大津の桜

2007-03-31 | 【樹木】櫻
 この土・日、東京は花見のにぎわいか。花見で大津に来たわけではないが、そこいらの桜の花は、まだちらほらといったところ。こころなし残念。

桜餅のあの葉っぱ

2007-03-30 | 【樹木】櫻
 伊豆半島の松崎町、桜餅が好きな人は、しっかり覚えておくべき町の名前である。町役場のホームページに、「松崎町では、畑で大島桜を栽培し葉を摘み取って塩漬けにし、桜餅を包む葉として全国に出荷しています。生産量は全国の70%を占めると言われます」とある。
 やわらかく、毛のすくない大島桜の葉ゆえの恵み。あの桜の葉の香り、あなたの気持ちを豊かにしてくれませんか。

清水寺の桜の宴

2007-03-29 | 【樹木】櫻
 四条五条の橋の上、
 四条五条の橋の上、
 老若男女貴賤都鄙、
 色めく花衣、
 袖を連ねて行く末の、
 雲かと見えて八重一重、
 咲く九重の花盛り、
 名に負う春の気色かな、
 名に負う春の気色かな。

 能「熊野(ゆや)」の一節である。何とも語呂がよくて、時折、口ずさむ。
 いにしえ、平宗盛が清水寺で花見の宴を催す。宗盛の寵愛をうける熊野は、東国に住む母の命が尽きかけているのを知り、一刻もはやく母のもとへと思いつつ、舞を舞わないわけにはいかなかった。

 春雨の、降るは涙か、降るは涙か桜花、散るを惜しまぬ人やある。

 熊野は歌をよみ、短冊に書いて、宗盛にさしだす。

 いかにせん 都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん

 宗盛は、この歌を読む。熊野の思いが通じ、暇をもらって東国に下ることができることになる。謡曲には、桜にまつわる傑作が他にもある。この季節にと思う。

平安神宮の紅枝垂れ桜

2007-03-28 | 【樹木】櫻
 3年前だったと思う。4月のはじめに京都の平安神宮に寄った。その神苑の紅枝垂れ桜を観るためである。東京への帰りがけの朝、あいにく小雨が降っていた。桜もまだ盛りの前だった。これが、すべて花をつけたら、さぞ見事だろうなと思った。そして、時が経つうち、記憶にとどめた桜はどんどん花をつけて、妖艶なる紅枝垂れとなった。
 この先、ほんものを見頃に眺める機会はあるだろうか。例年は4月中旬という。

植生を語ること

2007-03-27 | 読書
●図説 日本の植生/沼田眞、岩瀬徹/講談社学術文庫/2002年2月10日発行/1100円
 植生の研究家というのは凄いなというのが、第一の感想である。個々の樹木や樹種のことをあれこれ言うことは素人でもそれなりに出来る。しかし、本書のように日本の植生を語るとなると、専門的知識と経験がないと手も足も出ない、素人の遠く及ばぬ域のことと思われた。
 気象(寒暖、風雨、雪・・・)、地形(山、谷、崖、平野、川、湖、湿地、海、砂・・・)、山の大小・高低・種類(火山・・・)、土質(石、砂、土、塩分・・・)、緯度、時の流れ、季節、人間・動物による影響、それから、植物自体のもつ性質、遷移のこと、あまたの要素がからまりあっての植生の実態である。しかも、それぞれの現地に足を運ばなくてはならない。それには自然、植物が好きでなくてはならない。しかも、若いうちから時間をかけて知見を集積しないと駄目である。私には、既に出来ないことだと思った。
 群れとしての植物の生態が、豊富な写真・図表をともなって語られている。見たことのあるような風景写真を、「そういうことなのか」と、改めて、見つめる。 後半には、多くの草が登場する。草への関心と知識があったら、もっと実のある読書になったのにと思った。
 「都市の緑」について述べられている箇所に、千葉県市川市の旧市街地のことが記されていた。「過去の砂州の上に発達したものであるが、古いクロマツ林をそのままとり込んで、住民と共存した形となっている。道路の方がマツを避けているため曲がりくねっていて不便さはあるが、いまなおみごとな緑の景観を保っている」とある。そして、その風景写真が載っている。私たちの暮らし方のことが思われる。人間による自然破壊のことは、ありのままの実際が、たんたんと述べられている。そんな本である。

桜が咲き出した

2007-03-26 | 【樹木】櫻
 東京の桜が咲き出した。多摩動物公園の駅前の染井吉野も花をつけているのを見た。
 先週、3月20日、気象庁は、東京の桜の開花を宣言した。何をもって、その発表にいたったかについては、多くの報道もあるが、ここで整理をしておこう。
 靖国神社には、およそ800本の桜があり、染井吉野と山桜が中心、あらかたが染井吉野である。その神苑の染井吉野のうちの3本が、東京地方の開花標本木として、気象庁に指定されている。その木の蕾が、5つばかり花となると、開花宣言が発せられるということである。
 平年の開花日は3月28日である。今年は、昨年より1日早く、平年よりは8日早い発表であった。観測史上三番目という早さだそうだ。それで、全国で一番早い発表という報道のされ方もされているが、このような言い方、誤解を招きそうだと思いませんか。あえて言うこともないことだ。
 染井吉野が出現したのは、幕末のこと。明治3年に神苑に植えられたとされている。まだそこは靖国神社ではない。明治2年にできた東京招魂社の時である。いずれにしろ、染井吉野にとっては、九段は古いつながりの地である。ここらのことは、佐藤俊樹著「桜が創った『日本』」(岩波新書)に詳しい。

空気の中の根

2007-03-24 | 【樹木】ETC
 国会議事堂の前庭には、衆参両サイドに、古くて大きなイチョウの木が2本、対となって生えている。幹からは、乳状の気根を垂らしている。イチョウの気根は、そう珍しいものではない。あちこちで見られる。
 根は地中のみのものではないのだ。空気中に出てくる根が気根といわれる。
 木の幹や枝から生えた気根が、地面にまで届き、木を支えるまでになったものは、支柱根と言われる。菩提樹が気根をロープ状にいっぱい垂らしている写真を見たことがある。アコウの木は、気根を伸ばし地に根をはり、奇観を呈する。主幹下部の周りに気根が生えてタコ足状になっている姿をとる木もある。タコ足状のは、マングローブ林などでよく見られる。
 奄美以南に生えるサキシマスオウノキには板根というものが発達するが、あれは、支柱根の類か。
 また、木の周囲の地中から伸び出す気根もある。人が膝を折り曲げたような形のものを膝根という。沼地の木に多い。沼地では土壌中の酸素が少ないゆえのことだそうだ。ヌマスギことラクウショウの気根は呼吸のためということである。よって、呼吸根と呼ばれる。空気や水、養分を吸収する気根を吸収根とまとめて言いもする。
 他の樹木に付着するのは、付着根というそうだ。特に何の機能ももたない気根もあるという。
 イチョウの気根は、何のためにあるのか。同じようなイチョウなら、乳を垂らしている方が元気のようだという説もあるようだが。イチョウは雌雄異株。雌株の気根を乳と言うのはそれでいいが、さて、雄株の気根は、なんと呼ぶのがいいだろうか。

屁のような鶯

2007-03-23 | 【断想】ETC
 朝、ベランダに出ると、すぐ近くで鶯の声がした。こういうことは珍しい。あたりをうかがうと、欅の枯れ枝で動く小鳥が見えた。と、小鳥は飛び、すぐ隣のもう一本の欅の方に移動して、姿が見えなくなった。だけど、ほどなく、そこから鶯の声がした。
 鶯の声はわりかし聞くのだが、近くで見たことがない。どうしてだろうか。音はすれども姿は見えず、ほんにお前は屁のようだ。メジロはよく見かけるのだけど。

立派な気根

2007-03-23 | 【樹木】落羽松
 新宿御苑には、立派な木が数多くある。新宿門を入ってすぐ右の道を行くと、ヒマラヤシーダー、レバノンシーダー(2007.3.18 blog)と続き、次ぎにラクウショウ、メタセコイアが生えている。
とりわけラクウショウが大きく育ち立派である。そこには、橋が架けられていて、人が、根を踏んだりしないようになっている。気根がニョキニョキ、地中から伸びているのだ。それがまた、立派である。
 今、多摩動物公園では、アジアの水鳥園と言われるところが、造り直されている。そこに生えていた木々がかなり伐られた。私の好きなラクウショウは伐られていない。だけど、そのすぐ脇を工事用トラックが通っている。もともと土がふわふわしたところである。別名ヌマスギというように、土がやわらかなところの木なのである。根へのダメージが気にかかる。
 ラクウショウが好きな理由のひとつに、その葉のすがすがしさがある。初夏、羽状の葉が青い空に広がると、とても美しい。よく似た葉形をして、同じようにすがすがしさを感じさせる木が、メタセコイアである。和名、アケボノスギ。こちらの羽状の葉は対生、ラクウショウは互生である。 
樹形は、メタセコイアがより円錐に近く、ラクウショウは、比較してこんもりした観がある。中国原産と北米東南部・メキシコ原産という違いもある。いずれも落葉樹であるが、北米西海岸に分布する「セコイア」は、常緑である。
 多摩動物公園の工事、早く終わるといい。ラクウショウがのびのび生きられる環境を整えてくれればと思っている。

コブシの若葉

2007-03-22 | 【樹木】ETC
 住まいのすぐ近くのコブシは、白い花びらを散らしだした。
 花の下に、薄緑の葉が1枚ついている。
 やさしげな若々しい葉である。
 同じモクレン科モクレン属のタムシバは、コブシに似た花をつける。
 ただ、タムシバは、花の下に若葉をつけることはない。
 コブシは大木になるが、タムシバは、5メートルくらい。
 花は似ても、それぞれということ。

やまとは神の國

2007-03-21 | 読書
●神皇正統記/北畠親房著/岩佐正校注/岩波文庫
 書中後半、幾度も「皇威おとろへぬ」と語られている。1339年、足利尊氏が政治の実権を握った頃の作である。
 “おほやまとは神の國なり”と始まり、天地開闢から後醍醐天皇まで、皇位継承を軸にその周辺の出来事が綴られている。日本政治史概観という風である。神代については、日本書紀の骨だけと思ってもいいかも知れない。仏教については、「本地垂迹」が、何の疑いもなく、当たり前のことのように述べられている。天竺他の歴史も、日本との比較で語られる。
 史上の多くの争いのことが記されている。人間とはと嘆かわしくなるくらいに。
 第3巻に入ると、藤原道長、平清盛、源頼朝という人物が現れ、「皇威おとろへぬ」ということになる。時代変化の基本が、はっきりと捉えられている。頼朝や北条泰時のことは、世の安定・秩序の観点から、それなりに評価されている。
 後醍醐天皇の代のところは、多くの紙数がさかれている。持明院統と大覚寺統の対立にあっては、著者もその渦中のひとりであり、もっとエキセントリックな記述があるのかと思ったが、ちっともそう言うところがなかった。
 政治の実権が変化してきているという認識の中にあって、なおかつ、公家である北畠親房は、わが國は神皇を頂点にした政治こそが正統なものであり、いろいろな事象があってもそこに戻るという論を展開する。つまり、「武」の力を認めつつ、それを高きものとは見ていない。武家より公家、一般の民より武家が上という感覚が自然な状態で示されている。出自による人のランク付け、この感覚、そんなに昔のものでもない。しみついたものとして、今の日本人にもある。
 この書、原理主義的国粋主義者には、批判もされたようだ。戦後の近視眼的民主主義者に評価されることもないだろう。
※今から、600年以上前の作を現代語訳でなく、とりあえず読み終えたことがまず嬉しい。先輩、友人がメンバーの読書会で、「神皇正統記」を取り上げることになった。それ故の読書である。ひとりでは、読みはしなかっただろう。

ヤマトタケルを思うと

2007-03-20 | 【断想】ETC
 ヤマトタケルというとつい思い浮かぶ。
 金沢の兼六園の中にある日本武尊(倭建命)の大きな像だ。その建立のいわれ、いきさつはさることながら、自然美をいかした園にあって際立つ人工物である。そこにあることに違和感を禁じ得ない。兼六園を遊び場ともしていた私は、小さい頃からそう感じていた。
 その日本武尊であるが、現在読書中の「神皇正統記」の第12代景行天皇のところに登場する。「正統記」という本旨・性格から、古事記や日本書紀にあるようなこまやかな人の心の機微に触れるようなところがない。
 そこで、いささかのうるおいのため、尊の歌をと思った。馥郁としたもの、感じませんか。

 やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる やまとしうるはし

 はしけやし 我家(ワギヘ)の方よ 雲居立ちくも

かじると甘い竹

2007-03-19 | 【樹木】竹
 小学3,4年の頃だった。「これをかじってごらん」とすすめられたことがあった。それは、細い竹で、皮をむいたものだった。かじると、とても甘かった。その時、その竹の名も教わったことまでは憶えているが、名までは憶えていない。そのうち、調べてみたい。
 この話を妻にしたら、「サトウキビでないの」と言われた。違うと思う。サトウキビは別途かじったことがあると思う。少し前だが、多摩動物公園で、オランウータンにサトウキビを投げて、やっているのを見た。あれではない。