作品である。
ここのところ、ギドン・クレーメルのヴァイオリンで、モーツァルトやアルヴォ・ペルトを聞いた。何か迫力を感じた。
ピアソラでは、「ブエノスアイレスのマリア」で奏していたが、余り印象に残っていない。そこで、ギドン・クレーメルがメインとなっている「ピアソラへのオマージュ」をと思った。
ピアソラの世界へ誘ってくれる極めて上質な一枚になっていると感じた。ピアソラへの思いが実のある結果となっている。
〈演奏者〉
ペル・アルネ・グロルヴィゲン(bandoneon)
ヴァディム・サハロフ (p)
フリードリヒ・リプス(bajan)
エリーザベト・ホイナツカ (hc)
マーク・ペカルスキー(perc)
ヴラディーミル・トンハー(vc)
ギドン・クレーメル(vn)
ミシェル・ポルタル(cl)
アロイス・ポッシュ(cb))
スヴァトスラフ・リップス(cb)
〈曲〉
1.ミロンガ・アン・レ 04:29
2.ヴァルダリート 06:39
3.オブリビオン 04:10
4.鮫 03:41
5.タンゴの歴史~カフェ1930 07:55
6.キンテートのためのコンチェルト 09:31
7.孤独 03:41
8.ブエノスアイレス午前零時 06:35
9. 嫉妬 05:20
10.エル・ソル・スエニョ(アストル・ピアソラへのオマージュ) 00:03:33
11. ル・グラン・タンゴ 12:09
10番の作だけは、ジェルジー・ペテルブルシュキー。
僕にとって、グラント・グリーンの新しいアルバムだ。
1962年録音の「ゴーイン・ウエスト」(BLUE NOTE)。
同年の録音盤に「サンディ・モーニン」、「グラントスタンド」がある。
リリースされたのは、録音の数年後のようだ。
《演奏メンバー》
グラント・グリーン(g)
ハービー・ハンコック(p)
レジー・ワークマン(b)
ビリー・ヒギンズ(ds)
このアルバム、特に聞きたいと思っていた訳ではない。
グラント・グリーンなら、気楽に、それなりに心地よく聞けるだろうと思って入手した。
それに、アルバムの「ゴーイン・ウエスト」と言うネーミングにもひかれた。
《収録曲》
1.オン・トップ・オブ・オールド・スモーキー
2.愛さずにはいられない
3.ワゴン・ホイールズ
4.赤い河の谷間(レッド・リヴァー・ヴァレー)
5.タンブリング・タンブルウィーズ
アストル・ピアソラの「エル・タンゴ」(polydor)と言うアルバムは、ホルヘ・ルイス・ボヘルスの詩にピアソラが曲をつけて成っている。
これらに刺激されて、ボヘルスの作品を読んでみたいと思った。
何冊か手に取ったが、とりあえず目を通したのが、「ボヘルス怪奇譚集」(柳瀬尚紀訳・河出文庫)。
古今東西の書物から選んだ怪奇譚がコレクトされている。それらは、精髄のみ取り上げられているので、一話は、一ページに満たないものから、長くても数ページ。
それはいいが、総じてスラスラ読めて愉しいと言う類いの本ではない。結構、意味がとりにくいものが多い。読者に緊張をもたらす。もしかしたら、私の理解力が足りないだけかも知れぬが。
話によっては、これは夢なのか、夢の中の夢なのか、どこが現実なのか、果たして現実とは何なのかと思わせるものもある。
頭のなかに靄がかかってしまうものがある。
本書の解説を書いている朝吹真理子氏は、不眠症をまねくところがあると評しているが、まさしく、その通りである。