今日午前、猪坂豊一さんは荼毘にふされた。
彼を通じて、実に多くの人と接した。
はじめは、出版社系のジャーナリストが中心だった。
その後、企業の広報関係者、世界各国の大使館関係者他。
政治関係者も多かった。
なかには、天安門事件で中国政府から追われた人もいた。
それらはすべて、彼の個人的コネクションによるものだった。
社会的地位などとは無縁なところに発するコネクションだった。
いつも凄いなと思っていた。
会合の案内をもらうたびに、ありがとうと思った。
彼は、なにの代償も求めなかった。
誰でも真似のできるようなことではなかった。
猪坂豊一の古い名刺を取り出してみた。
名刺に、60.10.28と鉛筆で記してあった。
彼がまだ、月刊誌「自由」の編集にたずさわっていたときのものだった。
はじめて会ったのが何時だったか覚えていない。
名刺の日付の前のことだと思う。
学生運動が激しかった政治の季節。
70年安保の頃、彼は、私と同系の思想グループに関係していた。
そういう中でのことであろう。
同世代ということもり、ことさら悲しい。
猪坂さん有難う。