偉大なるものは天に

2008-06-30 | 【断想】神々
 主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え 山々に草を芽生えさせられる。(旧約聖書 詩編147の8節)
 雨は恵みである。雨なくして、食料となる植物は芽生えない。恵みは天から来る。偉大なるものは、天に存するとつながっていく。このような思いは、ユダヤ教、キリスト教において顕著である。
 日本はいま、梅雨。雨は天からふんだんに降り注ぎ、それが当たり前で、特別の恵みとの思いは薄い。

「民社党の光と影」発行

2008-06-30 | 民社
 民社党の光と影・元党本部書記局員による民社党研究論集/伊藤郁男、黒沢博道編
 富士社会教育センター(TEL 03-3501-8981)、平成20年7月1日発行/1800円+税
 3年がかりで取り組んできた本が、出版された。研究テーマを分担しての16名(阿部翰靖、荒木和博、荒木詩郎、荒木幹郎、伊藤郁男、梅澤昇平、及川妙子、小島幸治、黒沢博道、竹本善次、寺井融、中田一郎、長尾務生、林幸雄、原健太郎、眞鍋貞樹)による共同執筆である。私は、第16章の「民社党の財政と問題点」を書いた。

お気に入りではなくても

2008-06-29 | 【樹木】ETC
 ドラセナ・コンシンネは、日本の梅雨をどう感じているのだろうか。今、ベランダにあるので、雨が降れば、雨の飛沫を浴びもする。
 それぞれにさまざまなあれこれが降りそそぐ。
 願わくば、わずらわしきことなきことを。そうは願うが、その通りにならないときは、そのなかでやるしかない。
 なあ、ドラセナ・コンシンネ・トリカラー・レインボー君。

束の間の夢からさめて

2008-06-28 | 読書
 「ジャーナリストの死に方としては、書いたもので、狙われ、殺されるのが最高だ」とその人は語っていた。その人はいま、ある人を「死」に追いやるために筆をふるっている。その思いが、成就するといいと思う。
 昨夜、酒席で、そのようなことを語り合っているうちに、文学のことにも及んだ。
 そのなかで、そのジャーナリストの方に芥川龍之介の「魔術」を薦められた。
 今日昼、通りかかった本屋で、短編の「魔術」が収められている本を買った。家の本棚をさがせばあったろうが。恐らく、かつて読んだことがあるだろうが。そのあと、行くことになっているところまでは、電車に乗るので、その間に読んでみようと。
 すぐに読み終えた。
 ある男が、魔術を教わる。但し、魔術を使う前提は、欲望を抱かないことである。魔術を教わった男は、人にそそのかされて、賭を行う。そして、賭をやっているうちに欲望を抱いてしまう。男は、自分が魔術を使う資格がないことに気づく。それは、そんな夢をみてである。
 さて、読み終えて、何をもって、あの方が、「魔術」の読書を薦めたのかと考えた。あれこれ考えたが分からなかった。
 ただ、そういえば、私も三島由紀夫の「邯鄲」(近代能楽集)を人に薦めたことがある。一炊の夢に、悟りを得るという話である。

異郷の太陽にも

2008-06-28 | 【樹木】ETC
ドラセナ・コンシンネ・トリカラー・レインボー男爵。
ご出身は、アフリカのマダガスカル島でしたね。
モーリス・ラヴェルの「マダカスカル島の歌」でもお聴きになりますか。
異郷の地にも、もうすぐ、太陽の季節がまいります。光と熱です。
期待しておりますぞ。

コンシンネ「生命の証し」

2008-06-27 | 【樹木】ETC
 5月のはじめに、一鉢一本のドラセナ・コンシンネだった。
 6月下旬、三鉢三本のドラセナ・コンシンネになっている。
 一本のドラセナ・コンシンネを三本に切って、植えたのだ。
 ただ、しばらく前までは、ドラセナ・コンシンネと呼ぶのがはばかられた。
 それは、ドラセナ・コンシンネだった木の棒とは言えたが。
 一本は、葉をつけたままで土に挿した。枯れないから生きている。
 やがて、あとの二本、棒の頂ちかくを膨らませ出した。
 そして、いま、樹皮の裂け目から、円錐形をした尖りを突きだした。

「橘が枳となる」

2008-06-27 | 【樹木】ETC
 「橘が枳(カラタチ)となる」と言う諺がある。長江南岸に生えている橘を北岸に移し植えると、枳になるという中国の昔話に由来し、所謂「所変われば品変わる」というような意である。
 橘も枳も同じミカン科の樹木であるが、橘はミカン属、枳はカラタチ属である。同じ五弁の白い花をつけるが、その花弁のおもむきが異なる。枳は、鋭い棘が目立つ。
 カラタチは、漢字で枳、枸橘、枳殻などと書かれるが、その名は唐橘(からたちばな)から来ているそうだ。名前から、どこから日本に伝わったかが分かる。
 かつて、日本で育った少年が、某国に渡った。もらった手紙には、独裁者礼讃が綴られていた。香りよき少年が、棘だらけの青年になった。もう過ぎ去った古い話だ。

フェンネルと蜘蛛

2008-06-26 | 【樹木】ETC
 フェンネルはセリ科。その生長のしかた、形姿を見ていると、とても古い時代からの植物のように感じられる。そのうち、調べてみようか。
 あんなふうに生長する大きな木があって、それに登ったらと夢想する。登っているうちに、木は大きくなり、周りの様相が変化して、面白かったり、怖かったり・・・・。
 これから花期が来るようだ。黄色い小花だそうだが。咲くだろうか。
 二本のフェンネルのあいだに、蜘蛛の巣が張られた。糸が細かい巣が水平に張られている。小さな蜘蛛がいた。
 そういえば、この前、朝方、住まいの廊下を大きな蜘蛛が歩いているのを見つけた。褐色で足が長い。美しくない。アシダカグモのようだ。

花橘の香をかげば

2008-06-25 | 【樹木】ETC
 橘の花の香りに動く心は、古今集の《さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖のかぞする》とくらべて、どちららが複雑か。
 千載集の夏歌から枇杷殿皇太后宮五節の一首。
 《ただならぬ花橘のにほいかなよそふる袖はたれとなけれど》

花は橘

2008-06-24 | 【樹木】ETC
 唄はちゃっきりぶし
 男は次郎長
 花はたちばな
 夏はたちばな
 茶のかをり
 ちゃっきりちゃっきりちゃっきりよ
 きやアるが啼くから雨づらよ
 有名な「ちゃっきり節」であり、このなかに「花は橘、夏は橘」とある。橘月と言うと、陰暦の五月のこと。花期は五、六月であり、今、その季節である。
 橘の花は小さな白色、香りがある。
 それで、次ような短歌もなりたつ。古今集の夏歌のなか、よみ人しらずである。
 さつきまつ花橘の香をかげば昔の人の袖のかぞする
 橘の花の香りから、かつてつき合った恋人をなつかしく思い出すということなのだろう。このように回想できるのは、ある意味でめぐまれている。別れというと色々ある。ある香りに誘発されて、別れた女を思い出し、胸をしめつけられる男もいるであろう。女の使う香水は、のちに男を苦しめる武器ともなり得る。余計なことを書いた。
 さて、橘(タチバナ)というと、ミカン科ミカン属の樹木。同属に、ウンシュウミカン、ユズ、スダチ、イヨミカン、ハッサク、ダイダイ、ネーブルオレンジ、アマナツ、ナツミカン、グレープフルーツ、ブンタン、レモンなどおなじみのもがある。タチバナの実はすっぱく食えない。
 これまで、樹木のことをあれこれ書いてきたのに、ミカン属には触れたことがなかったかも知れない。私が、北陸の生まれで、小さい頃、ミカン属の木に接することが少なかったからか。橘も日本海側では、山口県以西に生育ということで、なじみがない。それとも、ミカン属というと、口にするものとの認識で木として見ていないからか。
 日本橘(やまとたちばな)で、一番人に知られている木は、京都御所紫宸殿前の「右近の橘」。栽培種だそうだ。ちなみに、対となっているのは、「左近の桜」。
 まとまりのない記事になってしまった。

あかずとやなく山郭公

2008-06-23 | 【断想】ETC
 夏の到来を告げる渡り鳥であるホトトギス。春のウグイスに対して、夏のホトトギスである。ウグイスには梅となるが、ホトトギスには何か。おもむきが異なり、緑濃く黒っぽいまでに繁った木立のなか、山野というところか。
 ホトトギスは、漢字では、時鳥、子規、不如帰、杜鵑、杜宇、蜀魂、田鵑、霍公、霍公鳥、郭公などと表記される。
 古今集の夏歌のところには、ホトトギス(郭公)が頻出する。よみ人しらずの一首。
 郭公なくこゑきけば別れにしふるさとさへぞこひしかりける
 恋しき故郷へ、その気になれば、明日にも行くことが出来る。いや、今日にだって行ける。ところが、彼にとっては、命をかけてのことになる。命をかけても、その思いを達成できる確率は極度に低い。たとえ思いを遂げることができたとしても、それだけでは済まない。その後、無事に過ごすことが困難になる。
 何がそうさせているのか。
 俺たちは、それぞれの歩みのなかで、取りかえしのつかない道にはいることがある。過ぎし日のことに思い乱れつのる夜もあろう。
 同じく古今集の壬生忠岑の一首。
 くるるかと見ればあけぬる夏のよをあかずとやなく山郭公

葉の波あるいは丘

2008-06-22 | 【樹木】ETC
 イヌシデやクマシデ、ケヤキ、コナラの梢を見下ろすように眺めて、思うことがある。梢に繁る葉は、垂れ気味である。そのせいもあるか、鬱蒼となると、波の連なり、丘の連なりのように見える。
 鳥たちは、そのうえを、どんな感覚で飛んでいるのかなあと思う。
 その連なりのさまは、もっと南の密林を思い浮かべさせる。

青いdayflower

2008-06-21 | 【断想】ETC
 道端に、ツユクサ(露草)が青い可憐な花をつけていた。
 小さい頃から、その名を知っていた草のひとつである。その美しいコバルトブルーの花色、独特な形姿、朝の涼しい露の時刻に咲くというところに魅かれるものがあって覚えたのであろう。
 その花は、朝にひらいて、昼頃から夕方には萎れてしまう一日花である。よって、英語では、dayflower。

枇杷の実もがれる

2008-06-21 | 【樹木】ETC
 一週間ぶりに、近所にある枇杷の木のところへ行ってみた。実の熟れ具合を確かめたかった。手の届く位置にある実は、既にもがれてしまっていた。傘を使って、枝をたぐりよせ、実をひとつ採って、皮をむいて味見した。この前買った長崎県産の枇杷の実より甘かった。