先般、青梅の吹上しょうぶ公園を歩いた折、道脇に、蛍袋(ホタルブクロ)を見つけた。
その花の形から、その名を覚えやすい。
花には淡紅紫色と白色とがある。
見かけたのは、薄紫と言ってよいか。
その後、もう少し色の濃いのも見かけた。
多摩動物公園でだったろうか。
キキョウ科の多年草である。
釣鐘状の花を下からのぞくと、花びらの開き方などに、なるほどキキョウ科だなと思わせるものがある。
あの形で、上向きに咲いたら、中に雨がたまってしまう。そうなると、花粉が濡れて、花粉の役を果たさなくなる。
同属に山蛍袋(ヤマホタルブクロ)がある。
蛍を袋の中に入れたら火垂る(ほたる)。
蛍が出てくる和歌を二首。
ながむれば月はたえゆく庭の面にはつかにのこる螢ばかりぞ(式子内親王)
蛍火は木の下草も暗からず五月の闇は名のみなりけり(和泉式部)
その花の形から、その名を覚えやすい。
花には淡紅紫色と白色とがある。
見かけたのは、薄紫と言ってよいか。
その後、もう少し色の濃いのも見かけた。
多摩動物公園でだったろうか。
キキョウ科の多年草である。
釣鐘状の花を下からのぞくと、花びらの開き方などに、なるほどキキョウ科だなと思わせるものがある。
あの形で、上向きに咲いたら、中に雨がたまってしまう。そうなると、花粉が濡れて、花粉の役を果たさなくなる。
同属に山蛍袋(ヤマホタルブクロ)がある。
蛍を袋の中に入れたら火垂る(ほたる)。
蛍が出てくる和歌を二首。
ながむれば月はたえゆく庭の面にはつかにのこる螢ばかりぞ(式子内親王)
蛍火は木の下草も暗からず五月の闇は名のみなりけり(和泉式部)
住まいのベランダのすぐ近くに、トウネズミモチ(唐鼠黐)の木がある。
六月下旬、白い花が咲き出している。
花のさかりはこれからだが、もう辺りに臭いを放っている。
いくらか、ムッとする感じである。
その臭いにひかれたのか。
スズメバチが花序から花序へ移動していた。
六月下旬、白い花が咲き出している。
花のさかりはこれからだが、もう辺りに臭いを放っている。
いくらか、ムッとする感じである。
その臭いにひかれたのか。
スズメバチが花序から花序へ移動していた。
6月の終わり。
トチノキ(栃の木)の実ができていた。
和英辞典で、トチと引くと、a Japanese horse chestnut とある。
horseは、馬である。
chestnutは、栗、栗の実。
栃の実は、栗の実のようにつやつやしてうまそうである。
だけど、そのままでは、食べられない。
人間の舌には、渋すぎる。
それで、「馬の栗」である。
トチノキ(栃の木)の実ができていた。
和英辞典で、トチと引くと、a Japanese horse chestnut とある。
horseは、馬である。
chestnutは、栗、栗の実。
栃の実は、栗の実のようにつやつやしてうまそうである。
だけど、そのままでは、食べられない。
人間の舌には、渋すぎる。
それで、「馬の栗」である。
丘に生えるからオカトラノオ(岡虎の尾)。
沼に生えるのはヌマトラノオ(沼虎の尾)。
サクラソウ科の野草。地下茎を伸ばして群がる。
6月から7月に白い花が咲く。
その花穂が、虎の尾に見立てられて、その名がついた。
沼に生えるのはヌマトラノオ(沼虎の尾)。
サクラソウ科の野草。地下茎を伸ばして群がる。
6月から7月に白い花が咲く。
その花穂が、虎の尾に見立てられて、その名がついた。
あたらしい季節へのよろこびを感じさせられる一首だ。
そこには、生き生きと脈打つものがある。
和泉式部の歌はいつもいい。
桜色に染めし衣をぬぎかへて山ほととぎすけふよりぞ待つ(和泉式部)
初夏。
春の終わり。
俺の春はとおに終わった。
ほととぎすの声を聞くこともない。
そんな風に思うこともある。
そこには、生き生きと脈打つものがある。
和泉式部の歌はいつもいい。
桜色に染めし衣をぬぎかへて山ほととぎすけふよりぞ待つ(和泉式部)
初夏。
春の終わり。
俺の春はとおに終わった。
ほととぎすの声を聞くこともない。
そんな風に思うこともある。
曇り空の朝。
ほととぎすの一声を聞く。
風が少しだけ吹いている。
通りの向こうの欅の枝が揺れた。
新古今和歌集より一首。
夜を重ね待ちかね山のほととぎす雲居のよそに一声ぞ聞く(周防内侍)
ほととぎすの一声を聞く。
風が少しだけ吹いている。
通りの向こうの欅の枝が揺れた。
新古今和歌集より一首。
夜を重ね待ちかね山のほととぎす雲居のよそに一声ぞ聞く(周防内侍)
住まいの近くを流れる川岸に生えていた鰭薊(ヒレアザミ)の写真を撮ろうかと思ったら、周りの雑草とともに、きれいさっぱり刈られていた。その薊は、雑草といえ、丈も太さもなかなか堂々としたもので、いささかもったいないなと思った。紅紫の花もそれなりのサイズで、美しかった。
鰭薊は、日本にはかなり古い時代に渡来したという。
西脇順三郎の詩集「豊饒の女神」に、「あざみの衣」という詩がある。
「あざみのうすむらさきの夢の
ようなものが言葉につづられる」
「夏はもどらない
この貧者の食卓には」
とある。こんな抜粋では、何のことかわからないだろう。だけど、全部を読んでも分かるとは限らない。
「うすむらさきの夢」とは、どんな夢かと思ってみたり、「夏はもどらない」から、過ぎし夏の日のことを思い出してみるのもいいのでないか。
鰭薊は、日本にはかなり古い時代に渡来したという。
西脇順三郎の詩集「豊饒の女神」に、「あざみの衣」という詩がある。
「あざみのうすむらさきの夢の
ようなものが言葉につづられる」
「夏はもどらない
この貧者の食卓には」
とある。こんな抜粋では、何のことかわからないだろう。だけど、全部を読んでも分かるとは限らない。
「うすむらさきの夢」とは、どんな夢かと思ってみたり、「夏はもどらない」から、過ぎし夏の日のことを思い出してみるのもいいのでないか。
青梅の吹上しょうぶ公園で、しわくちゃになった花菖蒲(ハナショウブ)の花びらを見て、蕪村の句を思い出した。
座敷に脱ぎおかれたままの着物は、花菖蒲の花びらのような色をしていたろうか。
にほひある衣も畳まず春の暮(蕪村)
座敷に脱ぎおかれたままの着物は、花菖蒲の花びらのような色をしていたろうか。
にほひある衣も畳まず春の暮(蕪村)