白梅と死と

2012-03-30 | 【樹木】梅
 死病にある友人のことを思う。
 己は、死を前にして平静にしていられるだろうかと思う。
 梅の季節。
 蕪村の句を思い出す。、  
  しら梅に明る夜ばかりとなりにけり

いにしえの梅の宴

2012-03-14 | 【樹木】エッセイ
●植物の恵み「美女の連鎖」
 昨年十二月、美女からのメッセージ。「首相官邸下のツワブキの佇まいが見事です」
 ツワブキ(石蕗)の絵が載った雑誌が添えられていた。私が、植物に関心があることを知ってのこと。
 ツワブキはキク科の常緑生多年草。その年も残りが少なくなったことを知らせるように黄色の花をつける。葉には光沢がある。それで、その名は、艶葉蕗(ツヤバブキ)から転じたとも言われる。
 別の艶っぽい美女に、「官邸下のツワブキを知ってるか」と尋ねると、「そお。すてきよ」と、案外知られていることのようだった。
 そして、花をつけた見事なツワブキを見たのは、「一緒に見に行こう」と言っていたはじめの美女でなく、もう一人、別の美女とであった。「煮物のキャラブキには、この茎からつくられるのもある」などとの知識も披露。これらの交わり、ささやかな愉しみと言えようか。
 私の植物への関心は、美女三人との機縁となったわけである。
●花をめでる心
 樹木や草花に関心を持ち出して、もう七、八年だろうか。町や野で見かける樹木の名前を余りに知らないことに気づいて、己の無知を何とかしたいと思ったのが切っ掛けだった。
 以降、植物に関する本も相当手にした。それで、幾らかの知識を得た。そのことは、わたしの暮らしを豊かにしてくれたと思う。
 外を歩きながら、見かけた植物についててのあれこれの知識を連れに話す楽しみができた。
 そして、植物と文化との関わりについても自然に知るようになった。古典に出てくる植物のことも。
 そして、花をめでる心が、いかに人の心を慰め、暮らしを豊かにしてきたかにも気づいた。
 梅の花の季節となるが、わたしの美女とのはかない接点ではなく、次のような高尚な交わりがあったことも知った。酒杯もめぐる愉しい宴である。
●大伴旅人の酒宴
 天平二年正月十三日、大宰府、大伴旅人卿の庭で、梅の宴が催された。
 天候に恵まれ、梅花をめでて三十二首の歌が詠まれた。いにしえの人たちの心の豊かさが察せられる。
 豊後守の山上憶良は、次のような歌をのこした。
 春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ
宴の主人であり、大宰府長官であった旅人は、次のように詠んだ。
 わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
 視野の広さ、おおらかさを感じさせる歌である。
 そして、土師宿禰百村は、次のような生きてある喜びの歌。私の気に入りの一首である。
 梅の花咲きたる園の青柳をかづらにしつつ遊び暮らさな
 梅の花を機縁に、友との時を愉しむ宴、うらやましい限りである。
●「快楽主義の哲学」へ
 これらの歌は、万葉集の第五巻に収められている。この段には、旅人による序があり、「快然自ら足る」とある。
 愉しみ優先の思想が察せられる。刹那主義という言い方も出来るかも知れないが、世の雑事に乱れる心を静めるため、とりとめのない教義にすがるより、現実のなかで愉しみを見いだし、心の救済、平静を得るすべを体得しようとするスタンスをとっていると言えないか。ギリシャ哲学でいう「アタラクシア」を得ようとする魂の姿勢である。
 大伴旅人は、老荘思想に親しんでいたと言われる。老荘は、エピクロスの教説に共通するように思う。旅人は、エピキュリアンたろうとしていたのか。共感するところがある。
 願わくは、美女と共に梅の宴を。
 旅人の一首。《生けるひと遂にも死ぬるものにあればこの世にある間は楽しくをあらな》