朴の木の花はまだ

2007-04-30 | 【樹木】ETC
 住まいから歩いていけるところに、七生公園という名の林の中を散歩するだけという公園がある。コナラを中心にした雑木林である。
 久しぶりに行ってみた。ほとんど人に知られていない公園で、出会ったのは、子犬を連れた老夫婦、池面にレンズをむけて、しきりに写真を撮っている男、ベンチで本を読んでいる若い男、それだけである。他に、植物でない生き物では、蜥蜴と蜻蛉と鳥を見た。
 七生公園に行った動機のひとつは、朴の木の花は咲いているのだろうかということだった。もしかしたら、あの白い大輪の花が見られるかもと思っていた。モクレン科で、木の花としては最大級で豪華である。しかし、まだだった。前に見たのは、もっと後の季節だったかなと思い出された。葉は既に大きくなっており、花芽をヌーッと突き立てていた。ということは、今年、あの朴の木の花を眺められるチャンスはあるということである。
 葉といい、花といい、その名といい、朴は好きな木のひとつだ。

春に落ちる

2007-04-29 | 【樹木】ETC
 いま、クスノキの下には、葉が落ちている。常緑高木のクスノキの落葉期は、春。春になって、新しい葉が出たとき、古い葉が落ちる。今、クスノキは、浅緑や赤い葉がでていて、本来の落ち着きがない。
 ほとんどの木は、秋に落葉が集中するが、クスノキやシイ、カシという照葉樹の落葉の季節は、春。

いつしか淡紅の花びらに

2007-04-27 | 【樹木】櫻
 いま、多摩動物公園の駅のホームには、桜のまるい花びらが落ちている。駅のわきの遅咲きの八重桜が散りだしているのである。木は二本。一本の花は淡紅、もう一本は、より紅が濃い花をつける。しかし、いつのまにか、似たような淡紅になっている。
 色うつり、季節うつりゆく。

「森の文化史」

2007-04-26 | 読書
●森の文化史/只木良也/講談社学術文庫/2004年06月10日発行/960円
 森林に関する興味深い知見が、めいっぱいつまった本である。1981年に出版された原本の改訂、文庫化である。
 読者は、人間が如何に森の恩恵によって暮らしてきたか、にもかかわらず森を破壊して生きてきたかを思い知ることになろう。森を食いつぶすと都市も滅亡するとある。
 植生ついて述べられたところでは、われわれが何気なく眺めている風景が、いかなる遷移の過程にあるかを教えられる。白砂青松というが、それは人為によるものであって、決して、自然なままのものではないという。白樺林が、何故すがすがしく美しいのかも語られる。群れとしての植物の姿が分かり易く説かれる。
 また、土は単なる鉱物ではないとある。それはそうと皆思うだろうが、そのわけが分かり易く説明されている。いかに貴重なものであるかを知ることになる。日本における森の種類の水平分布、垂直分布等、多くの図表も駆使され素人でもある程度理解できるものとなっている。
 さらに、人間という生命体が、いかなる生態系のなかにあるかも深く認識させられる。生きとし生きるものが、如何に深く結びついているかが、もったいぶった語り口ではなく、実態として語られている。われわれの、自然観、世界観、社会観、人間観が問われるのである。人生論の書ではないのに、われわれの生き方にまで、思いを馳せらせるのである。
 もう一度言っておこう。貴重な情報が満載の書である。

「マタイ受難曲」

2007-04-25 | 【断想】音楽
 毎年、教会歴・受難節には、バッハの「マタイ受難曲」を聴く。聴くといってもCDでだが。といっても、全曲を聴くと何時間もかかるので、ハイランツ版で。今年は、そのタイミングも得られず、イースターを迎え、そして、数週が過ぎた。なにかしら、ここのところ、あわただしく、そのせいか、何かにつけ、いらだたしい気分になる。
 夜、ぼんやり、鉢植えの枝垂れ梅を見ていた。枝先に葉をつけながら、枝を伸ばす。葉が大きくなって、枝先が重くなるから、枝垂れる。そう言う訳かと思う。ちょっとした自分なりの発見に、そんな時、大概、愉しい気分になれるのに、どうも、そういかない。そんな時もある。
 「マタイ受難曲」は、リヒターかショルティの指揮のものが好きだ。ショルティにハイライツ版がある。ショルティのは輪郭がしっかりしていていい。最高のお薦め曲だ。来年には聴こう。

蛇の世紀はよみがへりなむ

2007-04-24 | 【断想】蛇
 空間に秘色ながれてぬばたまの蛇の世紀はよみがへりなむ

 今、手にしている本に、うえの一首があった。山中智恵子という歌人の作である。その歌人のことは、まったく知らない。その一首が、いつ、どのような背景をもってできたものかも分からない。ただ、このように詠うひとがいるのかと思った。
 蛇は大地の豊饒、生命、再生のシンボルでもある。そこには、豊かな森がある。人間が生きていくために必要なものである。蛇を忌み嫌ってきた時代が過ぎるとき、人類の前に存続の道が開けるのでないかと思う。

森に恵まれた日本

2007-04-23 | 【樹木】ETC
 地球上の陸地で、森ができる条件をそなえている面積は3分の1くらいだという。日本は、全土、ほぼその条件を満たしている。日本人にとって、あたりまえののような樹木の生育も、そうではないところが多いのである。日本が、地球全体のために果たすべき役割は大きい。

ヒマラヤシーダーの木蔭

2007-04-22 | 【樹木】ETC
 多摩動物公園駅前のヒマラヤシーダーが伐られて、早や7ヶ月が過ぎた。程久保川の改修工事のためである。そこには、新しい橋が架けられた。しかしまだ、渡れるまでには整備されていない。
 どこぞに、新しい木は植えないのか。あのヒマラヤシーダー、夏には日陰をつくってくれていた。その下のベンチで一休みという人もいた。

0.6℃は100km

2007-04-21 | 【樹木】ETC
 只木良也著の「森の文化史」(講談社学術文庫)を読んでいたら、日本では、海抜が100メートル高くなると、0.6度温度が低くなると書いてあった。かつて教わったことのあることだ。そして、「海抜高100メートルの上昇は、水平的には100キロメートル北へいくのに相当する」とあった。
 それで、なんとなく思ったのは、八ヶ岳に別荘を買ったら、どれくらい涼しくて、平地なら、どれくらい北上したところになるのかなと言うことだった。
 標高でいえば、わたしの住む日野市は、100メートルくらいだ。八ヶ岳の別荘地を調べてみたら、900~1200メートルという位置にある。
 緯度では、八ヶ岳が20分くらい北になる。距離にして30キロメートル少しだ。
 ここらは気にせず、大雑把に見れば、1000メートルくらい高いところに行くのだから、6度くらい気温が低いところということになる。水平的には1000キロメートルくらい北となる。というと北緯44度以上で、北海道の網走より北、サロマ湖を経て、紋別あたりだろうか。
 八ヶ岳に別荘を買う予定はない。

春爛ける

2007-04-19 | 【樹木】櫻
 窓辺の白梅は、葉をつけ、実を膨らませはじめている。鉢植えの枝垂れ梅も、葉をつけた。根に近いところからも枝を伸ばそうとしている。実はつけるのだろうか。
ソメイヨシノは、緑の葉を繁らせ出している。多弁の桜が花をつけている。躑躅が赤い花で、ハナミズキが白い花で、目を愉しませてくれる。
 そうなのだが、何だか沈んだ気分が続いている。雨降りのせいでもなかろうが。
 小野小町に次の一首がある。

 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに

みずみずしい緑

2007-04-18 | 【樹木】ETC
 昨日は、雨降り。
 木々の若葉は、一段と成長しよう。
 ウィークデーには、朝と夜、ベランダに出る。
 コブシ、エゴノキ、イヌシデが、日ごとに新緑を増しているのが見える。同じところの常緑の樫の木の濃い緑に比べると、ほんとうに若々しく、みずみずしい。
 幼友だちのことが思われる。
 いつもはれやかな気持ちでいたいのにと思う。


2回目の春のクヌギ

2007-04-17 | 【樹木】櫟
 一昨年の秋、多摩動物公園で、8粒のクヌギの実を拾った。
 昨年春、7粒の実から芽が出て、葉がつく。一鉢に一本づつと分ける。4鉢を知人に譲る。
 住まいのベランダに、3鉢残った。秋には、枯葉となった。
 この春、そのうち一鉢のクヌギが、新しい葉をつけ、成長中である。残りの2鉢のクヌギは、まだ、葉をつける気配がない。その2鉢のクヌギは、新葉をつけたものより、幹が細い。大丈夫なのだろうか。1年目の成長が足りなかったのだろうか。